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山下大介(VELOCITYUT,菫舎)インタビュー

自分にとって長崎といえば福山雅治でもハウステンボスでもカステラでもなくVELOCITYUT。
初めてライブを観た時から一瞬でファンになり、VELOCITYUTという文字を見ると胸の奥から特別な気持ちが湧き起こるような感覚になります。
VELOCITYUTは長い活動歴がありながらも未だに正式な単独音源のリリースがありません。
精力的なライブ活動と強烈なライブのインパクトが口コミで広がり、全国的にその存在が知られるようになったという印象があります。
ひたすらライブでブチかまし続けるようなスタンスも個人的にとても魅力的で痺れる要素の一つだったのですが、そんなVELOCITYUTもここ数年は長崎以外でほとんどライブを行わず、よりローカルに根差した活動にシフトチェンジし、オリジナルメンバーである山下さんは障がい者の方の支援を行う生活介護事業所「菫舎(すみれしゃ)」を友人達と立ち上げ、福祉サービスのみならず様々なイベントをそこで企画し、発信し続けています。
本インタビューでは山下さんにVELOCITYUTや菫舎の活動についてお話をお聞きしました。
インタビューをさせていただいて、自分は何だかVELOCITYUTのライブを観た後と似たような気持ちになりました。

聞き手、編集:五味秀明
(本インタビューは2021年12月〜2022年2月にかけてチャットで行いました)


-ご無沙汰しております。いきなりですが最近はどんな感じで過ごしていますか?

どんな感じって広いなあ・・・。
VELOCITYUTはコロナ禍の影響でスタジオに入れるメンバーのみでずっと続けていまして、先日2年ぶりくらいに全員でスタジオに入れたのですが、全員揃ったのはその一回きりでした。
基本的にギター、ベース、シンセの3名でスタジオに入っていてドラムの2人がいないんだけど、ギターがドラムをやって、俺がスタンディングドラムをやったりして新しいリズムを作ったり、ドラムなしで曲のようなものを作ってみようとしたり、コロナ禍が無かったら思いつかなかったか、取り組みだしてももっともっと先の話だったような事をやっている感もあって良い感じです。
と、思うようにしてます(笑)

-自分もバンドをやっているので分かりますが、長く活動しているとスタジオでメンバー全員揃うのが大変な時期ってどうしてもありますよね…。
今回のインタビューではVELOCITYUTと山下さんが運営に関わっている菫舎についての話を中心にお聞きできたらと思っているのですが、まずVELOCITYUTを結成した経緯を教えて下さい。

高校生の頃に前任のギターだった小方君とピストルズ(SEX PISTOLS)のコピーバンドをやっていたのですが、自分達の曲を作って演奏しようとなり、オリジナル曲を作り始めました。

-結成したのは何年くらいなのでしょうか?音楽性も最初はピストルズのようなパンクロックだったんですかね?

1993年だと思います。曲はピストルズのような感じではなく、暗くて不穏な感じかな。
曲も在り方っていうか、媚びない感じで作っていました。
625のコンピ(Barbaric Thrash Demolition Volume 3)に入れた曲とかはこの頃にできました。

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V.A/Barbaric Thrash Demolition Volume 3
2002年リリース。
アメリカのレーベル、625 THRASHCOREからリリースされたワールドワイドなパンク/ハードコアコンピレーションアルバム。
日本からも多数のバンドが収録されている。


-バンド名は結成当時からVELOCITYUTという名前だったのでしょうか?
差し支えなければどのようにバンド名が付けられたのか、バンド名に込められた意味などもあれば知りたいです。
個人的にVELOCITYUTっていう字面がすごくかっこいいなと思っています。

