一命を取り留めたシャチの赤ちゃん

話の肖像画 鴨川シーワールドの獣医師・勝俣悦子<26>

シャチのステラ親子(鴨川シーワールド提供)
シャチのステラ親子(鴨川シーワールド提供)

《シャチの「マギー」が国内で初めて飼育下で妊娠し、平成7年に出産のときを迎えた》

シャチもイルカ同様に定期的な血液検査を行い、性成熟や妊娠が分かるようになっていました。マギーという名には、鳥羽山照夫館長の「早くお母さんになってほしい」という願いが込められていました。

7年3月、みんなの期待を背負っていたマギーは出産しましたが、残念ながら国内初の飼育下繁殖の赤ちゃんは生後30分で亡くなりました。国内の飼育下でシャチが初めて出産したのは昭和57年の江の島水族館(現・新江ノ島水族館、神奈川県藤沢市)で、母シャチは搬入以前に妊娠していました。赤ちゃんは生後83時間で亡くなっています。

《その後、シャチ「ステラ」の妊娠が判明し、平成10年1月に出産した》

ステラの体温が下がり始めたので、いよいよ「ワッチ」(観察)が始まりました。マギーの出産では分かっていませんでしたが、シャチもバンドウイルカと同様に分娩(ぶんべん)の1日前には体温が通常より約1度下がることが予想されたのです。この現象は、分娩時の同居個体選定、分娩の進行、赤ちゃんにとって安全なプールの準備などにいろいろな恩恵をもたらしました。

1月11日午前5時過ぎ、ステラの生殖裂から小さな尾びれが見え始めます。そこから3時間ほどかけて、ようやく赤ちゃんの全身が出てきました。

ところが、産み落とされた赤ちゃんはスーッと水底に沈んでいきます。シャチの赤ちゃんは水面まで自力で泳ぎ、呼吸をしなければ生きていけません。出産を終えたステラに、赤ちゃんを気にする余裕はありません。

《そのとき、オスのシャチ「オスカー」が動いた》

ステラが安心して産めるようにと、出産はメインプールにステラ単独でと準備しました。赤ちゃんの父親「ビンゴ」は隣のサブプールに移していました。しかしステラは小さいころからプールに1人きりになるのが好きではなく、オスカーのそばを離れようとしなかったため、同居のまま出産が始まったのです。そのオスカーが、沈んでいく赤ちゃんに向かって泳ぎ出します。こちらはなすすべもなく、見守るしかありません。

追いついたオスカーは、赤ちゃんの頭を軽くパクッとくわえるような動きをしました。すると、赤ちゃんがその刺激に反応したのか、尾びれを動かして水面に向かって泳ぎ始めたのです。パッという最初の呼吸音が聞こえ、私たちは思わず歓声を上げました。

シャチの飼育下での繁殖は始まったばかりなので、オスカーが赤ちゃんを助けようとして取った行動だったのかは分かりません。海にいたころ、群れの中で何かを見て学習していたのかも、などいろいろなストーリーが浮かびます。

《赤ちゃんは一命を取り留めたものの、ステラは子供に関心を向けない》

シャチは年長のメスをトップとする母系の群れ(ポッド)で暮らす生き物です。当館にきたときにまだ幼かったステラは、群れの中で他の母親が子育てをする姿を見る経験がなかったのかもしれません。

大きなオスシャチがやってきたら、ステラは赤ちゃんを守ろうとするかもしれないと、サブプールとの間にある水門が開かれました。もしもビンゴが赤ちゃんを攻撃したら大変なことになるので、みんな固唾をのんで見ていました。

ビンゴはスイーッと入ってきましたが、メインプールを1周するとさっさとサブプールに戻ってしまいました。びっくりしたのはビンゴの方だったのかも。事故が起こらなかったことはホッとしましたが、早くステラに授乳してほしいと焦りが募ります。(聞き手 金谷かおり)

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