学生から石田一派への新たなメッセージ
本メッセージは、MSLの隊列に戻った学生の仲間・Fによってこの間、新たに書かれたもの。石田一派に対して以前に送ったものではない。以下メッセージ本文。
首都圏学生・Fからのメッセージ
【1】執筆者から見た事の推移
突如「蜂起」が始まった。ものの数日で決まったという「蜂起」だ。石田を党の役職から解任し、自己批判に専念させるという、党が決定した処分に抗った蜂起だった。石田が行った犯罪は、被害者が自殺未遂をするにまで至った悪質な性犯罪である。性犯罪の悪質性は石田自体が認め、自己批判していた。経緯や証拠についてはすでに記事が上がっているため、そちらを参照願いたい。
また、後でガタガタ言われたくないので言及しておくが、ここ数年、私は大学院受験のプレッシャーや生活の維持が困難であったことから、半離脱状態で、デモ等の出られる行動には出ている、といった状態だった。思想上の不一致があったわけではなく、仲違いをしていたというわけでもない。
私視点から事件を追うと以下の通りである。全学連大会を目前にして、私達が用いている連絡グループ名に「新生」という冠がつき、新たな紙面を発行するような話が出ていたことから、また新しい活動でも始めるのだろうか…と思い静観していた。その折、ツイッター(現X)上で、「前進チャンネルが消えた」と話題になっていたことから、もしかしたらYoutubeの運営にBANされたのか、と思い、連絡を入れた。今までガサがあってもチャンネル自体は存続していたことから、よほどのことがない限りは突然削除するはずはない…。既読はついたものの、相手方から特に説明はなく、モヤモヤしたまま時間が経過していった。
そんな私宛に突如送られてきた文章がこちら↓
(9月12日)
今見返すと、このやり取り以前に、党の同志から事態の一次報告がなされていたとわかるが、冒頭の通り、半離脱状態の私には何が起きているのか理解ができなかった。
そして送られてきた2つの文書。文書の冒頭には、賛同者として、今日まで活動の中心を担ってきた人々の名が連なり、学生戦線の方針は固く一致しているのだと思った。後日、党に残った同志から、この賛同は数時間程度の面談でとりつけたものであることを聞き、唖然とした。私は、そもそも何が起きているのか十分に理解ができず混乱していたため、このままの流れで行くと私も党に反旗を翻すことになるのか、といったことくらいしか考えておらず、実際、もし党に残った同志からの説得がなければ、人情に流されて石田一派の一人としてできる活動を行っていたことだろう。
事の悪質さはここにある。いくら私が半離脱状態だったとはいえ、党に反旗を翻すほどの行動を起こすのであれば、事情や経緯を十分に説明する必要がある。また、自分たちの蜂起についてきてくれるのか、あるいは党に残るのかの選択を迫るべきでである。さらに、特に意思表示をせずに漂流している分子が、直ちに石田一派として数えられるような構造になっていた。そして、今回の全学連大会(2日開催を突如変更し、2日目を石田一派内々の会合に変質させたらしい)で結集した人は、石田一派としての活動を余儀なくされている。果たして、全学連大会で結集した人は、石田の性加害や矢嶋らの「蜂起」に感銘を受けて加入したのだろうか。それまでの全学連や、革命党の理論や運動に感化されたのではないだろうか。半離脱状態の人や、新たに結集した人が、直ちに蜂起側に与することになる構造は到底おかしいと言わざるを得ない。
なお、2枚目の画像における、「前進は送られてきていますか?」という問いかけについては、私がどちらの側につくと考えているのかを確かめる観測気球の役割を担っていたのではないかと考えている。周知の通り、石田一派はもう既に前進社を追い出されている。私に『前進』を送付していた人が、いまや石田一派にいることは、メッセージを送ってきた当該が関知しているはずだ。一体だれがどうやって私に『前進』を送っているというのだろうか。彼らに与しない者に対して積極的にオルグするでもなく、その後まったく音沙汰はないのである。
【2】石田一派の欺瞞性
本件について、私が異常に感じたのは以下の点である。
第一に、今回の蜂起における石田の立ち位置だ。なんと、全学連大会に石田が参加していたという。石田が大会後の交流会にも参加していたという証言もある(被害者は石田一派側である立場上否定している)。今回の全学連大会は、当初二日間の日程で行われるはずであったが、突如、二日目が石田一派の内々の会議と化すに至った。蜂起に疑念を抱く者、反対する者は排除された。大衆を交えた行事である全学連大会を私物化したと言っていいだろう。
また、当該蜂起は、ほかの誰でもなく石田が計画を練っていたことが明らかになっている。誰を自陣に引き入れるべきか、どのように行動するかを計画したメモが、石田らが前進社から追い出された当日、石田のデスクから発見されたという。筆跡や略字が石田のものである。自身が犯した犯罪に対して真摯に反省しようとする当人が、いったいどうして蜂起の計画を練ろうというのか。自責の念や懺悔の心はあったのだろうか。
