すべては、この文章から始まりました。
ぶどうの里だより 218号 (平成23年6月30日 発行)
に田ヶ谷雅夫氏が書かれたものです。
(抜粋)
渋谷りつ子さんはもう20年以上前からカルカッタにあるマザーテレサの家でふとしたことから重度心身障害児の養育ボランティアを続けているのだ。全くの無償の奉仕なので、自分の生活費は全額自己負担せねばならない。お金が無くなり、インドの滞在ビザが切れると、一度日本に戻って次の資金を作り、またインドへ向かうのである。彼女の話を聞いてみた。
『施設の名前はダヤダンといいます。カルカッタの街の中の4階の古い建物です。子供たちがお昼の食事が出るのを待っています。自分で食事のとれる子は食堂で食べます。でも、食べ物をペースト状にしたり、刻み食にしないと無理な子は、職員やボランティアが1対1で養ってあげます。手が足らないのです。』
実は私は平成11年にカルカッタの国際児童福祉会議に出席したことがある。そのとき、会議の合間を使ってマザーテレサの家をおとずれ、そこで渋谷さんに出会ったのである。りつ子さんにダヤダンの施設まで案内してもらった。(中略)
渋谷 「紙おむつを使えばいいのですが、予算もない、布だと繰り返し使えますから。材料は、日本から送られてきた手ぬぐいです。もう醤油で煮しめたようになっても、まだ使っています。全部手洗いなので、毎日の洗濯は、とても重労働です。」
田ヶ谷 「どうして洗濯機を導入しないのですか?」
渋谷 「洗濯機を買うお金もないし、たとえ洗濯機を入れても電力や水道事情が悪いので、全然あてにならないのです。それに、インドでは、洗濯機の代金代より手洗いする人の人経費のほうが安く済むのです。それと、機械を入れれば、今施設で雇っている職員のクビを切ることになります。お金を必要とする貧しい人たちです。」
マザーテレサの偉大な業績を継いで乞食、ホームレス、ハンセン病患者、ストリートチルドレン、養育者のいない重症の障害児など気の毒な人を収容し、世話をしているのだが、現実は厳しい、受け入れるべき対象者はいくらでもいるのである。職員やボランティアを統括するのはシスターたちであるが、心身の疲労のせいか、どのシスターも押し黙って不機嫌そうである。(略)
渋谷「この子はピンクーっていうんです。16歳になったお祝いです。ピンクーは去年危篤状態になって私、必死に看病しました。普段も全部流動食なのですが、そのときは、鼻から栄養分を入れてどうにか助かったので、私うれしくて。。。。。」
・・・・・・・なるほど、少女ピンクーの曲がったままの手を握り、渋谷さんは満面の笑顔を浮かべている。輝くばかりの美しい顔である。渋谷さんが、この少女のかよわい命を救ったのだ。無心の人だけがみせる表情。自分のことはさておいて、不遇なインドの重度心身障害児のためにひたすら、無心に尽くす。
大上段にふりかざした悲壮感や正義感はそこにはない。
彼女はもともと音楽家である。
三重県出身
北海道の網走で育った。20年前にウイーンの音楽アカデミーに入学し、ピアノを専攻した。日本へ帰るまいに世界一周をしてやろうと思い立ちカルカッタへ立ち寄った。そして、何気なくマザーテレサの家に立ち寄った。そのまま、居ついてしまった。それが、彼女の運命だったのである。
田ヶ谷「あなたのような長期の無償ボランティアはほかにもたくさんいるのですか?」
渋谷「いいえ、私一人です。激務だから続かないんです。 私はあまり構えないし、自然体で生きているから・・・・・。この子たちが大好きになっちゃったので20年も保ったのじゃないかし。」
田ヶ谷「でもあなたも50すぎたら体もいうことをきかなくなるんじゃないですか?そのときは、どうしますか?」
渋谷「日本へは帰りません。だって、私がこの世に生まれてきたのは、このダヤダンの重症児たちの世話をするためだったと思っているし、ほかにこの仕事をやってくれる人がいないんですから仕方ないんです。そして、年をとってここで働くことが無理になってもここにずっといます。そして、毎日のようにやってくる若いボランティアの人たちに『もし、みなさんがここにいるインドの重症児として生まれついたのだったらどうなのか、考えてみてください。そして、譲り手のない、この子供たちに、あなたのできることをしてあげてください』と訴えていくつもりです。
ただ、私がいくらインドに長く滞在していても就労ビザは取れないし、半年に一回は一旦インドからでなければならないのです。ネパールとか、タイにね。いくらもかからない生活費も底をつきました。今回日本に戻って働いて200万円つくります。そうすればまた最低5年間はダヤダンで暮らせますから・・・・・・。」
彼女を清貧の人と言っても間違いない。成田空港に迎えに行った時も彼女の所持金は1000円ぽっきりしかなかった。履いていたボロ靴も、途中の空港で捨ててあったものを拾ってきたものらしい。
お寿司をごちそうしたら『6年ぶり!』といって目を細めた。やっぱり無心の人である。
[自分はここ子らを救うために生まれてきた。そして自分以外にこの子らを救う人はいない。]
渋谷さんはそういう思いで目立たないが尊い仕事を続けてきた。
私は、マザーテレサの家にそういう日本人が一人いることを心から誇りに思う。
田ヶ谷雅夫