【二十歳のころ 尾崎将司(1)】仰木さんの「辞めろ!!」に「はい、辞めます」(3/4ページ)

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 そのあと、12月に退団を申し出たんだけど、球団から契約違反だの何だのといわれた。結局、辞めさせてくれず、翌年(1968年)の2月に他球団に移れない「任意引退選手」になった。今、思えば仰木さんは大恩人。イチローを育てる前に「ジャンボ尾崎」をつくっていたってことだから。

 野球をやめても球団の圧力はすごかった。「九州にはいられないぞ」って感じ。それまでお世話になっていたゴルフ場にもいられなくなって、関東(千葉・習志野CC)に行くことになった。こっちはためらいなんてなかったし、早くゴルフがしたかったからどこでもよかった。

 野球をやめてから習志野にいくまでの1年間は、自分を大人にしてくれた時期だったね。いろいろな先輩に人生相談をして、二十歳の若造が球団と話し合いや、お世話になった人たちとかかわって、どんな人たちとも会話ができるようになった。

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