NHK公式【べらぼう】脚本を務めた森下佳子さんが、最終回を前に各話のこぼれ話を振り返ります。#大河べらぼう
べらぼう最終回「蔦重栄華乃夢噺」放送は12/14(日)。15分拡大版です。
第36回 鸚鵡(おうむ)のけりは鴨(かも)
あぁあ、ついに春町先生とのお別れ回です。春町先生は辞世の歌と漢詩を残しています。歌の方は黄表紙の作者らしいトホホなおかしみがあり、漢詩の方は武士らしく潔い。あぁ、春町先生だなぁ、と、涙した覚えがあります。とにかくもう、春町先生らしい最期、できれば皆の記憶に残るような印象的な最期、それが私に出来る手向けだろうと書きました。「最後まで笑わせようとする。ふざけ切って逝く」というのは企画当初から考えていたことなのですが、その時はふんどし姿で入水するという案だったんですよね。屁踊りは春町先生にとってもっともふざけ、かつ、大事な思い出だったでしょうから。でも、改めて考えるとその場合「武家の矜持の方はどこへ?」となってしまう。ということで、本編のような最期となりました。ちなみに「豆腐の角に頭ぶつけて死ねないのか」というナイスアイデアはPからです。私、かなり早い段階から春町先生のこと大好きだったんですが、中の方のエッジの立った作り込みのおかげでさらに愛おしい存在になりました。あぁもう、大好きだったよ!春町先生!!そうそう、喜三二の送別会、大大大宴会でしたよね。合戦より大変な宴会をこんな後半にぶち込んで、すみません……。
第37回 地獄に京伝
春町先生の死、それによる武家作家たちの絶筆で、政演(京伝)の肩にグッと荷が乗ることになる回です。政演について、実は私ちょっと距離があったんですよ。黄表紙や洒落本はスマートで面白いし、しかも錦絵まで描けちゃう、天才なのは間違いないんだけれど、全部すごいから「ここだ!」って核を掴みかねていたというか。先生方からは「テンポのいい会話、観察が細かい、話がスマート、トリビアリズム」などなど答えを教えていただいてたのですが、私たいして勘がよくないもんで、腹に落ちる感じが得られていなかったんですよね。そこに現れたのが今回取り上げた『傾城買四十八手』。もちろん、文体は江戸時代の昔のものなんですが、近代小説を読んでるような印象を受けたんですよね。なんというか、登場人物の描写や会話の部分も生々しくて、リアル……。「コレかー!」と私の中で手応えが得られた瞬間でした。で、同時に、改めてあることにも気づいたんです。歌の絵もリアルだからいいんじゃんねって……。キーワードはリアル。これに気づいた時、この時期の文化の流れみたいなものが、さーっとつながる感覚があったんですよ。それこそ果ては写楽につながっていくような。だって写楽の絵って役者のリアルな顔を描いた、「真に迫りすぎた」わけじゃないですか……。この回は私にとって、そんな得難い体験をしながら書いた回でした。そうそう、政演が女郎屋を逃げまわるシーン。隣の部屋で布団を整えている扇屋さんが地味に面白いので、お見逃しなく。
第38回 地本問屋仲間事之始
地本問屋仲間結成!の回です。資料を見ると、そこには懐かしいお名前がちらほら。これはもうこの機にお会いしたい、きっと皆も会いたいはず!ということで、鱗の旦那や西村屋の旦那にもご登場願いました。そして、二文字屋の方々にも。実は「平蔵から巻き上げた五十両はどこかのタイミングでちゃんと返したいよね」とは、ずっと皆で言っていて、この回にうまくさらりと返すことが出来て、ホッとしました。さて、奉行所に「仲間を作れって言わせるぞ」大作戦はフィクションでございますが、結成の経緯や目的なんかは史実とそうズレてはいないかと思います。そして、歌麿のミューズの死……。辛い展開ですが、歌麿の妻か妹かと言われている方が亡くなったのはこのタイミングなのでいたし方ありません。皆様、鬼なのは私ではなく史実なんです!この回のラストシーン、蔦重が「鬼の子」と言って、歌麿をお清さんからひっぺがそうとするところ、打ち合わせで意見が別れました。「ひどい」という人と歌麿をこちら側に引き止めるには「やむなし」という人と。歌麿が描き続けている絵も「綺麗だった頃のお清さん」なのか「目の前にいるお清さん」なのかも。さまざま話あった上で本編のような選択となりました。皆がそれぞれ考えて意見を言ってくれて、ありがたいチームです。そうそう、床に散らばったおびただしい数の絵は浮世絵制作の先生たちが一枚一枚描いてくださったもの。ホントにもう頭が下がります。