東京龍角散秋田支局旧藤井薬舗というアカウントから、創業家は水戸藩出身ではない間違えるなと高圧的なコメントが届きましたと投稿している人がいますが、どうやったらそんな解釈になるのでしょうか? こちらは支局とつけておらず、高圧的に説教していません。印象操作しない。それでは弁護士は動きません。子供じみた悪戯はやめなさい!

Joined September 2021
所謂、テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
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※藤井家を六郷出身(#美郷町)と書いているのは「六郷町史」のみ。 常陸国(#茨城県)から久保田(#秋田市)に入り、大曲へ移住したと書いてるのは、丸山浩一(日本家系図学会常任理事。家系研究協議会名誉会長)さんの著書です。 他にも国替えの時、国替えの少しあとに久保田へ来たという説が。
江戸の中期に龍角散の原型となる薬を気に入った佐竹の殿様は誰であったのか? どの資料にもそこが書かれていません。 時期的に久保田藩は佐竹義敦。 佐竹義堯と東京がつけた2代藤井玄信、正亭治らは生まれていません。 藤井玄淵ですらもう1代ないし、2代前ではないかと考えられます。
劇団わらび座様、龍角散、藤井家の関係者を騙り、龍角散の偽情報を吹聴したり、役所・役場・お寺等と勝手に交渉しようとしていたことが判明しています。 被害防止のため、偽アカウントのブロックをお願い致します。何かご存知の方は通報にご協力ください。
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〜と新聞にこう書いてあった 〜と言われているんですよ 資料には〜 ↑↑↑ 参考までに、資料に書いてあれば正しいのか?ということをいくつかあげてみました。
実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓
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実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓
龍角散の原型があったのは江戸中期。それを佐竹藩として創製したのが1797年だと言われていますので、玄信、玄淵を親子とするのには無理がありますね。 当家が六郷東根の町医者で、藩にあがるようになり、大曲に移住し、江戸にも出たという事実なし。 藤井家は江戸中期、または1805年には大曲にいる。
Replying to @mugichanomouze
根本的に国替えの後に秋田市に来て、江戸中期には大曲にいたとされます。 龍角散の原型が作られたのは寛政年間(1797年)であり、東京側が2代とつけた藤井玄信は産まれていません。 また六郷村に住んでいたとされる藤井貞民は1809年に死去しており、そこから現在の子孫は産まれません。
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龍角散の生家は知られてない?そりゃそうだ。 再掲載:わらび座様、龍角散の関係者を騙り、他人の経歴を査証し、出鱈目な情報を流している人がいることが確認されました。 特殊詐欺の可能性がありますので、怪しい問い合わせ等がありましたら、警察署、役所・役場、消費者センターへお願い致します。
This tweet is unavailable
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再掲載: 六郷町史、あんばいこう様の「食文化あきた考」、「あなたの知らない秋田県の歴史」の龍角散部分は無許可です。 本来の龍角散には、様々な説が存在するので気をつけてください。 諸説(所説)ありで対応しておけば安泰だったのに。
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再掲載:わらび座様、または龍角散の関係者を騙り、他人の経歴を査証し、出鱈目な情報を流しているグループがいることが確認されました。 #特殊詐欺 の可能性がありますので、怪しい問い合わせ等がありましたら、最寄りの警察署、役所・役場へ。 メールでしたら消費者センターへお願い致します。
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