令和7年(ワ)第7440号 被疑者補償不裁定に対する国賠訴訟請求事件 判決正本

令和7年11月12日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官令和7年(ワ)第7440号 被疑者補償不裁定に対する国賠訴訟請求事件口頭弁論終結日 令和7年10月8日判決東京都板橋区前野町1-43ー6メゾンときわ台203号5原告前田記宏東京都千代田区霞が関一丁目1番1号被告国平同代表者法務大臣口村田洋一洋10同指定代理人大郷一杉龍政

 

主文1原告の請求を棄却する。2訴訟費用は原告の負担とする。

事実 及 び 理 由

第1 請求被告は、原告に対し、20万円を支払え。第2事案の概要原告は、建造物損壊被疑事件の被疑者として逮捕勾留された後に不起訴処分と20された。原告が、検察官に対し、被疑者補償の申出をしたところ、検察官は、被疑者補償をしないとの裁定をした。本件は、原告が、検察官による被疑者補償をしないとの裁定が違法であるとして、被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づく損害賠償請求として、20万円の支払を求める事案である。251前提事実(後掲の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めることができる事実)(1) 原告は、令和6年8月25日、東京都板橋区内の自宅マンションのエントラ1ンスにおいて、警察官の面前で、ガラス製のドア(以下「本件ドア」という。)を3回蹴り、これを破損させたという建造物損壊被疑事件(以下「本件刑事事件」という。)の嫌疑により現行犯逮捕された。(乙1、弁論の全趣旨)(2) 原告は、令和6年8月26日から同年9月13日までの間、本件刑事事件に5ついて、警察署の留置施設に勾留された。(弁論の全趣旨)(3) 東京地方検察庁検察官は、令和6年10月10日、本件刑事事件について、原告を起訴猶予処分とした。(乙1)(4) 原告は、令和6年10月8日、東京地方検察庁検察官に対し、本件刑事事件に関する被疑者補償の申出をした。東京地方検察庁検察官(以下「本件検察官」10という。)は、令和7年1月16日、上記申出について被疑者補償をしないとの裁定(以下「本件裁定」という。)をした。(乙2)2争点及び当事者の主張(1) 被疑者補償をしないとした本件裁定が国賠法上違法か(争点1)(原告の主張)15本件刑事事件は、自宅マンションのエントランスにおいて、警察官から挑発を受けて激高した原告が、本件ドアを音が出るように1~3回足蹴りしたところ、予期に反して本件ドアのガラスが割れたというものである。本件は警察官が原告をして本件ドアのガラスを割らせたものであり、犯罪は成立しない。本件検察官は、これらの点を検討することなく漫然と被疑者補償をしないとする20本件裁定をしたので、国賠法上違法である。(被告の主張)被疑者補償規程が法務省訓令として定められたものであることから、原告に具体的な権利又は法律上の利益を観念することができず、本件裁定について国賠法上の違法性は認められない。25また、原告の本件刑事事件の嫌疑については、警察官が現認しており、原告自身も本件刑事事件の事実を認めて被害者と示談したのであるから、被疑者補2償規程2条の「その者が罪を犯さなかつたと認めるに足りる十分な事由があるとき」に該当せず、本件裁定は同規程の定めに基づいて行われたものといえ、国賠法上の違法は認められない。(2) 本件裁定に理由付記がないことが国賠法上違法か(争点2)5(原告の主張)本件裁定は、理由が付記されていない点においても、国賠法上違法である。(被告の主張)被疑者補償の申出に対する裁定は、行政手続法における処分でなく、理由を付さなければならない根拠はないから、理由付記がないことをもって国賠法上10違法であるとはいえない。第3当裁判所の判断1争点1(被疑者補償をしないとした本件裁定が国賠法上違法か)(1) 国賠法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えた15ときに、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものであり、検察官が不起訴処分を受けた被疑者に対する被疑者補償をしなかったことが国賠法1条1項の適用上違法と評価されるのは、検察官が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と被疑者補償をしなかったと認められるような事情がある場合に限られると解すべきである(最高裁昭和60年11月2021日第一小法廷判決·民集39巻7号1512頁、最高裁平成5年3月11日第一小法廷判決·民集47巻4号2863頁、最高裁平成19年11月1日第一小法廷判決·民集61巻8号2733頁参照)。