バンド名は似たようなバンド名がいたり、嫌になってきたりしたら変えてました。
VELOCITYUTは元々、VELOCITY UT(ベロシティー ユーティー)という名前だったのですが、見た感じ何かバランスが悪く、文字の間を狭めて表記しだしたら誰かが「ベロシチュート」と呼びだして良い響きだなと思って以降、VELOCITYとUTを繋げて表記するようになりました。
VELOCITY=速さ、UTはUnTitled=無題で
「無題の速さ」みたいな感じで良いんじゃないかって。
名前に意味は特に何も込められてないんです。

-VELOCITYUTで単語の意味を調べてみても出てこなかったので、造語なのかなと思っていたんですけどそういう事だったのですね。
結成当初の90年代は今のようにインターネットも発達していないですし、長崎は情報も都市部と比べて少なかったのではと思うのですが、音楽に関する情報はどのようにして集めていたのでしょうか?

パンク好きな兄ちゃんがいる友達とか、雑誌のDOLLと宝島、あとはラジオとかかな。

-結成当時はどんなバンドをやりたいかビジョンはあったのでしょうか?
当時影響を受けていた音楽などもありましたら教えて下さい。

ただカッコいい音楽を作りたいと思っていました。
個人的には原爆オナニーズのエディーさんがいた頃のスタークラブが凄く好きでした。
まだFRICTIONとか、NO NEWYORKなどを知らない頃。

-自分がVELOCITYUTを知ったのは2000年代だったのですが、その時の音楽性はショートカットでソリッドなPUNK/NO WAVEといったイメージでして、そういった音楽性にはどのようになっていったのでしょうか?

音楽に興味を持つ始まりは、多分中学に入る直前くらいにテレビで偶然ブルーハーツを観たことだったんだけど、そこから先述のDOLLや宝島って流れで色々な音楽を知っていった感じでした。
中高生の頃はラジオを録音したり、レンタルできる音源を借りたりして、良いのがあれば友人たちと交換するとか。
レコードショップもそんな感じの音源を置いてる店が長崎に1軒だけあったので、お金が入るとDOLLのレヴューやインタヴューなんかを参考にして買ったりしてました。
とは言え、欲しい音源は大体その店には置いてないんだけど(笑)
福岡に引っ越してからはレコードショップのコメント欄を参考にして色んな音源を買ったり、先輩に色々と尋ねたりしながら、V.A/NO NEW YORKや、昔の日本の創成期のパンクとか、あとポストパンクやその影響下から生まれていった海外のバンドとか、ブレイクコアなんかも聴いたりしていて、ハードコアが好きな友達も多かったので、その辺も色々と聴きながら自分が好きな感じを探ってました。
海外のバンドで日本国内で売っていない音源は直接レーベルから通販するようになって、その後自分でディストロ(店舗ではなく個人で音源を入荷して販売すること)も始めたり。
パンクって言ってもその頃は既にパンクが登場してから20年以上経過していて、曲の構成や展開等やってる事が歌謡曲とか普通のロックと変わらないものが殆どで、そういったものを超えた、それでいて、まだ誰も作ったことのない鋭い音楽を作りたいと思っていました。世界で最もカッコ良い音楽を作りたいと。
今は思ってないけど(笑)

-誰かを目標にしたり、思いっきり影響を受けたバンドがいたというよりも、どこにも無い音楽を作りたかった感じだったんですね。
VELOCITYUTは僕が初めて存在を知った時から今に至るまで、音楽性は変化しながらも常に他にどこにも無いエッジーな感覚を持ち続けているバンドだと感じているので、今のお話を聞いて流石だなと思ってしまいました…。
山下さんは福岡にいた時期もあったんですね。再び長崎に戻った理由は何かあったのでしょうか?単純にバンドをやる環境としては福岡の方が活動しやすそうなイメージがあります。

家庭の事情で(笑)
また福岡へ戻るつもりだったんだけど、もうそれから20年くらい経った感じです。

-山下さんにとって長崎はどんな場所ですか?

