東京龍角散秋田支局旧藤井薬舗というアカウントから、創業家は水戸藩出身ではない間違えるなと高圧的なコメントが届きましたと投稿している人がいますが、どうやったらそんな解釈になるのでしょうか? こちらは支局とつけておらず、高圧的に説教していません。印象操作しない。それでは弁護士は動きません。子供じみた悪戯はやめなさい!

Joined September 2021
再掲載:テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
所謂、テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
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美郷町との連携という意味合いなら問題ないでしょうが、また例によって、 美郷町の龍角散が~ 六郷の龍角散が~ とやり出すアカウントが皆さんのタイムラインにいるようであれば、それが誰だったのかをご確認ください。 その先に見えるのは?
美郷町合併20周年式典 龍角散社長ら連携4社の代表が討論sakigake.jp/news/article/202…
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Replying to @mizuho_kampo
なお江戸時代初期に藤井家はまだ水戸にいます。国替えに来たという根拠はないのです。 資料からは「国替えのあと」とされます。よろしくお願いします。 龍角散という名前が確認されているのは1835年で、この時点では佐竹義堯も藤井正亭治も関係ありません。
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古くは良く知られていた説です。よろしくお願いします。 秋田県内の各地に龍角散の出身地だとされる説があり、六郷はその1つに過ぎません。
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美郷町が龍角散の産地化を目指していることと、六郷と藤井家とが本当に関係があるかは別問題となりますので、お気を付けください。 本来は、現在の水戸市、秋田市、大仙市(大曲)、東京下町(千代田区、または台東区説あり)を行き来した家だと言われています。
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龍角散の原型となる薬があったのは現在の水戸です。それを藤井一族が習いにいったのが佐竹藩としての龍角散の処方の始まりです。 情報の出所をご確認ください。よろしくお願い致します。 秋田県の年表などともさらに話が合わなくなります。
龍角散は江戸時代初期ごろに秋田県で開発された漢方薬です。途中に配合生薬の見直しがあり、現在の処方構成に至ります。 龍角散は杏仁・桔梗・甘草・セネガで配合されており役割は以下になっています。 ■龍角散 杏仁(甘草)→せきどめ 桔梗・甘草→のどの抗炎症&痰切り&うるおい補充→桔梗湯 セネガ→痰切り 漢方薬の味が苦手な方でもおいしく飲めて大人気の龍角散ダイレクトは、龍角散に人参・アセンヤクといったうるおい補充成分がプラスされた処方構成になっています。 ■龍角散ダイレクト 杏仁(甘草)→せきどめ 桔梗・甘草→のどの抗炎症&痰切り→桔梗湯 セネガ→痰切り 人参・アセンヤク・(甘草)→のどのうるおい補充
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Replying to @mizuho_kampo
失礼します。龍角散の原型となる薬があったのは現在の水戸です。それを藤井一族が習いにいったのが佐竹藩としての龍角散の処方の始まりです。 情報の出所をご確認ください。よろしくお願い致します。
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再掲載︰これは何故か? 江戸中期には久保田(秋田市)にいた説、のち大曲(大仙市)に移住したという複数の説があること。 家系研究協議会(名字の研究会)と佐竹商店街、秋田市は友好関係にあったことなど、秋田市側の説を知らずに、いつの間にか美郷町だ、いや仙北市だとやるからこうなる訳です。
間違った情報を拡散したり、ネット上で井戸端会議をしていた連中にも原因はありますね。 それが誰だったのか皆さんも思い出してみてください。 皆さんのタイムラインにもいたはずですよ。 その先に見えるのは?
