無地の紙に無色のインクで名を刻む
シャンフロというゲームでもしかして俺は地上を走った距離より空や壁を走った距離の方が多いんじゃないかと錯覚する時がある。
実際はそんなことはないんだろうが、そう錯覚する程に俺は落ちながら駆け抜ける事に慣れてしまっていた。
【ゼンド・アヴェスター】が光を捻って喰い破る事で切り拓かれた大断傷の底に至るまでの虚空を、落下速度に更なる加速を入れて突き進む。
人が落ちる速度ってのは想像する以上に速いものだが、視界強化で認識を遅延してタイミングを見計らう。
「舌噛むなよレイ氏!」
「ほぇあ」
壁を床として蹴って加速、そして壁を壁として蹴って減速。垂直駆けの減速は加速する時と比べても難易度が高いものの、重力の方向を変えるスキルや空中スキルが充実した今ならば、リキャストタイムの問題で一度しか使えないにしてもどうにでもなる。
「ようし無事着地ィ!」
「はゃえ」
体力の減少は無い、我ながらレイ氏という荷物を抱えながらもよくノーダメで降りることができたと感心している………が、のんびりってわけにもいかなさそうだ。抱え上げたレイ氏を降ろせば、どうやらジェットコースターも真っ青な機動にさしものレイ氏も生まれたての小鹿のように足をプルプルさせている。
「……ちょっと手荒だったけど、やっぱキツかった?」
「まっ………待っ…………あぅ、えぅ、いぅ…………」
ぴた、とレイ氏の動きが止まる。
「フッ………なんら、問題はない……ですね」
「京極のモノマネ?」
「ふひゅふっ………だい、大丈夫です。落ち着きました」
何故か気障ったらしいどっかの誰かさんが調子乗ってる時に似た素振りで平静を取り戻したレイ氏を疑問まじりの視線で見つめつつも、到着した傷の奥底を見渡す。
大断傷とはいっても結局のところは小さめの渓谷のようなもの、深さはヤバいが広さそのものはそう大したものではない。目測で……100メートルくらいか?
「で、これが「傷」か」
地底に着地する時点で見えていたが、見えていたからこそ明らかにヤバげなそれに触れないように多少無理をしてでも着地地点を調整する必要があった。
不定期に噴き出す光熱をレイ氏の【ゼンド・アヴェスター】によって鎮められたことで、俺達は大断傷の深層に刻まれたそれを目視することができた。
「マグマ……?」
「熱は感じないが、触れたらやばいってことには変わりなさそうだ」
傷、つまりこの地はそれをつけられた側であり、当然傷をつけた側がいる。それこそが旧大陸そのもの……始源獣アイテールなる大陸級超巨大モンスターによるものだ。
そして黒き神に対する白き神の一撃はそのまま白い傷となってこの地に深く食い込んでいる……大断傷の形そのままに伸びたマグマか泥のような物質。
「半分液体みたいなもんだし、「浸す」って条件は満たせそうだな」
「そう、ですね……ですが、もしかしたら戦闘になるかもしれない…です」
「マジで?」
……成る程、最初にレイ氏がこの剣に関わった時に戦闘になった。であれば今回も同様の戦闘が発生してもおかしくはない、との事。
「……多分、戦闘はなさそうだけどな」
「どうして、ですか?」
「エリアが狭すぎるし長すぎる」
断言ってわけじゃあないが縦幅100メートルに対して横幅10メートルあるかないかという戦闘エリアとしては少々細すぎる地形……さらに言えば白い傷という毒床を思わせるものが地面の大半であるこの場所。戦闘エリアとしては動きづらすぎる。
ありえるとすれば敵とプレイヤーが端と端からスタートして射撃しながら近づく、とかだろうか。
思い出した時にちょくちょく目測したりしていたが、基本的にこのゲームでは最低でも縦横20メートルは確保されたエリアで戦闘が発生する。だからこういうステージで斬った張ったの戦闘になるとは考えづらい。
ま、魔力運用ユニット探しに行った時に遭遇したゴーレムなんかは思いっきり狭い通路での戦闘だったから出るなら出るで別にルール無視ってわけでもないか。
「俺が一応警戒しておくからレイ氏は……」
「分かりました、やってみます」
静かに歩き出したレイ氏、双理の鎧に包まれた脚が白い傷へと一歩踏み込む。今のところ変化はない、とはいえ俺が触れたら明らかにやばいブツなのでやはり無謀に踏み込むような事はしない……ちょっとだけ、爪先だけ……
バヅンッ!!!