長崎と福岡にしか住んだことがないけど、長崎は恐らく日本でも有数のゆっくりした場所だと思います。東京から遠いのが自分にとっては良いのかもなと。
ここ数年、日本の自治体で転出超過連続日本一で、所得も全国トップレベルに低く、日本の未来を行ってるといえば行ってる感もあります。

-山下さんの話し方もどことなくゆったりしてますよね(笑)
2005年くらいにTHE ACT WE ACTを呼んでいただいた時が自分としても初めて長崎に訪れた機会だったのですが、確かに時間がゆっくり流れていたような印象があります。
ライブ会場がカラオケボックスの一室だったのも良い意味で衝撃でしたし、VELOCITYUTのライブは勿論ですが、その時に初めて観たローカルのバンド(GNAWNOSE、BASEBALL tEAM)もめちゃくちゃかっこよくて長崎にこんなシーンがあったのかと驚きました。
それ以前からも長崎にシーンはあったのだとは思いますが、2000年代の中頃くらいに九州から個性的なバンドが次々と登場してきた、というか全国的に知られるようになったイメージが個人的にあります。

GNAWNOSEのギターのテルさんは、
現在VELOCITYUTのメンバーでもあります。

カラオケボックスHARMONYでのBASEBALL tEAMのライブ。
ドラムは切腹ピストルズ、VELOCITYUT県外メンバーのユウタ君。

バンドブーム直撃世代だったので、周りのバンドも同年代で昔からの継続組という感じでした。BASEBALL tEAMは自分よりも下の世代で、突然出てきたバンドだったのでびっくりしたけど。カッコいいバンドを見つけたら教えあったり、ディストロで音源を仕入れたり。
自分の周囲のバンドとは頻繁に会ってたので、影響しあって指向性が似てきたりしてたのかなと思います。

-今もかもしれませんが当時は結構色々なバンドが九州に行ってましたよね。単発だったりツアーの中に組み込んだりだとか。そこで地元の人がたくさんのバンドのライブを目の当たりにした影響とかもあるかもしれませんね。
当時のカラオケボックスでのライブは単純に近くにライブハウスが無かったからあのような形だったのでしょうか?それとも当時全国各地で行われていたスタジオライブの影響とかもありましたか?

こちらにバンドが来るようになる前から皆バンドはやってたので、そういったツアーバンドからの影響はあまりないかも。
どちらかというと共同購入やディストロで直接海外から音源を仕入れて聴いたり、一時期企画の度にジンとそれに紹介している音楽を入れたフリーテープを作って配布していたんだけど、みんなで色々な情報を共有していたことが大きかったのかなと思います。

ライブ会場に関しては長崎にもライブハウスはあったけど、レンタル料金が高くて。
福岡ではスタジオライブもカラオケボックスでライブをやる以前から行っていて、多分スタジオライブが全国各地で行われるよりも前からやっていたと思います。
あくまでも自分の周りの話だけど、九州は九州内での交流はあっても他所の地域との交流は殆ど無かったので、自分達でライブをやれる環境を試行錯誤した結果、そういった場所で企画をするようになっていったんだと思います。

-なるほど、確かに同時期のバンドからの影響というよりもっと別次元のところから生まれているような、ある種閉鎖的な環境だったからこそ独特なシーンが生まれていたのかもしれませんね。
自分も当時は福岡のバンドの事は知っていても、九州のそれ以外の地域のバンドはほとんど知りませんでしたし。
僕が初めてVELOCITYUTを観た時はライブが5分程度で終わった記憶があるのですが、当時のような曲やライブの短さは何か意識してそうなっていたのでしょうか?

