タイプライターの軛
自作キーボードを手掛ける者の端くれとして、どうしても意識してしまうこと、それは、キー配列ではないだろうか。我々は何気なくロウスタッガードとQWERTYというタイプライター由来のキー配列を使っているが、自作キーボードの沼にどっぷり漬かっていると、おのずと、これが最善の配列だろうかという疑問に遭遇することになる。
ロウスタッガードからカラムスタッガードへ
人類がタイプライターを使い始めてからもうすぐ200年。この間、ずっとロウスタッガードのQWERTY配列を使ってきている。タイプライターはキーが各段ごとに水平方向に少しずつズレており、これをロウスタッガードと呼ぶ。その理由はタイプライターが文字の刻印を一字ずつ紙に打つときに刻印が先端に付いたハンマーが干渉しないようにするという機構上の必要条件であった。QWERTYの配置についてはタイプライターのセールスマンが、いかに素早くタイピングできるかを顧客に見せるとき、"typewriter"と打つのに同一の1段のみで打てるようにしたというのは有名な一説である。これらのキーボードにまつわる昔からのしがらみが、コンピューターの入力端末となった今日まで営々と引き継がれている。
よく考えてみれば、ロウスタッガードは縦にキーを分割していくと、上段になるにつれ、左側に約15度傾いている。運指の面では人間は無意識にこの約15度を覚えていて、正確なキーを打つことができる。
真に快適な入力環境へ
多くの人が自作キーボードを手掛けるようになって、カラムスタッガードのキーボードが巷に増えてきた。上段のキーに指を運ぶときでも、まっすぐ上に指を運べば良く、指の疲れにくさの面ではこちらのほうが優れているように感じる。
しかし、そう簡単にはカラムスタッガードのキーボードへの転換は進まない。人間はタイプライターの軛(くびき)から離れられずに指が勝手に約15度のズレを動かしてしまう。ネットで調べても多くの人がこのレイアウトの違いに戸惑い、タイピング速度・精度が落ちたと悩みを吐露している。私も誰かに相談したかったが、世の中の大勢はそんなことに頓着していない。その一方でシンプルなカラムスタッガードのキーボードの新モデルが日々登場している。私の場合、これは決して見栄えの良さとか流行とかではない。入力効率の追求である。
人類はもうそろそろこの軛から解き放たれてもよいのではないだろうか。私は思い切ってCorne V4 Cherryを導入してカラムスタッガードへの転換を始めた。
各縦列毎に上下にずれている
「何を大げさな」と言わないで欲しい。実際、私はCorneを仕事場に持ち込み、仕事でも100%使用した。当然、タイプミスは頻発し、私が書いたプログラムコードの中には誤字が混入し、バグ取りのため貴重な時間を費やした。その甲斐あって約1ヶ月で従来のキーボードとほぼ同等の快適さ、正確さでタイピングをすることができるようになった。また、各段に指を移動させる時の約15度のズレが無い分、指の左上方も右上方も均等に広大な空間を感じる。長時間タイピングの仕事をしていても疲れを感じることも少なくなった。特に私の場合、親指シフト入力なので、両手ともキーボードの中央3段のみで指が移動し、かつ40%キーボードなので、ホームポジションから指が離れる距離は必要最小限で、相性が良い。加えて分割型のため、肩の凝りや脇汗からも開放された。
しかし、その見返りとして、従来のロウスタッガード型キーボードに戻ったとき、逆にうまく打てなくなってしまった。困るのは出張の時などキーボードを持ち歩いていない時にノートパソコンのキーを打たざるを得ない時、苦労して入力することになる。しかしそれも限られた時間に過ぎず、私の限りある残された時間は、より快適なカラムスタッガード型キーボードと付き合っていったほうが有益と判断した。長い出張時はキーボードも持ち歩こう。カラムスタッガード型はCorne V4 Cherryの他にもトラックボール付きのKeyball44も入手し、QMK firmwareによる親指シフト化を完了し仕事場と自宅の両方で快適な入力環境を整備した。もう私の決心は変わらず、これからはカラムスタッガード1本でいこうと思う。
トラックボール付きだが、Corneとの操作性の違いはほぼ無い
でも、これまで代々使用してきた家にある7台(うち3台は自作)のロウスタッガードキーボードはどうしよう。純正親指シフトキーボード, Realforce, HHKBもある。3台の自作キーボードはいずれもQMK firmwareにより親指シフトキーボードとして利用できる。人類の多くがカラムスタッガードの快適さに気づく前に、それぞれの次の主を見つけることにするか。
それでもタイプライターに憧れた
米国を震源地とした世界恐慌が起こった時、文壇はフィッツジェラルドの耽美な表現力から、乾いた、単純な筆致で現実を象るヘミングウェイへと重心が移って行った。ヘミングウェイはキーウエストに滞在しタイプライターで執筆活動をしていた。私は中学生の時、ヘミングウェイの文体に憧れ、タイプライターに憧れた。ラジオではオリベッティのタイプライターのCMが盛んに流れ、カタログを取り寄せては飽きずに眺めていた。特に赤いバレンタインに心を奪われた。結局買わずに終わってしまったけれど、私のキーボード好きと拘りは、この頃から始まっているのだろう。
最後にトップフォトの提供を頂いたaoinatsuyagi様に感謝の意を表したい。素晴らしい写真をありがとうございました。



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