第二に、石田と被害者は現在も同棲しているというのだ。石田一派は、性加害者である石田と、彼によって自殺未遂に至るほど追い詰められていた被害者を、一時的にでさえ離別させていない。被害者自身は、自殺未遂に関して、「あれは他人を利用するための手段に過ぎなかった」と回顧している。しかし、通常、自殺未遂は、実際に自殺に向けて行動に着手している状態である。自殺未遂は、行為が実際に死に至りうるかの可能性の大小にかかわらず、非常に自殺のリスクが高い状態とされる。それにもかかわらず、被害者を自殺未遂に至らしめた石田との関係性をなおも存続させ続けているのは、異常としか言いようがない。さらに、被害者は現在、組織の重要な役職を担っている。通常、数年間にも渡る性被害に遭い、自殺未遂をするに至るほどの精神状態にまで追い詰められた人を、なお責任が伴う役職を担わせるだろうか。たとえ本人が希望していたとしても、何が何でも休ませるということが、本来周囲がするべき対応ではないだろうか。そうした周囲の対応からも、彼らが真に被害者のことを気にかけているとは思えないのである。なお、石田曰く、石田とともに蜂起して前進社を追い出された学生らは、「みんなホームレス状態になっちゃった(笑)」という。石田と行動をともにしている学生は、何を想って石田を支持し、支えているのだろうか。
第三に、石田一派独自の路線が見受けられないということである。蜂起とは通常、組織に対して反旗を翻すほどの大義があるのが常である。それにもかかわらず、石田一派からは、党の「綱領」ともなりうるイデオロギーが、まったく発露されていないのである。彼らは、中核派が最も結集に力を入れている、「11.2全国労働者総決起集会」への結集を方針から削除した。代わりに掲げられた方針は、10.7パレスチナ蜂起への連帯と10.21スタンディングであった。その後、「12.27東西統一反戦デモ」を行うとしている。石田一派は、国鉄労働運動や三里塚闘争に「連帯」しようとしたが、労働者の怒りを前に、一悶着を起こして退散することしかできていない。また、彼らは「11.2全国労働者総決起集会」に参加しようとしたものの、これも労働者の怒りによってものの数分で会場前を後にした。党に対して蜂起したはいいものの、独自の路線を打ち出すことができないのが実情なのではないだろうか。結局、中核派が力を入れている運動にしがみつくことしかできないというのであれば、一体何のために蜂起したのだろうか。甚だ疑問である。
【3】最後に
性犯罪を行った石田は、自身の処分を免れるために蜂起を企て、全学連大会を私物化し、ものの数時間の事情説明のもとで学生に連帯の表明をとりつけて蜂起させた。そこには大した戦略やイデオロギーもなく、ただ学生を路頭に迷わせた。そして、自身は被害者と同じ屋根のもとでぬくぬくと日常生活を送っている。これでは石田について行った学生が不憫に思われるかもしれない。しかし、彼らは彼らで、いまなお石田に対して連帯を表明し、行動をともにしているのである。
石田一派は、社会を根底から変えようと決起した人々の溢れんばかりのエネルギーを、石田の保身のために利用するのを直ちにやめるべきである。石田免罪以外の理論を持たないからといっても、既存の運動にしがみつくのをやめるべきである。何よりも、党に対して蜂起しているのならば、これ以上「全学連」の名を騙るのをやめて独自のグループ名を立てるべきではないだろうか。一応、「全国学生自治会総連合(矢嶋委員長)」を名乗ってはいるが、前進社から持ち逃げした旗をそのまま利用するのは、この上なく紛らわしいためやめてほしい。
最後に、石田一派に残っている学生に述べたい。石田一派の惨状や今後の展望に限界を感じたならば、自己批判をして党に復帰してほしい。高市は、台湾有事に関して、「存立危機事態にあたる」と、中国侵略戦争に関与することを明言した。安保三文書や非核三原則は書き換えられようとしている。日帝が主体的に中国侵略戦争にのめり込んでいく情勢で、石田一派のために行動をする理由は一つもない。
私は、昨今の情勢のこれ以上ない緊迫と、プロレタリア革命の必要性の意識から、現在活動に復帰している。そして、限りある時間や体力の中で活動に身を投じることの困難さを改めて痛感している。今まで半脱落状態であったり、活動に消極的であったことに関して申し訳ないと思っている。
そのうえで、私は問いたい。諸君は共産主義者としての一生を石田に利用されて終えるつもりなのか。溢れんばかりの情熱とエネルギーは、この先まったく展望のない石田一派の活動のために注ぐのではなく、全プロレタリアートのために注ぐべきだ。今一度、革命のためにともに行動できる日が来ることを願っている。


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