当時を振り返って考えると逆に開放されてたんだと思います。東京のバンドもその後色々とカッコ良いなと思う人達を知ったりもして交流が出てきたりもするけど、やはり自分で考えて行動するしかなかった時間が長かったので。
こちらでは相談する人もいなかったので図書館によく通ってたんだけど、パンクの本とかがあるわけでもないし、詩人とか画家とか小説家はどのように世界を捉えていたのか、表現に向かい合っていたのかを知りたいと思って色んな本を沢山読んでました。
そうして知れば知るほど自分がやってる事が生ぬるいなと感じて、そういった事がエネルギーになっていた気がします。
曲やライブの長さが短かったのは、その時はリフを繰り返す事がカッコよくないと思ってた頃で、ライブ自体も長くやる必要を感じていなかったので。
一番短い時はライブの時間が3分くらいでした。特に何かを意識してではなく、その頃の自分達はそのくらいの長さが良かったというだけかな。

-山下さんの活動を見ていると確かに表現活動をパンクだとか音楽だけの狭義的な事でなく、もっと広く捉えているような印象がありますし、それは山下さんの企画しているイベントだとか、後半の話で詳しく触れようと思っていますが現在運営に関わっていらっしゃる菫舎の活動などを見ていても感じます。

心を揺さぶってくるような素晴らしいと感じる現象に触れたい、そんなものが作れるなら作りたいと思って、たまたま自分達は音楽をバンド形態でやっているだけで、言ってみれば手段として音楽をやっているんだろうなと思います。
音楽が好きではあるけど、世の中にある大半の音楽と呼ばれているものについては魅力を感じるものは少ない。まだ触れたことのないような音楽も沢山あるだろうけど。
また、だからといって音楽以外の表現や活動で魅力を感じるものもそんなに見当たらない。
でも知らないだけで凄い絵や詩は沢山あって、それが百年以上前に生まれたものだったりもする。能とか雅楽にしても、それらを作った人達は情報とか本当に限られた中で当時どんなことを友人達と話したり考えたりしてたんだろう?とか想像したら、すごいなと思う。
そして(能や雅楽は)今も残っていて、これからも残るのだろうし。
あらゆる表現や作品には後世に残らなかった物の方が多いんだろうけど、せっかく自分達は今を生きていて、そして必ず死ぬので、できる限りのことをやりつくしたいなと。

-VELOCITYUTのここ数年の楽曲には能や雅楽の影響を受けているものがあると確かマーボウ君(VELOCITYUTのDrum、ex.BASSBALL tEAM)から聞いた記憶があるのですが、山下さんの話を聞いていると活動していく中で色々な影響を受けながら今のような音楽スタイルになっていったのも少し分かる気がします。
数分でライブを終わっていたVELOCITYUTが現在は曲も長尺になり、インストのバンドになっていった経緯をお聞きしても良いでしょうか?

短い曲が沢山出来ていたので、それ以外の曲の作り方とか、言葉の無い、音だけで曲を作っていく事を試し始めたら長い曲が出来たという感じです。
今は曲の長さがまた短くなりつつあります。
以前からある曲もアレンジしてずっと変わり続けていってたけど、歌詞はそんなに変えていきたいと思わなかったりもして。だったら歌詞が無くても良いかなと。
また歌詞が在った方がいいかなと思ったら言葉や声を入れていくようになるだろうけど。

こちらからも質問していいかな?
俺が好きそうなバンドとかアーティストっているかな?音楽じゃなくてもいいけど。

-山下さんが好きそうなアーティストですか…いざ言われると難しいですね…。

SUBURBAN MUSÏKは音からヒリヒリとした怒りと誰にも媚びない強さを感じるというか、そういった意味でもVELOCITYUTと共通する所があるような気がしました。
The Creaturesは一昨年初めて聴いたのですが、結構衝撃でした。

ありがとう。どちらも初めて聴きました。Siouxsie and the Banshees好きなのにThe Creaturesは聴いてなかったです(The CreaturesはSiouxsie and the BansheesのボーカルSiouxsie SiouxとドラムのBudgieによるユニット)。この辺の時代は挑んでる感じの音楽が多くていいなと思うけど、まだまだ聴けてないです。
この曲はパンクがどこへ向かうのかを試行錯誤してる感じが良いね。なんだかピグミーのポリフォニーぽいし、いろんな音楽を聴き探っている感じがします。あのドラムはバンシーズの時から独自のリズムパターンを作ってたので、どんな人だったんだろう?と少し前にちょうど調べたりしてたとこでした。

