ブラタモリ川崎大師編で、タモリさんが初詣人気も高い川崎大師を訪ねました。このページでは内容やロケ地をお伝えします(再放送・見逃し情報はこちら)。
速報版です。今後改訂を予定しています。
| 😎鎌倉2024年版 (#260・261)幻の御所と2つの寺院 | 😎鎌倉2015年版 (#5,#6)鎌倉の地形を探る | 横浜港・川崎 (#203)東京湾はどう発展? |
| 葉山 (#143)御用邸と幻の鉄道計画 | 😎武蔵小杉 (#125)なぜ発達?古い武蔵小杉 | 😎湘南 (#115)江戸時代の湘南は大磯! |
| 箱根 (#71,#72,#114)七湯のしおりが箱根の原点 | 😎横須賀 (#42)なぜ横須賀は要港すか? | 😎横浜 (#38)中心は神奈川駅だった |
| 😎小田原 (#28)難攻不落・小田原城の守り |
川崎大師|ブラタモリ川崎大師(前編)
ブラタモリは川崎大師の参道からスタート。多くの人に声をかけられます。あめを切っている音がします。だるまが多数並ぶお店もあります。
大山門に到着します。その大きさに2人は驚きます。
神奈川県の川崎大師は日本有数の初詣スポット、そして関東厄除け三大師のひとつともされます(諸説あり)。令和2年には初詣期間に約300万人が訪ねました。
川崎大師は正式には大本山川崎大師平間寺(へいけんじ)。真言宗智山派の大本山で、平安時代末期の1128年に創建されました。
川崎大師の中心となるのが、境内の正面に堂々と建つ「大本堂」です。戦後1964年に再建。ブラタモリのテーマは、川崎大師人気の秘密とはです。
タモリさんは大本堂のなかで、説明を受けます。川崎大師はなぜこの地に建立されたのでしょうか。御本尊が深く関わるとは?
高いところに赤い幕がかかり、三角の切れ目の奥にご本尊。テレビカメラの撮影は禁じられています。本尊は大きなサイズではありませんが弘法大師が祀られます。大師は全国に多くありますが、弘法大師を祀るところは川崎大師くらい。
なぜ弘法大師が川崎大師本尊となったのでしょう?
タモリさんは、ちょっと夏目漱石に似た平間兼乗像を見学。川崎大師平間寺の名前の由来となります。尾張の国の武士でしたが無実の罪で追われ川崎で漁師となります。
平安末期、平間兼乗が当時の海の中(現在の地名は「夜光」)で発見したのが光るご本尊。当時平間の年齢は42歳。これをきっかけに厄除け大師となりました。
川崎大師の人気の秘密として、その存在を広めたのは誰だったのでしょう?
タモリさんは葵の御門がデザインされた机を見学。徳川家が関わっていたようです。キーマンとなったのは徳川家斉(大河ドラマ「べらぼう」に登場している)。家斉が参詣のさいに住職が亡くなり、将軍の厄を引き受けてくれたと考えられ、川崎大師は大いに格を上げ江戸で話題となりました。
境内の建物(ブラタモリでは未紹介)
福徳稲荷堂 川崎大師は昭和20年4月15日未明の空襲により大本堂をはじめ、ほとんど全てのお堂を焼失しましたが、その難を逃れた貴重なお堂が福徳稲荷堂です。
不動堂は1890年(明治23年)に創建され、現在の建物は1964年(昭和39年)に再建された御堂です。本尊には成田山新勝寺の御本尊である不動明王のご分躰が祀られています。
境内でもよく目立つのが、鮮やかな朱色の「八角五重塔」。1984年(昭和59年)に建立されたもので、鉄筋コンクリート造ながら木造建築の美しさを取り入れた荘厳な姿をしています。
「遍路大師(へんろだいし)」と呼ばれる弘法大師像は、四国八十八ヶ所霊場を歩いて巡礼する「お遍路」を象徴する姿を表したもの。
経蔵には、インドの釈迦如来像、中国の乾隆版大蔵経、韓国の天井画「双龍」、日本の仏画「飛天」が配置され、仏教がインドから中国、朝鮮半島を経て日本へ伝わった歴史を象徴しています。
道標は、1663年(寛文3年)、現在の六郷橋たもとにあたる川崎宿の渡し場近く、大師へ向かう道の入口に建てられたものと伝えられています。往時の参詣者は六郷川を渡り、この道標に従って川崎大師を目指しました。
Uターンする参道
本堂から外に出るとUターンしている謎の参道。江戸時代の参道もUターンしていました。
寺院は東側の海に向いて建てられましたが、参道は西からやってくるためUターンしているのです。西側には何があるのでしょうか?