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定期: ・藤井得三郎は、正亭治の三男 ・久保田(秋田市)には兄がいた ・明治初期は久保田が本店で、東京と大曲は支店 ・得三郎は東京府(東京都)の支店長扱い ・どこかで支店(東京)と、本店が入れ替わった ・秋田市の店は閉鎖 ・菊乃丁(大町)店は別の親戚が始めた店である
・藤井得三郎は、正亭治の三男 ・久保田(秋田市)には兄がいた ・明治初期は久保田が本店で、東京と大曲は支店 ・得三郎は東京府(東京都)の支店長扱い ・どこかで支店(東京)と、本店が入れ替わった ・秋田市の店は閉鎖 ・菊乃丁(大町)店は別の親戚が始めた店である
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そして、さらに怪しい情報の出所が六郷関係者であることが断定されました。 (*’ω’ノノ゙☆パチパチ
その先に見えるのは、 当然、美郷町や仙北市の関係者ですよね。 例えば、現在の美郷町六郷出身だとしても、六郷野中、六郷東根湯田・細田地区などの生まれの人が発言したからと言って、それが正しい情報なのでしょうか? やればやるほど逃げられなくなるのです。
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その先に見えるのは、 当然、美郷町や仙北市の関係者ですよね。 例えば、現在の美郷町六郷出身だとしても、六郷野中、六郷東根湯田・細田地区などの生まれの人が発言したからと言って、それが正しい情報なのでしょうか? やればやるほど逃げられなくなるのです。
間違った情報を拡散したり、ネット上で井戸端会議をしていた連中にも原因はありますね。 それが誰だったのか皆さんも思い出してみてください。 皆さんのタイムラインにもいたはずですよ。 その先に見えるのは?
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間違った情報を拡散したり、ネット上で井戸端会議をしていた連中にも原因はありますね。 それが誰だったのか皆さんも思い出してみてください。 皆さんのタイムラインにもいたはずですよ。 その先に見えるのは?
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まだまだ龍角散に関する資料はあるようです。 龍角散は美郷町のものだと思い込み、または決めつけているから真相にたどり着けなかったのでしょう。
以前からポストしていましたが、繰り返し、龍角散は美郷町のものだとやられることにより、佐竹資料館、秋田公文書などにある資料と話が合わなくなるのですね。 そして当然、水戸側の記録もあると。 つまりは美郷町の内部情報に原因があるのでしょう。 所説(諸説)ありで対応すべきなのに。
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地元の伝承では、秋田市や大曲、六郷などを行き来し、参勤交代があれば江戸に行く家だと言われていました。 江戸中期には大曲に住み、江戸後期になると村民の世話をしていたとも。 利庵という大曲に住む医者も当家の関係者だとされますが、ここについての詳細不明。
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一応書いておきますね。龍角散のルーツは実は水戸。 秋山高志「茨城県史の研究」のP195 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の水戸市) 原南陽の門人 かていやく第12号 龍角散は藩医の処方でない 幕府の医者の処方 よその土地の薬を飲むのは不見識でいかん その処方を明かしてもらって本家で作れ
以前からポストしていましたが、繰り返し、龍角散は美郷町のものだとやられることにより、佐竹資料館、秋田公文書などにある資料と話が合わなくなるのですね。 そして当然、水戸側の記録もあると。 つまりは美郷町の内部情報に原因があるのでしょう。 所説(諸説)ありで対応すべきなのに。
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何が正しいかも分からずに当アカウントを敵視し、嫌がらせして来たのが美郷町と仙北市の人と確定したので、それが何を意味するのか? 自分たちの主張が正しいのであれば堂々としていればいいのでは? 7月には、新たに大仙市大曲の新聞販売店の関係者が浮かび上がりました。
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Replying to @IcePick_yokote
去年のポストに失礼致します。 本来の龍角散とは、江戸中期。現在の茨城県(水戸藩)の秘薬とされます。それを藤井玄信(龍角散HPの2代とは別人)と名乗った久保田藩医が習いにいったのが最初です。 秋山高志「茨城県史の研究」の195Pと、かていやく第12号の記述を合わせれば答えがあります。
Replying to @NAMAHAGE_nMnL
龍角散は秋田の美郷町六郷東根の発祥? 秋山高志 茨城県史の研究の195Pより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の水戸市) 原南陽の門人 かていやく第12号より 龍角散は藩医の処方ではない 幕府の医者の処方だ よその土地の薬を飲むなんて不見識でいかん その処方を明かしてもらって本家で作れ
Replying to @jagd_jaeger
失礼します。本来の龍角散とは水戸がルーツです。 秋山高志 茨城県史の研究の195P 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の水戸市) 原南陽の門人 かていやく第12号 龍角散は藩医の処方でなく、幕府の医者の処方。よその土地の薬を飲むなんて不見識でいかん。その処方を明かしてもらって本家で作れ。