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自称リベラルの「反省」が見られない件

高木俊介先生が、下記の記事を紹介されていました。

これは無視できないと思い、今まで敬遠していた日経電子版に登録して、読んでみました。

内容は7月28日のフィナンシャル・タイムズに掲載された記事の和訳となります。
いろいろと興味深い指摘がありますが、ひとまずコロナ騒動において露呈したリベラルの不寛容さについて触れた点を引用しておきます。

西側諸国のリベラル派の第2の欠陥は不寛容さだ。
米国のリベラル派の不寛容さは新型コロナ禍で際立った。
(中略)
新型コロナ禍の経験を無視して、これほど多くの若い有権者がなぜ右傾化しているのか理由を調べるのは時間の無駄だ。

リベラル派は「科学に従え」と主張したが、科学への信仰と混同していた。科学とは試行錯誤の過程であり、異論に耳を傾ける余地があってこそ成り立つ。これは大学のキャンパスでも新聞社、シンクタンク、社会全体での議論でも重要なルールだ。
多くの若い有権者、特に男性には今のリベラル主流派は保守派のように思える。高学歴のエリートがあるべき発言や行動規範を作り、押しつける。
拡大している宗教は他の宗教から人を取り込もうとする。衰退の途にある宗教は異端者らを追い詰める。西側の今のリベラリズムは、その行動も考え方も危険なほど後者に近い。

リベラリズムの今の姿を「衰退の途にある宗教は異端者らを追い詰める」とまで表現するのは、なかなか痛烈です。

以下、手前味噌な引用をしておきます。

嫌な気分にはなりますが、正直、コロナ騒動時の4年ぐらいの間に経験した、マスコミ・政府・知識人・同業者(医師)に対する嫌悪や怒りに比べると大したことはないのです。
あのころの多数派による圧力と、それにより被害を受けた人々の数とその規模に比べると、ネット型政党の言説に伴う被害はまだ小さいやんか・・・という思いがどうしても消えません。
だから、見ないふりをしている人が多くて不思議なのですが、
コロナ対策禍とワクチン禍におけるミスリードを、リベラルを気取る知識人も、一部を除く新聞・テレビも、本気で反省どころか総括すらしようとしないことが、ネット型政党が増幅している原因として間違いなく大きいと、ずっと思っているんですけどね。
そもそも未だにミスリードしたとすら考えていないのかもしれません。

もともとコロナ騒動前からネット型政党が目立ち始めていたことは承知しています。
でも、コロナ騒動時に生み出されたマスコミと自称リベラル知識人に対する大きな不信感が、ネット型政党を増強させているのでは?と考えることは、それほど不自然なことではないと思うのです。
ネット型政党が、あの時の自分達に失望した人々の受け皿になってしまっているのかもしれない・・・と彼らは考えないのかな、といつも不思議に思いますが、この考えも彼らにとっては陰謀論なんですかね?

リベラルの凋落について、マーク・リラという政治哲学者が2017年に発表した「リベラル再生宣言」という本で、以下のように指摘していたことを思い出しました。
国が違えば文化も違います。しかし、以下の引用文を「アメリカ」を「日本」に置き換えて読んでも、何ら差支えないように感じるのです。

リベラルが争点とすることと、国民の多くが日々の生活の中で実感していることの間には乖離がある。
ところが、ロナルド・レーガンが政権に就く頃から、アメリカの右派は国民の実感に近い提案をするようになった。
(中略)
生活の実感に近いというイメージが彼らの強さの源になっていた。
アメリカ国民が自分たちに対しどのようなイメージを抱くか、ということを考えるのをリベラルは放棄してしまっているのだ。

リベラルがアメリカ人の心をつかみ、国を動かす大きな力になるには(中略)あらゆる立場のアメリカ人が共有できるビジョンを提示しなくてはいけない。
リベラルがまず一市民であることが大事だ。市民として市民に語り掛けることを学び直さなくてはいけない。
(中略)
私は仲間であるリベラルの人たちに、現在のような国家間を持っていてはいけないと訴えたい。(中略)全体を見ない今までのやり方を捨て、新しい方法を取り入れなくてはいけない。

私たちは、誰一人取り残されることのないようにするために団結しなくてはいけない。
私たちは全員がアメリカ人であり、互いに助け合う存在だ。
リベラリズムとは元来、そういう考え方である。

ところが、以上のような指摘が2017年にリベラル派から出ていたにも関わらず、何の反省もなかったようです。
反省のないままに2020年のコロナ騒動を迎えてしまい、その渦中で、彼らが市民(運動家が口にする「市民」とは異なる)に語り掛ける気など全くないままに、多くの人々を抑圧する規範を押し付ける姿を見せつけてしまいました。
誰一人取り残さない」とか立派なことを言ってたくせに・・・と、信頼を失って当然です。
その結果、彼らに見えている「弱者」は全体のほんの一部の酷く限定された属性の人々でしかない・・・という何となく共有されていた彼らに対する疑念が、確信に変わってしまったのでした。

今回も、ようやくリベラル側から上記記事のような指摘が出たにも関わらず、特に反省されることもないのでしょう。
リベラルを気取る人間って、エコーチェンバーとかフィルターバブルという言葉を使って、他者を蔑むことを好む傾向がありますね。
でも、こういう鈍感さをみるにつけて、それらの罠にはまり込んでいるのは君ら自身やないんか?と思えて仕方なくて、甚だ滑稽ですね。
まあ、ある意味、幸せな人々なのかもしれませんね。

アブラハム・リンカーンが以下の言葉を遺しています。
いつの発言かわからないが、リンカーンが生きた時期を考えると19世紀前半~中ごろの言葉なのでしょう。
別に人類は今さら劣化した訳ではなく、「昔から人間はそういうものだった」、ということが示唆される発言だと思います。

民衆の感情はすべてである。民衆の感情を味方につければ、何も失敗しない。反対に、民衆の感情を敵に回せば、何も成功しない。民衆の感情を動かす人は、法律を作る人や裁判で判決を下す人よりも、大きな力を持つことになる。

「感情」は「信頼」と言い換えてもいいように思います。
これらを重視する方法を「ポピュリズム」と鼻で笑って馬鹿にしている限り、リベラルが再び影響力を持つことは無理でしょう。
個人的には、リベラリズムの思想は保守思想と同様に、バランスの取れた判断を模索するために重要だと思っています。
なので、もう少しでいいから蛸壺から出て来て頂きたいなぁ、と思いますが・・・



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