―The Creaturesは僕が聴いたレコードでは全曲ボーカルと打楽器のみで構成されていて、自分の話になっちゃいますけどTHE ACT WE ACTもドラムのリズムパターンから曲を作る事が結構多いので刺激的でした。
VELOCITYUTの曲もリズムにトライバル感があると思うのでどうかなーと。
逆に、長崎で活動してるバンドやアーティストで山下さんが気になっていたり注目している方がいましたら教えていただけるでしょうか?

自分がやるとなると難しい(笑)
頻繁に連絡とったり会ったりする友人で、その中でも作品を発表しているという括りで。


・森元斎(アナキズム研究者・アナルコロジーコレクティヴ・長崎製糞社)
一昨年から長崎大学の教員として長崎に移住してきてよく遊んでます。音楽も好きで以前はceroのメンバーたちとバンドをやってたそうです。
何冊か本を出してて「もう革命しかないもんね」って本に、菫舎のことなど、長崎のことも色々と出てきます。


・SEIGO FUKUDA(図案作家)
一時関西へ出たあと帰郷し、長崎でずっと創作活動をやってます。とてもストイックで最近はvelocityutのギターと二人で音源を作っていて、かなり面白かったです。

・大澤弘輝(画家)
菫舎で子どもむけの美術教室を行なってくれている若者。ずっと長崎で創作活動を行っていて真剣に迷走しているので、勝手に期待しています。

・藤崎淳(映像作家)
現在は鹿屋にある精神の障害福祉事業所のドキュメンタリー作品を制作、随時発表中。面白いのでぜひ。
フラミンゴ失調症 Ep1 - やめられないをやめたい

・花堂達之助(画家・むつごろうバンド)
仕事は同じ障がい福祉事業所で、利用者さん達とバンドをやったり、自身もずっと絵を描いてます。

こちらでおすすめのバンドだったら、福岡だけどXL-fitsが凄いです。刺激を受けます。

-ありがとうございます、長崎で山下さんが幅広く柔軟に活動されているのがこういったところからも分かる気がします。
XL-FITSかっこいいですよね。VODOVOのトオルさんが革ジャンの背中に「XL-FITS」ってペイントしてました(笑)

では、再びVELOCITYUTについてお聞きさせていただきます。
VELOCITYUTは2000年代〜2010年代の前半くらいまで全国の色々な場所で精力的にライブをされていたという印象があるのですが、ここ数年はしばらく九州以外でライブをしていなかった時期もありましたよね?
それは何か意図していたところがあったのでしょうか?

VELOITYUTは活動を始めてからメンバーが見つからずに動けなかった時期も結構多くあったので、動ける時はやれる事をやれるだけやろうと誘われたライブは東京方面など遠方にもできる限り出演していました。
実際に東京にはバンドの知り合いや友人も多くいて、行くととても楽しいんだけど、ライブが終わったら帰らないといけない。
基本的にツアーは機材も多いので車で行ってたんだけど、東京まで片道1400kmくらいあるんだよね。週末夜勤明けとかで朝から長崎を出て、東京とその間にある街を合わせて3回くらいライブをやって、月曜の昼とかに長崎に戻ってきてからちょっと寝てまた仕事へ行く、みたいな感じでした。
やりたくてやってた事なのでキツくはなかったけど、このエネルギーは自分達が生活を営む街を楽しくする事に使うべきなのではないかと考えたりするようになってきて、ちょうどその頃に2011年の東日本大震災がありました。
それを機にライブは長崎や近くの街を中心とし、またスタジオでの創作活動の比率を高めるためにも頻繁にライブを行わないようになっていき、当時のメンバーでの活動も継続が困難になってきた、というのもあり、どっちが先か忘れたけどそんな感じでした。
その後、現在のメンバーとなってからは公園や地元の朝市なんかで演奏したり、出演するのが自分達だけ、もしくはゲストと自分達だけのライブとか色々なやり方でやってみたんだけど、やっぱりこれだけじゃ面白くないしどうにもならんとなってきて。
新しいメンバーは九州を出てライブをやった事も無かったので、いい刺激にもなったらと、2019年に五味君に誘ってもらったイベントで久々に名古屋へ行った次第です。
その後東京へも一回行って、飛行機で日帰り可能な街であればまた遠方でもライブを、と色々と予定が決まりつつあった時にコロナ禍となり、今へ至ります。