大師道の道標が見つかります。道標があると言うことは分岐点になるはず。
タモリさんがY字に2つに分かれたもう1つの道を訪ねます。それは東海道でした。川崎宿が立地します。
東海道のすぐそばに川崎大師があったため、訪ねやすかったのです。
川崎宿は、日本橋を出て2つ目の宿。旅の厄除けとして多くの人が訪ねました。川崎大師へ参拝するための宿泊や休憩場所として、川崎宿が発展したのです。
川崎大師は、明治時代になると「あるもの」ができ人気が高まります。
川崎大師|ブラタモリ川崎大師(後編)
ブラタモリ川崎大師後編は引き続き、日本有数の初詣スポット・川崎大師の人気の秘密に迫ります。ブラタモリは大山門の前の久寿(くず)餅のお店を訪ねます。
川崎大師近くの農家が小麦を湿らせてしまったのが久寿餅の起源(諸説あり)
川崎周辺が麦の産地だった江戸時代天保の頃、農家の久兵衛は、納屋に蓄えていた小麦粉を風雨によって濡らしてしまい、やむなくこねて樽に移し水に溶いて放っておきました。翌年、飢餓で食料に窮しこの樽を思い出し見てみると、底に沈殿している発酵した澱粉を発見。これを加工して蒸してあげたところ、餅のようなものができたのです。さっそく時の川崎大師山主、隆盛上人に試食していただくと、その淡白で風雅な味わいを賞し久兵衛の「久」の字と無病長寿を祈念した「寿」の一字を附して「久寿餅」と名付け、川崎大師名物として広めることを薦めたといわれています。
ブラタモリは六郷橋(現在の京急川崎駅に近い、旧東海道川崎宿の外れ)を訪ねます。現在は京急川崎駅から出る大師線は、当初は六郷橋駅から出ていました。
それに先立ち明治5年に新橋~横浜間に鉄道が開通。川崎駅が作られました。川崎駅で下車し、川崎大師の21日の縁日に行く人が多かったのですが、初詣も人気が出てきます。そのため川崎駅には三が日に急行が臨時停車します(明治18年1月の新聞記事)。新聞記事で「初詣」の言葉が使われた最初の頃の記事であり、「初詣」の名前と習慣ができたと考えられます。
川崎大師人気を受け、六郷橋-久根崎ー池端ー川崎大師の各駅を結ぶ「大師電気鉄道」が開業。同鉄道は、当地の交通手段だった人力車屋さんに配慮し、川崎宿出口の橋のたもとの六郷橋が始発駅となりました。
京急大師線は、京急の原点にあたる存在でもあり川崎大師駅前には記念碑が残ります。
タモリさんは大師線開通当初の路面電車の痕跡と思われる場所(右手の高い場所)を訪ねます。道端に気になる石がありますが由来は不明。
大師電気鉄道が電車の動力を確保するための発電所が建てられましたが、電気には余力があったため、沿線に工場を誘致しました。紡績工場、味の素の工場、日本蓄音機商会(のちの日本コロムビア)など。
タモリさんは大師線に乗車。途中通り過ぎた鈴木町駅は、味の素の創業者の名前から取っています。
終点の小島新田駅では、線路の痕跡と思われる線路の柵を発見。
小島新田駅から先の京浜工業地まで大師線はつながっていたのです。工場で働く人を運び、日本の産業の発展を支えました。
ブラタモリは、古い線路跡を訪ねます。線路跡の道を歩き工場の人に話を聞くと、昔の小島新田駅の跡でした。鉄道部品工場を見学します。
ブラタモリは川崎大師駅に移動。味の素の工場に引き込み線の跡を発見します。
味の素ではかつて製造過程に小麦粉を使っており、大量に出たでんぷんが川崎大師の久寿(くず)餅の生産を支えました。
吉野のくずもちは、奈良県の吉野で採れる葛根から精製した本葛粉を原料とする和菓子。一方川崎大師のくずもちは葛を使わず、小麦でんぷんを長期間乳酸発酵させて作られます。ほのかな酸味と強い弾力があり、きなこや黒蜜と相性のよい門前名物です。同じ「くずもち」でも、原料も製法も味わいもまったく異なる別の菓子といえます。
鈴木町駅前の味の素体験館
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