町田ゼルビアの件について
23年シーズンに在籍した当時に思ったこと、僕の個人的な意見を述べさせていただきます
僕が今思う黒田監督の人間像は良くも悪くも自分の感じたことや思ったことを素直に言葉にする。というだけ。そこに悪意や誰かを傷つけようとする意図があったという認識は多分ないと思います。もちろん配慮が足りないとは思います。相手の立場に立って考えることはできない。でもそれはある意味必然というか分からないことは分からないですから。
監督の立場上どうしても上になってしまう故に言われた側が何も言えないという立場に立ってしまう日本社会の構造が引き起こした問題なのかと今は認識してます。
海外には無い日本独特の先輩後輩のような文化がこのようなパワハラというモノを生み出す根源になっています。同じ人間なのに関係がフラットではない。だから下に立つものが上に何かを言うことが異様な事として認識される。生意気。常識ない。何様だ。
日本社会の構造だから起こってしまう。そしてそこに悪意が無いというのが何よりも残酷。それが普通だから。本来はフラットでいたら起きないような問題です。特にスポーツ界ではまだまだそんなことは沢山あります。
僕もプロになってから干すと言われて1カ月無視されたりとかしましたけど、それだって今思えばパワハラじゃん。ってなりますけど僕はその方が自分を成長させようと色んな方法で努力してくれてたことを考えたらそうは思わないというか。結局、最後はその人との関係性でどうなるかが決まると思います。
僕がミーティングで監督と反対の意見を示した時の監督の反応を見る限りはあんまりそういうような人が周りにいなかったから慣れてないというような印象を持ちました。
でも確かにずっと高校生を相手にしてたらそれは自然な反応というか当たり前だよなって今は思います。高校生で監督に何かを言うような人なんて日本にはほとんどいないのが事実ですから。
まあそれでも当時は何回も監督に対してこいつは許さん。って勝手に怒ってました。事実として僕が移籍したのはこんな人と一緒に仕事なんてできるか。という理由でしたから。それを言動や行動に僕は出してたのでチームとしても置きづらかったのは言うまでもありませんし、強い組織を作る上でそういう人間は邪魔になります。
当時の僕には僕の当時の正義があってそれを本気で信じていたからこそ強化の方や社長に対して監督とは一緒にやれないって言いました。もちろんかなり白熱した議論にはなりました。でも結果を出したことは紛れもない事実ですし、強者の組織作りにおいて監督の右に出る人はいない。というのは間違いありません。
まあでも思うことがあったのは事実だったのでその時に伝えたのは遅かれ早かれ監督はこういう問題が起きるということは僕からチームを去る時に伝えてました。それを聞いてなかったとはさすがに言わせません。
じゃあ黒田監督が悪なのかといえばそれはまた違う話になる。
僕が元被害者側の立場の人間として何かを言うなら、被害者側が言葉を捻じ曲げて受け取っている可能性は多いにある。ということ。僕がそうだったように。言葉以上に何かを含めて受け取っているならそれは被害者側が勝手にそう受け取っているから起きます。
基本的に人は言葉を受け取る時にそれ以上でもそれ以下でもない。という認識を持たないと時に人は自分の受け取りたいように言葉を受け取ってしまいます。それは自分自身を守る防衛本能として無意識に起こることです。
だから僕も相手に言われた何気ない一言に勝手に傷ついてしまったりしてました。でもそれは自分自身に傷があるから勝手に傷ついているだけなんですよね。相手に悪意なんて1ミリも無いです。もちろん中にはそうじゃない人もいます。でもその思考が習慣になっている人はその人を傷つける人として認識するようになるんです。
極論、立場に関係なく何かを言えるような自分になれれば我慢をすることなんかしなくていい訳です。でもそれは言うには内側にある自分に対して絶対的な安心感と愛が必要です。そしてそれは構造的に日本社会では育まれずらいんです。だからパワハラとかそういうのが無くならない負の遺産の連続。
僕みたいなタイプは無意識のうちに被害者ムーブをしてしまう。そしてそれを本気で分かってない。相手に原因があると認識する。潜在的に自分に何かが欠けているから。そしてそれは普通に生きててもなかなか気付けない。僕も本気で死にたいと思うまで自分を追い込んでようやく気付けた世界線の話なんで。
どんなに知識で教養をつけようとそれは表層でしかなくて、そこに本当の価値は無いというのが真実なのかなと。
自分自身に本当に価値がある人間だと心の奥底から感じられていたら人から何言われても全然気にならないはずなんですよね。傷つかないし、だから?ってなるんですよ。僕は今人生で初めてそんな感じなんですよ。
だから当時と今でこの件に関しての認識が全然違う。それは僕の受け取り方や捉え方が変わったから。これが1カ月前だったら多分違う捉え方をしていたと思います。
そのくらい受け手次第で物語は書き変わる。
被害者側の気持ちは僕も痛いほど分かる。自分を全否定された様な感覚。自分が分からなくなる感覚。自分に価値を感じられない。自分じゃない何かで自分を満たそうとすること。
そこに終わりはない。そしていつか何かを探すことを諦める。それは確かにラクになる。それも1つの道ではある。でもそれは結局自分の都合良く世界を歪めて自分を肯定しただけの世界。そして終わりの無い負の遺産を無意識に良かれと思って後世に引き継いでいく。
そのサイクルが終わらない限りこのような問題が日本社会から消えることはない。
哲学者のニーチェは最後、自ら命を絶っている。そういうことだ。正常な人間にあの言葉や思考は生まれない。僕の中にずっとあった幸せになるには満足しなきゃいけないのにサッカー選手でいる以上満足はできない。そしたらいつ自分は幸せになれるのだろうか。という矛盾はいつしか消え去り、なぜそのような考えになるか今は理解に苦しむ。とにかく何があっても今は幸せを感じられる。
そのくらい被害者ムーブは自分で世界を本気で歪める。そして気付かないまま一生を終える。僕の父もきっとそうだった。分からないまま最後は孤独になり自ら命を絶った。
そんなことはあってはならない。
だからこの負の連鎖を終わらせたい。それが僕の使命だと思ってこのような発信は続けていこうかと思います。
そして最後に被害者ムーブ界隈の人たちに元被害者ムーブ代表からこの言葉を伝えたい。
大丈夫だ安心しろ。下を見てみろ俺がいる。
では。
透明性のある社会、より良いスポーツ界になることを望んでいます。


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