容れ物による味

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シエラカップでコーラ飲む
とすんげ~まずいの(笑
やはりコーラの最高はペッ
トボトルもしくはストロー
だ。
ペットボトルの口径はよく
考えられていて、あれでキ
ンキンに冷えたコーラを炭
酸がむせかえるように飲む
のがよい。

同じ事はウイスキーのスト
レートにもいえていて、ウ
イスキーのストレートは細
いストレートピッチで一気
にクイッと飲むのが一番ウ
マい。
ウイスキーのストレートを
ロックグラスに入れて飲ん
でごらんな。デレ~ンとし
たことになって、アタック
感も素のテイストも無くな
って、ちっとも美味くない
事になっちゃうから。
テイスティンググラスの口
がすぼまってるのには科学
的な意味がある。

食材だってそうだよな。
包丁の入れ方一つで全く味
が変わってしまう。
「腹に入れば何でも同じ」
とか言うのは最低の人類で、
食文化以前に科学を無視し
ている。
食べ物も食べる順番によっ
て栄養効果が全く異なるの
は栄養学の常識だし、調理
にしても食材の切り方で味
だけでなく栄養価まで変わ
ってしまう。

それらを人智を以て最適と
成すのが料理であり、飲食
の世界であり、人類の健康
と飲食の文化をまっとうす
る事でもある。
腹に入れば何でも同じ、と
いうのは残飯をまとめ食い
しても同じと言ってるよう
なもんで、極めて人間とし
て知性も品性も低い。
ほんの一杯の水分、液体で

あっても、ポジティブな効
力を勘案して飲む。
それが人だし、人類はそう
いう事に英知を注いできた。
その人類の英知は貧富の差
を凌駕する。貧しくありき
たりの食材でも工夫を凝ら
して少しでも美味しく、ま
た栄養を適切に摂取できる
ように対峙する。人々はそ
うやって暮らしの歴史の中
に生きて来た。
腹に入れば何でも一緒、と
いう発想や考え方は、人と
人類の歴史を馬鹿にしてる
とても稚拙かつ傲岸で我儘
で不遜な発想だと知ろう。

大昔、元S軍派の人と昼飯
行くべってんで立ち食い鮨
食ったのね。
大菩薩の頃の旧あんちゃん
で当時はおっさんの人と。
「何から食うか」と言うの
で、俺が「好みで決まりは
ないけど、コハダとかから
行って段々脂こいネタに移
ったほうが魚の味が損なわ
れないすよ」と言ったら、
言下に「腹に入れば何でも
一緒だ」と言った。
(ああ。この人たちが万一
革命できても、文化を壊す
だけで革命後に文化を創造
することはやはり不可能だ
ったな)と強く思った。ブ
ントS軍派の限界をまざまざ
と見た気がした。
そもそも科学的で
はない。
それは本人たちの自前の論
旨にも反するだろうに、と。
だからマルクス主義につい
ての深化も無かったのだな、
と。
第一、ブルジョアジー成立
以前の食文化まで端から否
定して、何が生まれるのさ、
と。
彼らは1972年まではバカが
つくほど純粋で、その後も
時代錯誤の純粋さだったが、
感情や情念や勢いだけで革
命戦争ができるわきゃねー
だろが、とも思っただよな。
フーみたいにリンゴの木の
下で子どもでも育ててみろ
よ、と。