(2) 被疑者補償規程2条は、被疑者補償の要件として、「その者が罪を犯さなかつたと認めるに足りる十分な事由があるとき」と定め、4条1号は、被疑者とし25て抑留又は拘禁を受けた者につき、事件事務規程第75条第2項に定める「罪とならず」又は「嫌疑なし」の不起訴裁定主文により、公訴を提起しない処分3があった場合に被疑者補償を立件する旨を定めている(乙3)。また、事件事務規程によれば、「罪とならず」とは、被疑事実が犯罪構成要件に該当しないとき、又は犯罪の成立を阻却する事由のあることが証拠上明確なとき(ただし、刑事未成年及び心神喪失の場合を除く。)にされる処分であること、「嫌疑なし」と5は、被疑事実につき、被疑者がその行為者でないことが明白なとき、又は犯罪の成否を認定すべき証拠のないことが明白なときにされる処分であること、「起訴猶予」とは、被疑事実が明白な場合において、被疑者の性格、年齢、境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときにされる処分であることが認められる(乙4)。10そうすると、検察官は、上記各規程を踏まえて裁定を行う注意義務を負っているというべきであり、上記各規程を踏まえずに漫然と本件裁定をしたと認められるような事情がある場合には、検察官として職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と被疑者補償をしなかったものとして、国賠法1条1項の適用上違法と評価されるものと解すべきである。15(3) これを本件についてみると、前提事実(1)及び(3)によれば、本件刑事事件は、原告がマンションのエントランスのドア(本件ドア)を複数回蹴ってこれを損壊したというものであり、原告は、これを現認した警察官によって現行犯逮捕された後、起訴猶予処分とされたことが認められる。本件刑事事件については、上記の逮捕の経緯等に照らして被疑事実が明白で20あるとして起訴猶予処分がされたものといえ、これを踏まえ、被疑者補償の要件である「罪を犯さなかつたと認めるに足りる十分な事由」がないとした本件検察官による本件裁定が、被疑者補償規程等を踏まえることなく漫然となされたものということはできない。(4) これに対し、原告は、本件刑事事件について、原告が警察官から挑発を受け25て激高して本件ドアを足蹴りし、予期に反して本件ドアのガラスが割れたことから建造物損壊罪は成立せず、本件検察官がこの点を検討することなく本件裁4定をしたことが国賠法上違法である旨を主張する。しかし、そもそも原告が主張する警察官による挑発行為の内容は不明確であり、これを認めるに足りる証拠もない。仮に警察官による何らかの挑発行為があったとしても、ガラス製の本件ドアを複数回足蹴りしていることに照らし、原告には少なくとも未必の故意があったといえ、違法性阻却事由及び責任阻却5事由があるともいえないから、建造物損壊罪の成否を左右するものでない。原告は、その他にもるる主張するが、いずれも建造物損壊罪の成否を左右するものとはいえない。したがって、原告の上記主張は、いずれも前記(3)の判断を左右すべきものと10はいえず、採用することができない。(5) 以上によれば、本件検察官が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と本件裁定をしたということはできず、本件検察官が、本件裁定において、被疑者補償をしないとしたことについて、国賠法1条1項の適用上違法であると評価することはできない。152争点2(本件裁定に理由付記がないことが国賠法上違法か)(1)原告は、本件裁定に理由付記がないため国賠法上違法であると主張するが、被疑者補償規程が訓令の形式であることや法律上被疑者補償に関する規定がないことに照らし、検察官の被疑者補償規程に基づく裁定も、これにより直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められてい20るものとはいえず、行政処分とは認められないので、理由付記は必ずしも必要ないと解される(行政手続法8条参照)。(2) したがって、本件裁定に理由付記がされていないことをもって国賠法1条1項の適用上違法であると評価することはできない。第4 結論25よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。5