1. なぜいま、この文章を書くのかー「X is the PvP of social media」
2025年12月22日に、しばらくメインで使用していたSNSである、XとInstagramのアカウント、その他ほとんど使用していなかったThreadsやBluesky、noteのアカウントを削除した。突発的にというよりは、数年前から何度も考えてはいながら踏ん切りがつかなかった気持ちがようやく落ち着き、「もういいや」と一斉に削除した。『Black Box Diaries』(以下BBD)を巡る言説への落胆と絶望が「最後のきっかけ」ではあったが、他のイシューにおいても様相はさほど変わらなかった。

もう必要ないなと分かってはいながらも、なかなか捨てられずダラダラと残してしまう思い入れがある何かを、ようやく年末の大掃除で捨てたみたいな感覚だ。おかげで「アルゴリズムによって狭められていた思考のスペース」は少しずつ広がりを取り戻してきたように思う。

2024年の2月のイーロン・マスクのポスト
「X is the PvP of social media」

PvPとはPlayer vs Playerのこと。Twitterはイーロン・マスクが買収し(2022年10月)Xとなった後の数年で、エンゲージメント(反応率)重視のアルゴリズムが採用され、対立的だったり感情的な言葉がより拡散される「対戦型SNS」になり切ってしまった。何かを強い言葉で糾弾するポストがより拡散され、それに対する応答としての怒りのポストもまた拡散される。

その空間からは、複雑な問題を複雑なままに語る言葉や、簡単には決着が付かないはずの倫理的な逡巡や、煮え切らない「迷いを保留する思考」が残っていく可能性がほぼ失われたように思う。言葉の文脈は切り捨てられ、切り取られた「ある一言」について是か非かといったジャッジが延々と続いていく。そのジャッジの粗雑さに対抗する言葉も、また合わせ鏡のように粗雑になっていく。強い感情だけが消費されていき、重要な議論ほど残らない。

BBDを巡って「擁護派 vs 批判派」のバトルフィールドと化したXでの言葉のあれこれを2025年2月以降に読んでいて、私が最初から一番気がかりだったのは、元々フォローしていた複数人の匿名アカウントのサバイバー当事者たちから批判や指摘、不安の声などが発せられていながらも、それらの言葉が議論の中心には全く広がっていかないことだった。

それらの言葉の中には、擁護派とか批判派とかいう立場性を越えて広く聞かれるべきだと思うものがあったが、ある程度の数のフォロワーがいた自分のアカウントでは、リポストすることで余計な負担をかけるのではないかという逡巡から、「いいね」を付けるに留まることが多かった(たまにリポストもしたと思う。余計な振る舞いになっていたら本当に申し訳ない)。当事者として発せられる言葉の切実さから、社会全体で考えなければならないはずの論点が示されていたが、バトルフィールドで飛び交っていたのは、粗雑で攻撃的な言葉ばかりだった(自分の言葉もそこに含まれるものが多くあったと思う。自らの愚かさを恥じる。ユーザーである限りアルゴリズムからフリーでいることは難しい)。

前置きが長くなったが、この文章の目的は、伊藤詩織さん含むBBD制作陣を糾弾することでもなければ、西廣さんら元弁護団を糾弾することでもない。この地獄のバトルフィールドにて戦い続けること(戦わされてしまうこと)を降りて、この問題から、私が明確な答えが出ないままに考えた事について、後からまとまって参照できる「ある視点や、ある地点」を残しておくためだ。

どんな立場の人間が書いているのかを少しだけ自己紹介すると、私は東京を拠点にフリーランスの映画スタッフをやっている者で、参加する作品の多くは劇場公開や配信公開のドキュメンタリー映画だ。スタッフとしての専門は撮影現場での録音、そしてポスプロ(撮影後の仕事、ポストプロダクション)における編集と整音だ。テレビドキュメンタリーの編集助手を経てフリーランスになってから今年で13年。参加した劇場公開ドキュメンタリー映画長編は、海外制作も含め今年で25本くらいになった。

個人的なバイアスを最低限明示すると、BBDプロデューサーのエリック氏がプロデューサーとしてクレジットされている作品に、これまでスタッフとして何度か参加している。エリックとはギャラ交渉をした時くらいの面識。伊藤さんとは面識はないが共通の知人が数人いる。フリーランスの映画スタッフとしての損得で言えば、仕事を振ってくれるプロデューサーの作品に批判的な事を書くと「損」な立場であることは、初めにはっきりさせておきたい。

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