芥川賞作家の素顔 多胎育児の分かち合い 【北陸の記者たちから】
【北陸3県 2025年の取材ノート】
もう会うことはできなくても 金沢総局・椎木慎太郎
金沢市の石川近代文学館が5月に展覧会「能登の文学者たち」を開いた。学生時代から気になっていた作家・西村賢太(1967~2022)と、西村が敬愛した大正時代の作家・藤澤清造(1889~1932)の直筆原稿などが展示された。
西村が「苦役列車」で芥川賞を受賞したときに、選評をネットで見つけた。「古い器を磨き、そこに悪酔いする酒を注いだような作品だ」
受賞作を読んだ。港湾労働に従事する若者が、映画や芝居の知的な話で盛り上がる同世代の男女に、自分のプライドを守るため罵声を浴びせていた居酒屋の光景が描写されていた。小さな自尊心でひとを傷つける姿があわれに感じたが、自分にも思い当たる節があった。
西村が石川と縁があることは金沢へ赴任する前から知っていた。この機会に西村の墓を訪れた。
心疾患で急逝した西村は、七尾市の西光寺にある藤澤の墓の隣に、生前に墓を建てた。取材に応じてくれたのは、住職の高僧英淳さん(73)。
「小説家とはもう付き合いたくないな」と笑う。西村の初期の小説「墓前生活」に登場する高僧さんは、初対面の西村に対して「軽い警戒の色がにじんでいた」と描写されている。「そんなこと思ってないのに。全部小説のネタになるんです」。自分の実体験に基づいた「私小説」というジャンルで作品を多く残した西村ならではの話だった。
寺の中で緑茶を頂きながら話を聞いていると突然、高僧さんが立ち上がり、寺の庭師に声をかけた。日焼けしないよう首まで隠れる帽子をかぶった庭師は、藤澤の親類にあたる、藤澤外吉さん(80)だった。
外吉さんは、西村と何度も酒を酌み交わしたことがあったという。「人を見る目が抜きんでていて、特徴をつかんで面白おかしく書ける人だった」。そして「根から真面目だった」と教えてくれた。高僧さんも「ジェントルマン、礼儀正しいし言葉も丁寧」と語ってくれた。
人を殴ったとして2度逮捕された西村についていた世間のイメージからすると、意外な人物評だった。作中でも、女を殴り借金を返さない主人公が描かれている。西村賢太という作家の素顔が謎めき、ますます魅力的に感じた。
西村はどんな人だったのだろう。もう会うことはできない。小説やエッセーに残された言葉を拾い集め、人柄に迫りたい。こうして自分の好きな作家が一人、また一人と増える人生であってほしいと思いながら、メモを走らせた。
現場へ行くと、新たな気付きがある。これからも街へ出て、人に会い、現場でしか見えないものを記事にしたい。
帰り際、伝えたことは 福井総局・本間沙織
「お母さん、今日までよく頑張りました」。双子の娘が7歳の誕生日を迎えた参加者へのねぎらいの言葉で、会場が大きな拍手と一体感に包まれた。
9月に福井県敦賀市で開かれた双子や三つ子などの多胎育児の支援を考える全国フォーラム。一般社団法人「日本多胎支援協会」の主催で、15回目の今年、福井が初めて会場となった。合わせて、支援のネットワーク「福井多胎ネット」も発足した。
全国からの参加者の多くは、自身が多胎児だったか、多胎育児を経験した人。登壇者の話に大きくうなずいたり、涙を流したりしていた。
私の脳裏にも、この12年間がよみがえった。
小学6年生になった息子は一卵性の双子。妊娠初期からの長期入院や胎児の手術を経て、2人は低体重で生まれた。
退院後、授乳やおむつ替え、泣き続ける2人の抱っこで寝る間もない日々が続いた。外出もままならず、社会から孤立していくように感じた。誰かに共感を求めたかったが、身近に多胎児や多胎児を育てた経験者はおらず、双子のサークルや集まりも見つけられなかった。
だけど、2人が日に日に大きくなり、できることが増えていくのがうれしい。家族で毎月の「誕生日」を祝い、ケーキを食べたり、記念写真を撮ったり。1歳になるころ、2人が「あー」「うー」と言いながら笑い合う姿を見て、それまでの不安や疲れも、吹き飛んだ。
共感を求めていたのは大変さだけではなかった。喜びも、分かち合いたかった。
福井多胎ネットは、経験者や専門機関の連携で、母親の妊娠期から育児期まで、多胎児を育てる家庭への切れ目のない支援をめざす。
あのころ、そんな支援とつながれていたら。
私もお手伝いしたい。フォーラムの熱量に圧倒され、帰り際、メンバーに「仲間に加わりたい」と伝えた。
福井多胎ネットでは今、経験者たちに、多胎児を育てる家庭を訪問して負担を和らげる「ピアサポーター」になってもらうことや、妊娠期のプレ育児教室、多胎家庭の交流イベントなどを計画している。
息子たちは来春、中学生になる。足のサイズは私よりも大きくなり、じきに身長は追い越されそうだ。