第25回大佛次郎論壇賞 「外務官僚たちの大東亜共栄圏」 熊本史雄さん

 第25回大佛(おさらぎ)次郎論壇賞(朝日新聞社主催)は、熊本史雄・駒沢大学教授(55)の「外務官僚たちの大東亜共栄圏」(新潮選書)に決まった。国際協調を捨てさり、無謀な拡張主義へとかじを切った外交官たちの失敗を、膨大な外交資料をもとに検証した。贈呈式は、来年1月29日に東京都内で朝日賞、大佛次郎賞、大岡信賞、朝日スポーツ賞とともにある。

 ■満蒙権益、固執と矛盾の末の道

 4年前、がんが見つかった。本書の執筆を依頼された翌日のことだった。手術したものの半年後に再発。放射線などの治療を受ける不安な日々が続いた。それでも、書くことはやめなかった。「1章を終えるたびに生を心から実感できました」

 だが、描いたのは、明るい話でも成功物語でもない。外交官の転落劇だ。

 日本は「大東亜共栄圏」という理念のもと、侵略戦争を正当化した。無謀な秩序構想は軍部の暴走として語られることが多い。それに対して本書は、外務官僚たちが生みの親だったという大胆な見方を示した。

 その源流は日露戦争だったという。多大な犠牲を払って獲得した中国東北部の租借権や鉄道を守り、さらに「満蒙権益」として拡大する――。外務省の基本方針が生まれた。同時に英米協調も重要だった。しかしアメリカは、中国市場の開放を訴えて権益の放棄を迫る。相反する二つの外交方針を抱え込み、追い詰められていったと考える。

 この見方に立てば、協調外交で名高い幣原(しではら)喜重郎の違った一面が浮かび上がる。

 幣原は満蒙権益、特に鉄道権益に強く固執したという。当然、英米との足並みは乱れた。中国政府が強硬化していくなかで袋小路に陥ったと指摘する。1931年に陸軍による満州事変が起きると、幣原は有効な策を打てずに外相を辞任した。

 そして34年を迎える。外務省は、英米などを排除し、日本単独で東アジアの秩序構築を担うと発表する。「矛盾に耐えきれなくなり、独善的な『国益』追求にかじを切った瞬間です」。枷(かせ)が外れた外務省は、中国から東南アジアへと広がる大東亜共栄圏の構想に突き進んだ。

 周囲の歴史家から「誰よりも深く、広く史料を読んでいる」と評される。実は修士号を取った後、9年間、外交史料館で史料の編纂(へんさん)に従事した。条約草案や電報への書き込み、決裁印までをも丹念に読み込み、国際政治の最前線で奮闘する外交官に思いを巡らせた。「歴史家として、上から目線の後知恵ではなく、同時代的に追体験していく感覚を養いました」

 外務省の転落という闇を丹念に描きながら、本書では、ある外交官の構想に光を見いだす。

 彼の名は小村欣一。1914~19年に中枢の政務局で課長を務めた。小村は、満蒙を手放し、日米共同の中国本土への投資を唱えた。満蒙にこだわればアメリカとぶつかる。それは避けなければならない。ならば手を組み、中国全体を射程にして経済活動を進めればいいと考えた。大胆な外交姿勢からは、「慎慮」が感じられるという。

 「長期的な視野で時代の流れを的確につかみ、何が国益になるのかを冷静に見極めたうえで、柔軟に発想した」。しかし小村の案は日の目を見なかった。反故(ほご)にしたのは、上司の幣原だったという。

 アメリカはいま、秩序を破壊する側となり、ロシアは戦争に邁進(まいしん)する。中国はますます居丈高になっている。そんな隣国相手に外交の難しさは増すばかりかもしれない。しかし慎慮を捨て、安易な「国益」追求に流れた時、何が起きるのか。外務官僚たちの失敗の歴史を学ぶ意味が、ここにある。(田島知樹)

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 くまもと・ふみお 1970年山口県生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退。博士(文学)。専門は日本政治外交史。外務省外交史料館などを経て、駒沢大学文学部教授。著書に「大戦間期の対中国文化外交」や「幣原喜重郎」など。

 【選考委員5氏の選評】

 ■幣原ら官僚が入った隘路に注目 杉田敦・法政大学教授(政治学)