-自分の場合は基本的にライブで演奏する事を前提に曲を作っていて、ライブがバンドをやる上でのモチベーションになっているところもあるのですが、山下さんにとって今はどのような事がバンド活動のモチベーションになっていますか?

音源を作る事なんかも含めて全てが絡みあってる事だけど、どれもモチベーションにはなっています。
曲というか音が曲のようなものになっていく事、それ以前に音を出す人がどのようなものを良いと感じるか、言えば感性を高めるというか培うような事を意識して探していて、結局のところはやる事ってそれをやる人によるので、その当人である自分次第が関わる全てが繋がっていて、VELOCITYUTもその一つという感じなのだろうと思います。

-VELOCITYUTの活動を見ていると、良い意味で他者からのリアクションだとかシーンや流行とかとあまり関係ないように動いているように見えるというか、自分にはある種独特な活動をしているようにも見えます。
2019年に名古屋で久々にVELOCITYUTのライブを観た時も、音楽性が以前から変化していた事の驚き以上に長い間ひたすら純粋に自分達の音楽と向き合って磨き続けていたんだな、というのが演奏から伝わってきてめちゃくちゃ感動したんですよね。
歌や言葉が無くても演奏次第がメッセージのように感じて「バンドってそういう事ですよね」って腑に落ちるというか、背筋が伸びるような思いもありました。
山下さんはあの日のライブには納得いっていない様子でしたが…。

周りがどうとかよりも誰しも自分の事しか分からないしね。
ただメンバーが自分一人になってしまったり、スタジオにも入れなくなってしまった時間も長かったし、バンドを通して貴重な時間を過ごしているという事は意識せずとも染みついてはいるのかもです。
やりたくてやってることだしね。


ーメンバーが1人になってしまった事もあったんですね…。
それでもバンドという形態にこだわって続けていたのには何か理由があるのでしょうか?
山下さんにとっては音楽をやる事=バンドなのですかね?

一人で音楽を作る事を考えた事がなかったです。音楽をやる事=バンドというより、音楽をやる事=VELOCITYUTになっているのだと思います。
VELOCITYUTはメンバーが続けるのが難しくなったから辞める、とはせず、またやれるようになったら参加するという感じにしてます。
皆、それぞれ事情もあって音楽との関わり方も違うわけだし、それを受け入れてやれるようになってからは活動が停止してしまうことはなくなりました。

-長い間続けているとそれぞれ生活のペースも変わっていきますし、メンバーにとっての生活の中でのバンドの在り方も違いますもんね。
これだけの活動歴があってDEMOは何枚かリリースされていますけど、正式な単独音源が無いのも独特だなと思うのですがこれも何か理由があるのでしょうか?
VELOCITYUTの活動や今までの山下さんのお話を聞いてて思ったのが、過去の曲を何度もリアレンジしているというお話もありましたし、曲を音源にして残すと聴いた人にとってそこで曲が完成されてしまうので最新の自分達の音を聴いてもらうにはライブに来てもらうしかない、という意図ももしかしてあるのかなと思いました。