「あいったぁ!?」
「サンラク君!?」
なんだ!? 物凄い勢いで体力減ったぞ今!! あ、いや違うぞ今の静電気みたいな感覚は覚えがある、刻傷が何かを弾いた時のアレだ……やっぱり触れたらアウト系じゃねーか爪先ワンタッチで体力五割!?
「いや、逆位置効果……まさか本来は触れただけで十割ダメージ……?」
そ、即死ギミックすぎる……普段だったら二十割ダメージかよこれ。
泳ぐモーションが無いキャラを操作するゲームで崖から落ちた時くらいの緊張感を要求してやがる。
「やっぱ装備がないと触れない奴だね」
「……行きます」
薄暗い亀裂の底でテクスチャガン無視の純白の傷、その中心付近に到達したレイ氏は既に太腿の辺りまで「白」の中に沈んでいる。
しかしながら肩に乗せて担いでいた太極の剣をゆっくりと突き立てていけば、明らかに女性アバターレイ氏とほぼ同じ程の大きさはある白と黒の絡み合った剣がずぶずぶと沈んでいく……と、レイ氏の前に何やらウィンドウが表示される。
「どう?!」
「───神話を語る者。神話を背負い、纏う者」
え、何? いきなりポエム?
「───見上げた空に二つ神。破滅の兆しを歌い、神話の断章を翳し、されど真実に遠きもの」
どうやら詠唱する必要があるのか、恐らく既存のものではない詠唱文をウィンドウというカンペを読みながらレイ氏が唱えていく。
「───真実を綴れ、解答を示せ。我、無地の碑剣を掲げし者。我、器に満たされし無色の血」
まるで泉か沼のようにレイ氏が足を沈める「傷」が渦を巻く。浴槽の栓を抜いた感じにも見える渦は、しかし下に抜けるのではなくレイ氏を中心として鎧と剣に吸い込まれているように見える。
「───交差する運命、分岐する運命。我が身、我が行末は始まりの風を背に受け、選択の先陣に立つ」
レイ氏へと集まっていく白が鎧の表面をへばりつくように覆っていく。それはあたかも肉の鎧と形容できる双理の鎧に皮膚が貼られていくようでもあり……言っちゃ悪いがスプラッター系のグロテスクな見た目をしていたレイ氏の姿が無機質な鎧姿に変わっていく。
だが、その色は白でもなく黒でもなく灰色。どっちつかずのくすんだ灰色の殻となった鎧姿のレイ氏がゆっくりと傷に沈めた剣を引き抜く。
「───未だ誓わず、未だ契らず、未だ能わず。されど告げる。我が身は徒となりて、始まりの源を継ぐ」
引き抜かれたそれは、既に「太極の剣」とは全く別のものへと変わっていた。
まるでそう、何も書かれていない石碑にグリップをつけて剣として扱っているかのような……
「お、終わりました……」
「あー……それ見えてるの?」
「あの、はい。クリアな視界です」
ざばざばと液体とも個体ともつかぬそれをかき分け、触れるだけで十割ダメージが発生する白い傷から何事もなく出てきたレイ氏。
俺の素朴な詰問に対して、彼女の顔の四分の三を覆うつるんとした無地の仮面から僅かに露出した右頬が苦笑のひきつりを見せた。
太極の剣「えっ」
双理の鎧「もう出番終わりですか?」
分岐の剣「残念ながら……」
双銘の鎧「最終形態ではない以上定めと受け入れてもらうしか」