まさしく、オレの人生の分岐点になったのが二十歳のころだよ。
徳島の海南高からプロ野球の西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に入って、3年目のシーズンを終えた昭和42(1967)年の秋季練習中。ゴルフに転向するきっかけになった大事件が起きた。
投手で見切りをつけられたんだな。シーズン中に打者に転向していて、そのキャンプで中西(太)監督から「尾崎を育てろ」と言われていたのが当時コーチの仰木さん(彬氏=故人)だった。
2つのケージで打撃練習が行われていて、左翼の守備練習で仰木さんから「尾崎、来た球を捕るんだぞ」といわれていたけど、オレは片方の(ケージの)球しか追っていなくてね。やる気がないとみられたのか、仰木さんが激怒して「辞めろ!!」と怒鳴りつけられた。
オレは「はい、辞めます」だよ。入団1年目のオフにゴルフと出会って、もうアンダーパーで回れるくらいになっていたからね。どこかにやめたい気持ちもあった。野球をやめると決めた瞬間だった。