違和感や疑問を抱いている人が少なくないだろう。裁判のやり直しをめぐる法制審議会の議論のことだ。
死刑の恐怖に数十年もの間さらされ続けた袴田巌さんの再審無罪が確定したことを一つのきっかけに見直しが始まったはずだった。
ところが今、冤罪被害者やその支援者だけではなく、刑事法の研究者、元裁判官、ジャーナリストらからも「このままでは冤罪を救えなくなる」との批判が相次いでいる。
専門家が集まるはずの場で、なぜこんな事態が起きているのか。
取材を進める中で、今年夏に発表された1本の論文に行き着いた。執筆したのは、熊本大学の岡本洋一准教授。論文の内容を踏まえ、素朴な疑問をぶつけた。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●法制審に入り込む検察官たち
──今年7月に発表された論文「再審法改正と法務省刑事局長〜日本の刑事立法の実態から考える検察官司法〜」を読みました。まさに今、再審法改正を議論している法制審議会の問題点を指摘しています。
再審法改正の動きには、大きく2つのルートがあります。1つは、法務大臣の諮問機関である法制審議会の刑事法部会が答申を出し、それをもとに法務省刑事局が中心となって法律原案を作成し、内閣から法律案として提出されるルートです。もう1つは、議員立法による改正です。
論文では、主に前者、いわゆる「法制審ルート」について書きました。
簡単に説明すると、法制審では、法務省大臣官房司法法制部が庶務を担い、委員には、研究者、検察官、裁判官、弁護士、警察幹部といった人たちが固定的に選ばれてきました。
さらに重要なのは、すべての法制審刑事法部会に法務省刑事局長が委員として参加している点です。加えて、法制審で幹事をつとめる人の多くが検察官で、過去に法務省刑事局付検事として刑事立法の原案作成に関わった経験を持っています。
●刑事局付検事は「検察幹部に昇進するステップ」
──そこから、どのようなことが読み取れるのでしょうか。
法制審で法律案を作る際、事務局を担うのは法務省刑事局です。会議の冒頭で司会をつとめ、議論を仕切るのも刑事局長。法律案がまとまり、国会で政府答弁に立つのも刑事局長です。
つまり、法律の原案作成から成立に至るまで、検察官が一貫してコントロールしている構造になっています。
さらに、人事面を見ても特徴的です。
検察庁から法務省に出向する検事は全体の5.5%にすぎませんが、現職の検事長など検察幹部の6〜7割は、刑事局付検事という経歴の持ち主です。
法務省に出向して、刑事局付検事として刑事立法に関与した経歴が、検察幹部に昇進するための重要なステップになっていることは明らかです。
法務省の旧本館(リュウタ / PIXTA)
●法務省を「牛耳る」検察庁
──法務省の組織図を見ると、検察は法務大臣の下にある「特別の機関」と位置付けられています。
本来、法務省の下位、あるいは外部に位置付けられるはずの検察庁が、検察官人事を通じて法務省を事実上牛耳ることで、法令上認められた以上の権限を持つことが許されてしまっています。
法務省を法務大臣はじめ内閣総理大臣などの政治的影響から距離を置かせるという建前は理解できますが、その弊害は今回の再審法改正においては非常に大きいと考えています。
●刑事手続だけでなく立法にも関与する検察官
──刑事事件に関する法律を作る「法務省刑事局」に、本来はその法律に従う側である「検察官」が多く入っている、ということですね。
その通りです。刑事手続を定める立法過程に検察官が強く関与する状況を、論文では「検察官主導型の刑事司法(広い意味での検察官司法)」と表現しました。
これまで「検察官司法」という言葉は、捜査・起訴・公判における検察官の権限の広さや強さを意味し、刑事司法における主導権を検察官が握るという実態を示してきました。
しかし実際には、それだけでなく、法務行政や立法立案の段階から、検察官が組織的に関与しているのです。
●検察官主導型刑事司法は「自らルールを決められるボクシング」
──その構造には、どのような問題がありますか。
当然のことながら、「検察官に不利益な法律」は作られにくくなります。
ボクシングに例えてみましょう。起訴後の有罪率が99%を超える日本の刑事裁判では、検察官はリング上の「絶対王者」です。(検察官が有罪として)勝てそうな相手(被告人)を自分で選び(起訴して)、勝ち続ける。
その絶対王者が使うグローブ(証拠)やリングの大きさ、さらには対戦相手のセコンド(弁護人)にどれだけの権限を与えるかまで、「絶対王者たる検察官が選んだ人たち」がルールを作ります。
