注連縄の由来についての妄想
しめなわについて考える日。
注連縄の由来が納得いかない
高千穂の天岩戸神社は日本で最初に注連縄がかけられた場所、と聞きました。
注連縄の由来は天岩戸神話に基づいていて、天照大御神が天岩戸から出てきた際、二度と中に入ってしまわないよう、岩戸の入口を塞ぐように張った縄が注連縄の始まりとされています。
…変だと思いませんか?
もしそうだったら、神社の入口に注連縄をかけたらアマテラス様は神社に来られないですよね。
家の前に注連縄かけたら、家に神様来れなくなるんじゃないの?と思う。(こんなこと思うの私だけ?)
調べたらいろんな人のいろんな見解が出てきたけど、イマイチ納得いかないので、在野研究者シロナとしての勝手な意見をこちらへ書いとく。
説1 立てこもり事件説
天岩戸伝説は史実ではない。
天岩戸は川のそばで魚も捕れるきれいな場所だったので、その土地を争って立てこもり事件が起きた。
治安維持部隊が突撃した結果、立てこもり民族は敗北。突撃した人たちが勝利のしるしに注連縄をつけた。
注連縄は「ここから先は我々の空間だから、敗北者は入ってくるな」の意味。
もちろんデタラメですので、根拠はなにもありません。
でも「注連縄(しめなわ)」の「注連」の字の由来は、死んだ人が再び家に入ってくることがないよう、家の入口に水で清めた縄を連ねて張っておくという中国の風習なのだそうです。
ちなみに高千穂は地域によって注連縄の形が違うらしくて、色も朱と緑でカラフルだった。
注連縄の代わりに怖いお面があるお家もある。悪霊退散!ってかんじがすごい。鬼の墓もあったし、何かそんなにこわい人たちがいたのかな、昔の町は。
説2 寝た子を起こすなの説
そういえば、天岩戸に行ってみておもったのだけど、岩の向こう側って死の世界なのかなという感じがした。1回向こうに行ったら、帰ってこれなそう。
天岩戸は、イザナミを祀る、熊野の「花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)」と近い雰囲気がある。
花の窟神社の岩も、向こう側に死の世界があるっぽい感じだった。向こう側は、行ってはいけないところ。
なので、天岩戸の注連縄の由来でもう一つ思いついた説はこちら。
あるところに川魚大好き一族がいた。
川魚大好き一族は、みんなと一緒に最近流行りの田んぼ作りをしていたけど、ただでさえ手入れの大変な田んぼに、イタズラする人たちまで現れ、我慢ならなくなったので、川のそばの天岩戸に引きこもって、魚を捕ってくらす生活を始めた。
川が深いので、呼び戻そうにもみんなはなかなか天岩戸に近づけなかったけど、興味本位で天岩戸を訪問すると大洪水が起きることから、川魚大好き民族の祟りだと言われるようになった。
人々は岩の向こうに行かないように注連縄の印をかけて、「ここから先は行っちゃいかん」と伝え広めた。
注連縄を一年中かざる風習
ちなみに高千穂と、三重県の伊勢は、注連縄を一年中飾る風習があります。
もともとは日本のどこでも1年中注連縄を飾ってたとも聞きました。そう言えば、3月くらいに多良間島に行ったときも、空港の入り口に注連縄があった。
蘇民将来
伊勢の注連縄は木の札がついていて「蘇民将来」の文字が書かれているのですが、蘇民将来の札を飾ると疫病が来ないと地元では言われています。
私のおじいちゃんはカマボコの板の裏に筆で「蘇民将来」って書いてたらしい。
蘇民将来は牛頭天王のお話なので、京都の祇園祭と同じ神様です。
京都・八坂神社には、蘇民将来命がまつられています。鳥居をくぐって結構すぐの、目立つところだった記憶。
祇園祭の粽 鈴鹿権現、瀬織津姫
京都で祇園祭の時期だけ手に入る粽「ちまき」も、一年中かざります。
ちまきは「茅」を束ねて「巻」いたもの、ですが、蘇民将来の話を起源としているのだそうです。
私の家には鈴鹿権現のちまきがあります。
ちなみに鈴鹿権現は伊勢国鈴鹿山で鬼を退治したとされ、瀬織津姫と同一視されているそうです。
瀬織津姫は、古事記には登場しない神様ですが、祇園祭には登場する。
お祭りは書物とは別のいろんな伝承があっておもしろいなと思います。
ちょっと注連縄の話しようとしたら、なんだかとてもマニアックな話になった。おしまい。
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こんにちは。僕の故郷は高千穂から阿蘇方面に寄った所なのですが、この辺りは文献などにはあえて残されなかったらしき 色々な出来事が隠れています。 歴史には残っていない戦の話を 霊達から聞いた事があります。 高千穂がお好きでしたら、鬼八伝説もおすすめです✨
!!!色々な出来事!絶対そうだと思いました。霊たちの話、気になりすぎます、、!! 鬼八伝説調べてみます。ありがとうございます!