「俺を舐めてんの?」「何撮ってんだコラァ!」佐山聡の“地獄のシューティング合宿”に密着…当時の選手「あの合宿はヤバい」記者が見た“驚愕の実態”
当時すでに飛び交っていた噂「あの合宿はヤバい」
当時、筆者はまだ20代半ばの駆け出しのスポーツライターで、格闘技専門誌の依頼を受け、この合宿を泊まりがけで取材する機会を得た。テレビカメラは入っていたものの、連日取材したペン記者は私ひとりだったように思う。当時の佐山はプロレスとは完全に決別し、1985年に創設したシューティングを通して「真の総合格闘技」の確立を目指していた。 89年5月にはプロ化もされたが、マイナーなイメージは拭えないままだった。世間で総合格闘技といえば格闘系プロレスのUWFを指し、佐山の名前は知れ渡っていてもシューティングを知る者はごく少数に限られていた。 そんな状況を少しでも変えたい。合宿を通じて、選手たちに少しでも強くなってほしい。当時シューティングの発展に120%の情熱を注いでいた佐山はそう思っていたはずだ。だからこそ、指導も度を超えたものになってしまったのだろう。 そもそもシューティングの合宿はこの1回だけではなく、前後にも行われている。合宿中の佐山が門下生をシゴキまくっているという話はしばしば耳にしていた。 この合宿後、不参加だった選手に「なぜ来なかったの?」と聞いたことがある。その選手は「ケガをしてしまうかもしれないじゃないですか」と答えた。 「仕事も休まないといけないし……。次の試合に向けてジムで黙々と練習していましたよ」 すでにプロとして活動していた選手たちの間では「あの合宿はヤバい」という噂が飛び交っていたのだ。ゆえにプロの参加は限られており、佐山にどつき回されていたのは明日のプロシューターを目指す若者が大半だった。
佐山聡の「抜きの蹴り」…その真髄とは?
当時の佐山は蹴りに対して非常にうるさかった。たとえばミドルキックの場合、美しいフォームとともに破壊力が求められた。 同時に、佐山が自ら手本を示すと、有無を言わせぬ説得力が感じられた。体型こそタイガーマスク時代とは異なっていたものの、フォームは均整がとれており、スピードもキレも、重さもあった。 佐山は説明も忘れなかった。 「力を抜いて、相手に効かなきゃ意味がない!」 この「力を抜く」という部分の解釈が難しかった。佐山が「わかる?」と促すと、参加者は一斉に「はい!」と答えたが、本当に理解していたかどうかは疑わしい。取材していた筆者とて、はっきりと理解していたとは言い難い。細かい説明が必要になったとき、佐山はこんな解説をした。 「破壊力のあるキックを出すためにパワーはいらない。逆に力を抜き、思い切り長いキックを出しながら、ヒザを返すことが必要」 蹴りにしろ、パンチにしろ、必要以上の力が加わっていたら威力は半減してしまう。脱力したままモーションに入り、インパクトの瞬間を重要視する「抜きの蹴り」。その体得には一定以上のセンスとともに、相応の反復練習が必要だろう。 佐山はこの「抜きの蹴り」の技術を、外国人として初めてムエタイ王者になった藤原敏男の蹴りを見て会得したと思われる。佐山が人並み外れたセンスと身体能力の持ち主であることは疑いようもない。プロレス以外の別のスポーツをやっていたとしても、大成していた可能性は高い。 しかしながら参加者の多くは佐山ほどのセンスも身体能力も持っていない。おそらく、佐山ならではの「抜きの蹴りはこうやってまっすぐ……」といった感覚的な言葉だけでは理解しづらかったのではないか。
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