ボクシングなら間違いなく「フェアじゃない」と批判されますが、日本の刑事司法では、それが当たり前のようにまかり通っています。
●改正されてこなかった背景「国会議員、マスコミ、研究者の怠慢」
──それが、再審法改正が進まなかった理由にもつながるのでしょうか。
そう思います。多くの冤罪事件が明らかになりながら法改正が実現しなかったのは、今回の法制審で意見が出ているように「あくまで誤判や冤罪はほんの一部に過ぎず、全体として刑事司法は問題ない」という前提認識が変わらなかったからだと思います。
そして、その前提が維持されてきた背景には、ハンセン病強制隔離問題と同じように、国会議員、マスコミ、研究者側の怠慢もあったと思います。
再審法改正の必要性をうったえる前川彰司さん(右)ら冤罪の被害者や遺族(2025年10月、東京都千代田区で、弁護士ドットコムニュース撮影)
●人生を破壊された袴田さんと法制審「恐ろしいほどのギャップ」
──昨年、袴田巌さんの再審無罪が確定しました。
法務省の官僚や検察官は、今回の法制審での議論を統計という「数字」で捉えているような気がします。法制審の第1回(2025年4月21日)の議論でも、年間400件ほどある再審請求の統計を持ち出して、効率性の観点で話をしている。
しかし、その400件のうちの1件が袴田事件でした。袴田さんは約60年間、無実の罪で身体を拘束され、毎朝「今日、死刑が執行されるかもしれない」という恐怖にさらされ続けました。
60年にわたる重大な人権侵害であり、人生そのものが破壊された事件です。それを法制審の多数の意見では「例外的なケース」とし、個人の人生の重みを想像していないのではないかとさえ思います。
袴田事件をきっかけに再審法改正の機運が高まったはずなのに、法制審の多数の意見との恐ろしいほどのギャップを感じます。
●法相の諮問の時点で「議論の流れが決まった」
──法制審の議論に違和感を覚える理由は、冤罪がある種「仕方のないもの」と扱われているように見える点かもしれません。
本来、議論の出発点は「二度と第2、第3の袴田さんを生まないために、何をすべきか」であるはずです。
ところが、法務大臣が諮問した内容を見ると、「近時の刑事再審手続をめぐる諸事情に鑑み、同手続が非常救済手続として適切に機能することを確保する観点から〜」と、袴田事件や福井女子中学生殺人事件のような誤判や冤罪を正面から前提にしていません。
この諮問が出た時点で、法制審における議論の大きな流れは決まっていたようなものです。自分たち(法務省検事)がコントロールできる範囲で、お茶を濁そうとしている。
一方、超党派の議員連盟がまとめた改正案が議員立法で成立すれば、状況は大きく変わると思います。
●研究の原点は「テロ等準備罪」
──そもそも、なぜ「検察官の人事」というテーマに注目したのですか。
きっかけは、2017年に成立した「テロ等準備罪」をめぐる国会審議でした。当時、政府参考人として答弁していたのが、法務省刑事局長だった林眞琴さんです。彼はその後、検事総長に就任しています。
その経歴を見て、「法務省刑事局長は、検察幹部人事における重要ポストなのではないか」という着想を得ました。
また、政治学者の西川伸一先生が裁判官人事を分析した研究手法(『裁判官幹部人事の研究 初版』(2010年)など)にもヒントを得て、検察官でも同様の分析ができるのではないかと考えました。
最高検察庁が入る建物(kash* / PIXTA)
●「二度と袴田さんを生まない」ことが出発点
──再審制度をめぐり、私たちはどう向き合うべきでしょうか。
袴田事件は、「無罪になったからめでたし、めでたし、おしまい」という話ではありません。袴田さんという一人の人生が国家権力によってめちゃくちゃに破壊されたという事実が出発点です。
それにもかかわらず、再審法改正をめぐる法制審の議論がこの程度でよいのか。ぜひ疑問を持ってほしい。その落差を知れば、何が進められているのかが見えてくるはずです。
インターネットで「法制審 再審」、あるいは「再審 法制審」と検索すれば、法務省ホームページから、法制審で実際に何が議論されているかはどなたでも知ることができます。
繰り返しますが、二度と袴田さんのような人を生まないことが、再審法改正の議論のスタートであるべきです。
そのために、検察官と法務省の関係、そして「ルールを作っているのは誰なのか」に、もっと関心を持つ必要があると思います。