 戦前の日本を、破滅への一本道に立たせた大東亜共栄圏構想。その推進主体について、軍部などに注目する通説に対して、著者は幣原喜重郎など歴代のエリート外務官僚に注目する。満蒙権益保護と国際協調という二つの要請に引き裂かれる中で、欧米との協調を演出する発想もあったが、それは封殺され、自国の権益ゴリ押しの路線が主流となっていく経緯が、緻密(ちみつ)な論証で示される。外務官僚らが隘路(あいろ)に入った理由を著者は「慎慮」の欠如に求めるが、それは世界の動向についての鈍感さや国際法への無理解でもあったろう。他国の主張や国際法規範を軽視しつつ、自国の「安全保障」確保に向けて再び暴走を始めたかに見える日本で、今、読まれなければならない本である。

 ■一つの視点から、描き切った力量 佐藤俊樹・東京大学教授(社会学)

 「戦後」という言葉の重みが物語るように、あの戦争は今もなお、私たちのあり方を大きく決めている。だからこそ、あの戦争について冷静に考え、語ることは今なお、とてもむずかしいのだろう。

 そんななかにあって、一つの視点にこだわり、あの戦争を始めるまでにいたった道筋の一つを、丁寧に描き切った。その力量はすばらしいと思った。

 欧米諸国をふくめて、実は全ての列強が普遍主義と個別利害の二枚舌外交をくり広げていた。そのなかで日本が最初に、二枚舌に耐えられなくなった。そうした見立ても説得的で、それだけに考えさせられるものだった。「外交」を始めてまだ数十年――そんな新興国の苦さもまた、今もなお、続いているのかもしれない。

 ■膨大な資料から、思考のあと示す 豊永郁子・早稲田大学教授(政治学)

 本書は、日本が日露戦争後に得た満蒙権益が、外務官僚たちの思考のくびきとなり、彼らによる一連の「慎慮」を欠いた外交構想が、大東亜共栄圏構想と太平洋戦争に帰着した過程を論じる。印象深いのは、戦後「善玉」視された幣原喜重郎と重光葵(まもる)について、前者は満州事変に際し、満蒙の鉄道利権からの他国の排除を強硬に求め、国際連盟脱退を招いた張本人であり、後者はさらに「東亜」全域を日本の排他的勢力圏とする構想を打ち出すことで、日独伊三国同盟に5年先立ち、日本外交を後戻りのできない地点に至らしめていたとする指摘だ。外務省記録などの膨大な資料に分け入り、外務官僚たちの思考のあとを摘示する。新資料の発見の成果も盛り込んだ快著である。

 ■歴史の「分岐点」、学ぶ重要性想起 諸富徹・京都大学教授(経済学)

 学術的に第一級の労作にもかかわらず、魅力的な文体で読者を引き込み、最後まで一気に読ませる作品だ。第2章「『満蒙供出』論の提唱」が、評者にとっては最も興味深かった。米国と協調しつつ日本が満州の権益を確保するオルタナティブな構想があった。実現していれば、対米戦争を回避できたかもしれない。なぜ、実現できなかったのか。学んだのは、いったん「権益」を獲得すると、それを排他的に保持し、その果実を占有することへの強い拘(こだわ)りが生まれ、国際協調の論理を押し流してしまうということだ。結局、「大東亜秩序」の理念で、この権益保持システムを飾り付ける他なくなった。本書は、歴史の「分岐点」から学ぶことの重要性を、改めて想起させてくれる。

 ■立案過程を可視化、現在にも示唆 佐藤武嗣・本社論説主幹

 「大東亜共栄圏」と言えば、陸軍が主導し、膨張主義的な構想が推進され、それを理念先行の近衛文麿政権が政治文書として上書きしたとの印象が強かった。だが、本著は歴史文書をたどりながら、外務官僚こそ共栄圏を追求した「本丸」だとして、その内実を掘り起こしている。「対英米協調主義」と「満蒙権益の維持・拡張」という相矛盾する目標を抱え、両立が破綻(はたん)して満蒙権益に軸足を移していく様を描きつつ、外務官僚までも目先の「国益」に引っ張られ、周辺国の受け止めへの想像力を欠き、排他的イデオロギーに吸収されていったとの指摘は興味深い。戦前の戦略立案過程の可視化は、米中に挟まれ、立ち位置を定めあぐねる現在の日本にも示唆を与えている。

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