東京龍角散秋田支局旧藤井薬舗というアカウントから、創業家は水戸藩出身ではない間違えるなと高圧的なコメントが届きましたと投稿している人がいますが、どうやったらそんな解釈になるのでしょうか? こちらは支局とつけておらず、高圧的に説教していません。印象操作しない。それでは弁護士は動きません。子供じみた悪戯はやめなさい!

Joined September 2021
このpdf内を「藤井定吉」で検索すると出ますが、この人は当家の関係者です。 藤井家は #大曲の花火 に寄付をしたり、第2回大会の時に花火師として参加した者がいるなど、昔は町に貢献していました。 akihaku.jp/publication/repor…
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龍角散という江戸中期に原型となるくすりが存在しました。 そのため、年齢が合わない、佐竹公も違う人であったりと、年代が合わない説をしている人がいたとすれば、それは本人の責任です。 藤井玄信、藤井玄淵を1人の人間だと考えるのが大きな間違いなわけですよ。
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仮に江戸中期の場合は、一般的に言われている初代・玄淵ではないでしょう。2代・玄信はまだ産まれていません。 藤井玄淵(玄渕)と玄信を名乗った人が何人いたかは分かっておりません。 また、大曲に住んでいたとされる当家の利庵(としあん?)についての詳細は不明です。
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#大曲の花火 秋の章が開催される大曲(#大仙市)には、#龍角散 の本家の屋敷がありました。 なお、1911年(明治44年)の第2回大会(旧名:奥羽六県煙火共進会)に参加者として名前がある藤井某とは当家の関係者です。 実は、この人の名義で寄付をしています。 #秋田観光
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龍角散関係の資料から。 元あった店は今の秋田市と大仙市。明治維新を経て、神田が1871年(明治4年)、資料から大仙市は1873年(明治6年)となっています。 六郷大町と琴平西と、上野にあった薬店は藤井家の一族。 浅草は、得三郎商店で修行した人がのれん分け(フジヤは藤井家の屋号)した店です。
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明治初期に秋田市の本店(のち支店に降格)を担当していたのは、正亭治の息子の内の1人だと言われています。 得三郎は3男のため、本来の跡継ぎではなかったわけですね。 明治中期、若しくは後期に秋田市保戸野、または大町(茶町菊乃丁)の店を担当していたのは正亭治の兄貴系統となります。
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この時、大曲の店を継いだ藤井定吉が正亭治の甥で、※玄淵(正亭治の兄弟)の次男であるという資料が展示されました。
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3年前の今ごろは? 『江戸時代に藤井家によって作られた #龍角散 は、今や世界中で販売されています。ルーツとなる資料のうち明治・大正・昭和時代の懐かしい資料を取り揃えました。』 #あぶこれ #油谷これくしょん #秋田県の文化を収集する会
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当時の営業担当はまだ2人しかおらず、その片方は敗戦後に、途中入社した藤井家の一族(小池三郎)でした。 まだ戦後で、東京の龍角散の自宅の一室を使い、仕事をしていたようです。2代得三郎(米次郎)は広告戦略に信念を持っていました。 #東京都 #新宿区 #龍角散 #ゴホンといえば #小林ヒストリー
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当家がまずは六郷(#美郷町)に住み、のちに大曲(#大仙市)に移住したという事実はありません。 年代が合わない理論をいつまでも展開している人物こそが、今回の龍角散の名前を悪用した特殊詐欺の犯人である可能性があります。 御殿医とは、藩(江戸、久保田)にあがっていくものです!
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佐竹商店街さんのホームページには、 元々は佐竹の江戸屋敷は神田(#千代田区)にあったこと。江戸遊学の話、商店街と秋田市との関係、さらに家系研究協議会との関係など、色々と書いてあります。 ご興味がある方はご覧ください。 秋田市の方々、ご存知でしたか? satakeshotengai.com/rekishi.…
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龍角散の関係者を騙った電話やメッセージ等があるようです。 身に覚えのない方からのメール等に記載されているURLにアクセスしたり、添付ファイルを開かないよう、お願い申し上げます。 わらび座のミュージカル上の設定を真に受け、嘘の情報を流しているグループがいます。不逞の輩にお気をつけを!
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現在の秋田市大町(菊乃丁)にあった龍角散を扱う当店の屋号は、井桁の中にヨ。秋田市ニューシティがあった近辺に存在しました。 古くは本金デパート(百貨店)があった場所。近くには旭川(あさひかわ)が流れています。 茶町の電話番号は223番ですが、大曲の本家の番号は13番だったようです。
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