2025-12-28

死ぬまで孤独だった方がよかったんだね

21歳くらいまでは、人前でめったに泣かないような人間だった。家に帰ることがどんなに苦痛でも、殴られて叩かれてどれだけ身体が痛んでも、そのことを誰にも打ち明けられないことがどれほど苦しくても、涙は出なかった。私にとってそれらが日常であって、当たり前のことだったから。

悲しいから涙を流すという気持ちが一切理解できなかった。私の心はいつも憎しみと怒りでぎゅうぎゅう詰めなので、悲しみなんてものは定員オーバーで入らないのだ。

父親への憎しみと怒りを燃料にして走り抜けるような人生だ。今だってそうだ。私はいだって目を閉じると両頬を殴られ続けた小学生自分に戻れるし、自殺を試みた中学生自分に戻れるのだ。

そんな人間だったから、孤独であることも全く苦痛ではなかった。逆に孤独であることは誰から危害を加えられないことだと知っていたため、自分から積極的孤独になろうとしていた。1人だと安心できた。死ぬまで孤独で構わなかった。そうである予定だった。

親友と同じ家で暮らすようになってから、固まっていた心がどんどん弱くなっていった。朝は自由時間に起きられる。食事内容を決められることがない。手紙荷物勝手に開けられない。罵声に怯える心配がないまま夕食を食べられる。怒鳴り声を聞きながら眠りにつかなくて済む。これが普通生活なんだと思った。

私は20年間、毎日毎日覚悟を決めてドアノブを開けていた。家に早く帰りたくなくてバイトを詰め込んだり、放課後外をうろついて過ごしていた。私にとっての帰宅は、戦いに出るのと同じだった。

そんな私にとって、突然家が安心できる場所になった。怯えながらドアノブを開けなくて良くなった。そう気づいた時、心の柔らかい部分をフルスイングされたように、閉じ込めていたもの決壊して溢れ出すように、私は酷く泣いたし、辛くて辛くてたまらなかった。もちろん嬉しかった。嬉しかったが、安心できる生活を知ってしまった今、もう元の硬い心を取り戻せないのだという絶望があった。それが私にはとても悲しかった。

無条件に優しくされる喜びを知った。私が死のうとした時、心から悲しむ人たちがいることを知った。心配から怒られることがある、ということを知った。人に頼ることを覚えた。自分を傷つけない誰かと過ごすことは、一人で井戸の中にいることよりも幸福だということを知ってしまった。

ある日夢を見た。小学生自分、今の私よりも圧倒的に強い心を持っているその少女は私に言った。

「あの父親の子供なのに、幸せになろうと思うなよ」私の心はもうボロボロだった。

心の中の自分がずっと叫んでいる。

もうやめてくれ、これ以上私に幸せを教えないでくれ。憎しみと怒りにひたすら薪をくべるこの手を止めようとしないでくれ。やわらかくて暖かい陽だまりの下に連れていこうとしないでくれ。

期待させないでくれ。これ以上惨めな気持ちにさせないでくれ。差し伸べられた手に縋りつこうとする私を殺してくれ。1人にしてくれ。1人にしないでくれ。助けてくれ。

私の心の中はまだちゃん燃えている。私を動かすためにまだ燃えている。死ぬまで私は薪をくべる。最後自分が燃料になって、そのまま燃えてなくなる。このシナリオを完遂しなければいけないのだ。幸せになどなってはいけないのだ。地獄に行く時はどうせ1人なんだから。苦しまなくてはいけないのだ。自分自分であるために。

精神科入院することが決まった。また首を吊ったからだ。体裁任意入院だが、ほぼ措置入院のようなものだ。

来年の春には親友も遠い場所に帰るらしい。これでまた独りに戻る。それでいいのだ。そうでなければならないのだ。それが私なのだ

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