東京龍角散秋田支局旧藤井薬舗というアカウントから、創業家は水戸藩出身ではない間違えるなと高圧的なコメントが届きましたと投稿している人がいますが、どうやったらそんな解釈になるのでしょうか? こちらは支局とつけておらず、高圧的に説教していません。印象操作しない。それでは弁護士は動きません。子供じみた悪戯はやめなさい!

Joined September 2021
現在の #秋田県 #秋田市 には、かつて #龍角散 の工場があり、大きな看板があったことをご存じですか?
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定期:ゴホン(ゴッホン)!といえば龍角散 この有名なフレーズは黒須田伸次郎先生の作。テレビ普及率が低く、まずは1951年にラジオCM、1953年にはテレビCMを積極的に流しました。 2代得三郎(米次郎)は広告戦略に信念を持っていました。 ※「ラジオが先」とは龍角散の古い資料を参考にしました。
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藤井家が六郷東根出身の8代目であるという事実はありません。実際には、佐竹藩に伝わる“とある薬“が龍角散の原型です。これに近い答えは、米次郎(2代得三郎)が色々と書いています。 他人の家のエピソードを全く違う話にすり替えようとしている特殊詐欺。 ※「藤井弦淵」は本人が投稿した原文のまま
Replying to @ctnrs768
当家では佐竹藩に上がっていったとされるメンバーは複数いたと伝わります。 お芝居の元となったのは、六郷の郷土史だと思われますが、六郷町史の原稿は、当時の秋田側、東京側が許可したものではありません。 そのため、現社長の父親はそれを知らず、自分のルーツ探しに秋田に来たことがありました。
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ただし、藤井玄信、藤井玄淵(玄渕)と名乗った久保田藩の医者が複数いたと考えないことには、話に矛盾が生まれてきますね。 龍角散のルーツは江戸中期。1797、若しくは1799年に藤井玄信が作った。 となりますと、藤井玄信(~1844年没、48歳)ではないですね。 皆さん、ここまではよろしいですか?
Replying to @fujiiyakuho
龍角散の藤井家について 六郷(美郷町)説まとめ ・国替えの時に秋田の六郷東根に移住 ・廃校となった六郷東根小学校の辺りに住んでいた ・1800年過ぎた辺りまで六郷に住み、大曲へ移住した 別のパターン ・国替え時に六郷東根に住み、大曲にも長くいた
それでは、これも久しぶり。 メディアの闇、不正、癒着、隠蔽、己の保身、談合、口裏合わせ、社内闘争、記者クラブ、そして裏切り(チクり)。 疑惑の先にいるのは?
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そろそろ、出てくる頃だと思っていました。 ここですね、2013年に無許可で「江戸後期、秋田県の美郷町に住んでいた藤井玄淵が~」って書いた新聞社は。 >秋田県美郷町六郷出身の医師藤井玄淵(~1827年)が~ この記事は無許可。この手のは、六郷の噂話をそのまま鵜呑みにしたパターンですね。
龍角散の喉あめ品薄状態 コロナ対策で「爆買い」「転売」 生薬栽培の秋田2町困惑 kahoku.news/articles/2023022…
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ただし、正確なところと致しまして、龍角散の原型となる薬があったのは江戸中期。それを藤井家が命令により、作ることとなり、1797年に藤井玄信が作ったとされます。 つまり、1844年に48歳没の藤井玄信とは別人ですね。となりますと、藤井玄淵ですらもう一世代前だと考えられますね。
※藤井家を六郷出身と書いているのは「六郷町史」のみ。 江戸中期に常陸国(茨城県)から大曲へ移住したと書いてるのは、丸山浩一(日本家系図学会常任理事。家系研究協議会名誉会長)さんの著書です。 他にも国替えの時、国替えの少しあとという説が存在します。
佐竹藩が湯川から甘草の苗を買ったのは1825年のことでした。 のち、佐竹義堯が末期養子となり、久保田(秋田市)に入るころ(1859年)には、秋田藩の薬草園は今の秋田総合病院の地に移されます。 このことから、秋田市ではこの場所を龍角散の生まれた地という人がいます。 mitinoku.biz/hist_walk/hist_…
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江戸時代~昭和初期にかけて、各地にあった龍角散を扱う店。主に直営店を載せています。 一方は藤井家に関する説を抜粋しました。
それでは、久しぶりに。当家が六郷(美郷町)出身の町医者で、のちに大曲(大仙市)に移住したという事実はありません。 本来の龍角散の原型となる薬は、久保田(佐竹)藩の秘伝薬でした。 「藤井家は、何代目かが医者になった」という昔の龍角散の資料と話が合わなくなります。
それでは、久しぶりに。当家が六郷(美郷町)出身の町医者で、のちに大曲(大仙市)に移住したという事実はありません。 本来の龍角散の原型となる薬は、久保田(佐竹)藩の秘伝薬でした。 「藤井家は、何代目かが医者になった」という昔の龍角散の資料と話が合わなくなります。
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