7. BBD問題の核心(だと私はずっと思っているが、他の制作者はどうなの?)

ここまで、4.〜6.について、SNSや識者による様々な議論の争点とされていることについて考えてきた。しかし、私がドキュメンタリー映画の作り手として一番深刻に捉えている「BBD問題の核心」について、まだしっかり書けていない。それをこの章で書いてみようと思う。

私がこの問題についてなぜここまで「記録しておくことが大切だ」と思っているかといえば、この問題の核心において、すでにこれが「不可逆的に被写体の被害が確定してしまった作品」である可能性が極めて高いと考えているからだ。「日本修正版で何がクリアされたのか」という議論にSNSでは終始する方達が多かったように見受けられたが、そこは実作者の視点からすれば本質ではなく各論だと思うのだ。

2025年2月の会見。その時、会見にはドクターストップがかかり出席出来なかった(それを責める方達もいたが、その点は私は断固否定したい。体調が悪い人は、休むべき)伊藤さんの声明では「謝罪と、今後の対応」において「最新バージョンでは、個人が特定できないようにすべて対処します。今後の海外での上映についても、差し替えなどできる限り対応します。」と書かれていた。

その後の報道でもこの部分が主に取り上げられたし、多くのバトルフィールドでの言葉も、CCTVについては今後どうなるか分からないが、とりあえずこれで他の被写体の問題は解決に向かうのだろうと思った方がほとんどだったと思う。

3.の経緯でもピックアップしたが、元弁護団が2月の会見で冒頭から繰り返し述べていたのは「現在57の国と地域で展開されているBBDについて人権と倫理の観点から必要な議論を」「決して日本での上映に向けた再編集だけを求めているものではない」という事だったので、なおさら伊藤さんの「今後の海外での上映についても、差し替えなどできる限り対応します」という声明が重要な部分として語られ、また受容された。

私が最も制作サイドに求めたい「説明責任」は、この海外版における修正がどのように進められているのか?
という点だ。しかしながら、この点に限って、伊藤さん側からの説明が、2025年12月末現在においても全くなされていない。上映開始日に伊藤さんが一気に公開された4つの文章も、日本版についての話しか語られていない。2月の声明以降、日本公開の12月までの10ヶ月の間に、海外版差し替えがどう進展したのかについては一切語られていない。元弁護団が一貫して求めてきたのは、その部分での「人権と倫理の観点から必要な議論」である。

改めて、3.の経緯にも載せた日本上映前日の西廣さんへのインタビュー記事を確認すると、この期間の動きが把握できる部分が本当に短く語られている。https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/900179746.html?utm_source=chatgpt.com

「6 月下旬以降、こちらから映画について問い合わせをしても、「海外向け配給権を譲渡したので把握していません」等の返事の繰り返しでした。」

私はこの返答を記事で読み、衝撃を受けた。

ここで用いられている「譲渡」という言葉が、法的にどの範囲の権利移転を指しているのかは明示されていない。配給権を「売った」とはよく聞くが、あまり「譲渡」という言葉は使わない。
この経緯と文脈でこの表現を伊藤さん側弁護士が使ったのだとすれば、製作側が海外配給に関する実質的なコントロールを失っているという説明として機能しているとしか読めない。

なぜこの段階での、この回答が私にとって衝撃だったのか。
それは「海外向け配給権を譲渡」したのは、最初の元弁護団会見(2024年10月)よりも更に以前の話だからだ。

SCREEN DAILYは2024年5月16日付けで「Sundance documentary ‘Black Box Diaries’ locks in major sales」という記事を報じている。https://www.screendaily.com/news/sundance-documentary-black-box-diaries-locks-in-major-sales-exclusive/5193464.article?referrer=RSS
英語記事だが、記事タイトルを訳すと「サンダンス映画祭のドキュメンタリー『Black Box Diaries』が大規模な販売契約を成立」となる。
内容を要約すると、ロンドン拠点のドキュメンタリー専門会社 Dogwoof が、BBDのサンダンス初上映に伴い複数の国・地域で国際販売契約を成立させたこと。そして各国で配給/放映権を取得した会社名が並んでいる。つまりセールス・エージェントのDogwoofが、BBD製作から委ねられた海外配給権を元に、各国の企業とどんどん契約を結んでいる(それだけこの作品が大規模に評価され広がっている)という状況を伝える記事だ。米国の配給権はMTV Documentary Filmsが持っていて、それは既に発表済みとも書いてある。

映画祭というのは国際マーケットの入口で、サンダンスでの評価が得られた作品は、その映画祭で既にセールス・エージェントがつく場合が多い(この辺は映画関係者なら知っているが、観客はよく分からない部分なのかもしれない)。ごく普通に業界的な常識で考えれば、サンダンスの前後(2024年1月前後)ですでに(普通はその映画祭の現場で交渉が進み)、DogwoofがBBDのセールス・エージェントについていたと考えるのが自然だ。

ここまでの事実関係を踏まえれば、問題の所在は私にとっては明確である。
伊藤さん側の弁護士が、元弁護団からの問い合わせに対して「海外向け配給権を譲渡したので把握していません」と回答を繰り返したことの意味は
「サンダンス版(つまり未修正オリジナル版)での海外配給権をDogwoofに譲渡しているので(=BBD製作側がコントロール権を手放しているので)その分については、もう差し替え出来ません(諦めてください)」
だとしか読めない。他の合理的説明を見出すのが極めて難しい。

