東京龍角散秋田支局旧藤井薬舗というアカウントから、創業家は水戸藩出身ではない間違えるなと高圧的なコメントが届きましたと投稿している人がいますが、どうやったらそんな解釈になるのでしょうか? こちらは支局とつけておらず、高圧的に説教していません。印象操作しない。それでは弁護士は動きません。子供じみた悪戯はやめなさい!

Joined September 2021
実を言いますと、当アカウントも大分不審者情報を拡散したので、もうやめたいところなのですが、拡散しまくった甲斐もあり、モグラが沢山出てきたので、まだまだ頑張ります! 情報は沢山ありますが、早めに謝ったり、晒さない約束をした人たちはさすがでしたね。 #もうちょっとだけ続くんじゃ
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小池さん、宮下さん、藤井得三郎(現在の株式会社龍角散)商店の社員、又は役員の子孫の方はいらっしゃいませんか? 見てましたら連絡ください。確認したいことがあります。 よろしくお願い致します!
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Googleブックスの 時を超えて伝えたいこと 桐生敏明 2007 によると、 創業当時は、龍角散の創業者とも縁があって、「ゴホンといえば龍角散」をもじって「御本と言えば柳々堂」のキャッチフレーズで一般書を扱う書店だった。 縁があって、と書かれている。
23年11月以来の定期: 龍角散と大阪府大阪市にある柳々堂(りゅうりゅうどう)さんは親戚だ という噂話がありますが、それを裏付けるための明確な根拠となる資料がないので、ご注意ください。
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それにしても、 秋田県の美郷町を生薬の里にしたいんだよ そのためには龍角散の藤井玄淵、玄信は六郷出身の親子でなくてはいけないんだよ #ドラえもん 〜〜〜 的な街なんですね。 親にお小遣いを強請る延長でしかないんですね。 まず、ちゃんとした大人になってくださいよ。 #テレビ朝日
想定内の出来事が起きていました。 美郷町界隈の人々が、龍角散は六郷東根の歴史であると勘違いするきっかけになったのは、やはり秋田県の美郷町の仕業でしたね。
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小西家ですと、他にはこういうのですね。 旧家の方が書いた原稿だから正しいかと言われれば、現代では無理がありますね。 blog.goo.ne.jp/hanako1033/e/…… 根本的に、昔の本の類は藤井家は国替え時に六郷東根、または大曲の村に居住したという物なので、本当にせよ、嘘にせよ、時代が合わないんですね。
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当家には、利庵(としあん?)という医者もいたそうですが、この人についての詳細は不明です。 利庵は、現在の #大仙市(大曲)に住んでいたようです。 #龍角散 #秋田県 #花火の街大曲
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1ヶ月ぶりの定期: #劇団わらび座 さんのミュージカルの題材となった #龍角散。 現在の秋田県仙北市にあたる角舘町(角館町)、生保内(おぼない)、田澤村(田沢湖町の一部)には、かつて龍角散の取り引き先がありました。 『西木村(西明寺)にも縁者がいた』という未確認情報があるようです。
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jpon.xyz/2000/37/4/33.html この電話帳にある昭和から平成にかけて生きていた方ではないかと考えられます。 古くは知り合いだった家々も、代替わりによって、どんな関係だったのか分からなくなったのではないでしょうか。冠婚葬祭が減った現代では。
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当家の屋敷の近くにあった大曲の村の郡役場でしたが、明治19年(1889年)、現在のペットショップ桃太郎さんの手前の月極駐車場のところ(約40年以上前までは消防署だった場所のようです)に移ったそうです。
定期:#菅江真澄(すがえますみ)の月の出羽路(いでわじ)によると、大曲の村では、今から約200年以上前に花火をあげていた様子。 現在の大曲上大町から浜町にかけての辺りには、駅場(今の駅)、駒場(馬の停留所)、そして1886年(明治19年)までは村の郡役場があったとされます。 #菅江真澄の道
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定期:#菅江真澄(すがえますみ)の月の出羽路(いでわじ)によると、大曲の村では、今から約200年以上前に花火をあげていた様子。 現在の大曲上大町から浜町にかけての辺りには、駅場(今の駅)、駒場(馬の停留所)、そして1886年(明治19年)までは村の郡役場があったとされます。 #菅江真澄の道
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定期:#六郷町 六郷(#秋田県 #美郷町)初の新聞人である #倉田桜芳(本名は清)さんは呉服屋。 実は、この倉田家の近所には、秋田側の藤井家の縁者にあたる家がいくつもありました。東京の #龍角散 とは遠縁関係。 この界隈には、何千俵もの小作米(ものなり)が入ってきた家があったそうです。
定期: 秋田県の #六郷町#美郷町)の #ニテコ名水庵 の通りで、#秋田諏訪宮 の手前のエリアには #龍角散 を扱う藤井薬舗(やくほ)が存在しました。 これは明治後期、或いは大正時代?から昭和初期にかけてのことではないかと推測されます。
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そしてこれも本来は、東京側の説明でありまして、藤井正亭治は嘉永年間(1848年〜1855年)の長崎遊学後、薬を扱う仕事に任命されたということが書かれています。 正亭治は大曲と江戸を行き来する生活をしていたと言われています。
〜と新聞にこう書いてあった 〜と言われているんですよ 資料には〜 ↑↑↑ 参考までに、資料に書いてあれば正しいのか?ということをいくつかあげてみました。
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〜と新聞にこう書いてあった 〜と言われているんですよ 資料には〜 ↑↑↑ 参考までに、資料に書いてあれば正しいのか?ということをいくつかあげてみました。
実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓
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まず、藩に上がっていくには何代か続いた家であること、藩の学校は現在の秋田市にあるため、親元を離れ、下宿生活をしていたこと。 その場合はその家の長男ではなく、下の方の兄弟であること、または婿養子にあたる人である可能性があると推測されます。
実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓
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定期: 秋田県の #六郷町#美郷町)の #ニテコ名水庵 の通りで、#秋田諏訪宮 の手前のエリアには #龍角散 を扱う藤井薬舗(やくほ)が存在しました。 これは明治後期、或いは大正時代?から昭和初期にかけてのことではないかと推測されます。
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当方にも言えることですが、bot的に定期しているアカウントはどんどん表示数が減っていく。 後は前にもポストしましたが、噛みつき系、暴言多い人はフォロワーさん多くても100も行かなくなっている。 やたらとリポストする人もガクッと表示が減ってる。 これはいいことではあるのでしょうが。
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実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓
龍角散の原型があったのは江戸中期。それを佐竹藩として創製したのが1797年だと言われていますので、玄信、玄淵を親子とするのには無理がありますね。 当家が六郷東根の町医者で、藩にあがるようになり、大曲に移住し、江戸にも出たという事実なし。 藤井家は江戸中期、または1805年には大曲にいる。
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Replying to @mugichanomouze
美郷さんに限らず、市町村合併により、古い歴史が分からない方が担当者である場合も多く、さらには同じ秋田県内の秋田市や大曲に伝わる龍角散の歴史ともぶつかるため、みんな困っているようです。 あとは本来であれば、茨城県との連携が必要となる所でした。
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藤井家は佐竹氏の御典医で、国替えの時についてきたと言われている情報を鵜呑みにし、 六郷東根に住み着いた と考えてしまったのではないでしょうか? しかしながら 実際には国替えの時に藤井姓はおらず、全ての部隊が出羽入りしていないなど、調査不足だったのかと。
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