私には、元弁護団が「何も解決していない」と言っていることの一番の意味はこれだとしか思えない。BBD製作側とDogwoofの間でどのような契約が結ばれて「しまった」のかは分からないが、セールスの論理としては、既に各国に販売してしまった作品は「locked picture(完成版)」として契約され商品化されているはずで「内容修正」は相当にハードルが高いだろう。セールス・エージェントとしての信用問題、責任問題に発展するリスクが高いからだ。セールス・エージェントは「全ての素材について、本人や関係者の許諾が取れている」ことを前提に海外に作品を展開する。

だとすると「今後の海外での上映についても、差し替えなどできる限り対応します」という伊藤さんの2月の声明は、なんだったのか。
私は「海外配給においてもある程度は修正可能な契約を結んでいたのかな」と2月当時は考えていた。

しかし、既に分かっていたこと(海外配給権を譲渡)を、6月に元弁護団に返答し続けているなら、元弁護団にとって伊藤さんの2月の「今後の対応」の文章は、本質的に全く無意味な言葉でしかなかった事になってしまう。

伊藤さんは、そして文章をチェックしていて然るべき立場のエリックは、伊藤さん側弁護士は

契約内容を正確に理解した上での発言だったのか
理解していなかったために生じた発言だったのか
あるいは、理解していた故に、批判の回避(と忘却?)を目的にミスリーディングを誘導したのか

そのいずれであっても、明確に説明する責任が私はBBD製作陣にはあると考える。本来なら日本公開前にこれらの説明責任が果たされなければ「公開プロセスを進めること自体が不誠実」だと思うし、会見でもこの点が最初に「問われなければならない」「問われなくとも自ら説明しなければならない」部分のはずだ。
「日本版において施されたあらゆる修正」が何も反映されていない「サンダンス版」が、世界標準の作品として今後も残り続け、製作側がその修正を「そもそも諦めている/もしくは契約上不可能」なのだとすれば、それはどう遠慮がちに言葉を選んでも「不可逆的に被写体の被害が確定してしまった作品」だとしか、私には書けない。そしてその被害は、もう取り返しがつかない。

百歩譲って伊藤さんはBBDが初監督作であり劇場公開経験すらなかった人だ。セールス・エージェントに海外配給権を渡すということがどういう事なのか、サンダンス前後の時点でどれほど理解していたのかは分からない。しかし、BBD製作チームにいる「プロ達」は、確実に理解していたはずだろう。
「サンダンス版がこの作品の決定版として世界に残る」という事を。

サンダンス直前に初めて連絡を受け、元弁護団が自分たちの出演シーン(電話音声除く)と監視カメラ映像を確認した時には「タクシー運転手」「捜査官A」「集会に集まった女性達」「西廣さん音声」の問題は、知る由もなかった。
未修正版として多くの問題を抱えた作品が(問題ないのだとすれば、日本版だけを修正する道理が立たない)、世界に公開され、その修正は今や現実的には不可能だとしか思えない。

これが、一人の現役のドキュメンタリーの作り手として考える、BBD問題の本質であり、核心だ。
(これを読んでる制作者の人がいるのだとしたら、どう思いますか?)

1.にはっきりと書いた。私はこの文章を書くことで伊藤さんたちを糾弾したい訳ではない。
しかし明確に考えを書き残したいのだ。どこが引き返せるポイントだったのか、と。

2025年末、「日本版」は大盛況のようで、著名人なども観客として足を運んでいるようだ。
私の知人が舞台挨拶に登壇していたり、観るべきだと感想を書いたりしているようだ。


私の心は空洞だ。


作り手の多くがこの問題について何も言葉を発さない中、私の頭がおかしくなったのかなとも本気で思う。
私はこの映画と同時代に生きる、現役のドキュメンタリー映画の作り手の一人として、ここに記しておきたい。


映画祭に「応募」する前に、いや、編集をロックする前に出演者の確認と同意を得なければならない

許諾がとれなければ、その素材は元々なかったものとして再構成しなければならない

映画祭に応募して招待が決定した後には、「私たちは」倫理的な判断が鈍る

作品が映画祭で、劇場で、配信で高く評価されるほど、「私たちは」引き返す選択が出来ない

セールス・エージェントとの契約において「恒久的なFINAL CUT修正権」を私たちは手放してはならない

被写体との問題が解決しないままに、映画公開プロセスを進めてはならない


そして最後に、この映画から「奪われた」方がいるのだとしたら伝えたい。
観客による絶賛の嵐という最大の抑圧の中、沈黙を強いられてしまう方がいるのだとしたら伝えたい。

 映画の評価や公益性が、どれほど素晴らしいものであろうと。
「職業倫理」の問題を映画の作り手には問わず、あなたにだけ問う心ない声がどれだけ響こうと。

「あなたは何も悪くない」
「あなたの不同意は尊重されなければならない」

全てのサバイバーに伝えたい言葉と同じく。
私はドキュメンタリーの作り手として、心からそう思う。
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