音源は記録したものなので、実際に生で体験してもらうのが自然な形だとは思ってます。
でもライブに来れない人もいるし、ライブと違った体験ができるのが音源だよね。
VELOITYUTを好きになってほしいとか人気者になりたいっていうような気持ちはなくて、ただこんな音楽が存在していることを知る事で何かの刺激になってもらえたりすると嬉しいなとは思ってます。
自分もそういう刺激や体験に希望を感じてそれが生きる原動力みたいになっているので。
以前はレコーディングもやってみたりしてたけど、ミックスが終わらず、そうしているうちにスタジオでは曲のアレンジがどんどん進んで変わっていってしまって結局リリースできず、ここ数年は新しい曲が出来たらPCの内蔵マイクで録っただけの音をsoundcloudにアップしたり、同じようにライブの演奏を録音したものを会場で販売したりしていました。
で、そんな感じの事もよく知ってる古くからの知り合いが、レコーディングもやるので単独音源を作りたいと言ってくれたのでお任せしまして、昨年ミックスも終わり、何もなければ今年リリースされると思います。

-おお、ついに!めちゃくちゃ楽しみです。
ちなみにどのようなフォーマットでリリースされるのでしょうか?
現在音楽を聴くフォーマットの主流になりつつあるようにも思える配信やサブスクについてはどう思われていますか?

アナログレコードの予定です。サブスクでもやるのかも。
サブスクは利用してないのでよく分からないけど、スマホ依存に繋がるような事に利用されてる感じがします。使う人次第だろうけど。
生きていく上で便利な方が良いけど、それに依存して感性が鈍っていくような事は若い人達の可能性を奪ってしまうだろうし、そんな大人達しか周りにいない環境だと子ども達もそうならざるを得なくなるんじゃないかって思う。
配信ってYouTubeとか?

ーYouTubeだとか、Bandcamp等データで音源を売るやり方とかですかね。
自分はサブスクを利用していますけど、音楽を聴く立場からだと便利なツールだと思いますが、音楽を作る立場からするとレコーディングやミックス、マスタリング等にかかったお金をサブスクやデータ販売だけで回収するのはある程度の有名なアーティストでないとかなり難しいのではと思います。
レコードも以前より原価や輸送費等が高騰していて製作費と売値が上がってますよね…。
自分もレコードというフォーマットは好きなのですが、今の時代はパンクバンドでもレコードの売値がメジャーアーティストのCDと同じくらいかそれ以上になってしまいますし、CRASSがもし今活動していたらどんな風にリリースしているのかなとかたまに考えたりします。

CRASSならサブスクとは違う形のデータ配信かもね。
会場とかに募金箱を設置するとか。クラウドファンディングやアナログなファンディング的なこととかも良いなと思います。
お金の価値って人それぞれだし、払える人が払って、払えない人達も払えるようになったら、同じように払えない人達の為に払うみたいな。

-データとレコードで好きなフォーマットが選べる選択肢があるのはある意味そういう事なのかもしれませんね。投げ銭みたいなシステムもBandcampにはあったりしますし。
作品としての価値や金銭的なバランスと聴く上での敷居の低さの両立ってなかなか難しいなと思ったりします。
これまでVELOCITYUTの活動についてお聞きしてきましたけど、既にお話された内容もあるかもしれませんが活動する上で大切にしている事はありますか?

諦めないことかな。

-長年バンドをやってきたからこその言葉ですね…。
続いて山下さんの職場であり、運営にも関わっている菫舎についてお聞きしたいのですが、まずどのような場所なのか説明していただいても良いでしょうか?

菫舎は障害福祉サービス事業所で、通所のデイサービスみたいな感じです。
築百年の古民家で、利用者さんの帰った後の夕方以降の時間帯を利用して様々な取り組みを行なっています。
近所の子たちが遊びに来れる寺子屋を週に2回、また子ども食堂、子ども向けの美術教室、トークイベント、上映会、ライブ等全て無料でそれぞれ月に一度は行ってたんですが、子ども向けに行っている行事以外はコロナの影響で停止していました。
昨年の秋頃はコロナの方も少し落ち着いていたので、11月にパンク展(PUNK! The Revolution of Everyday Life)をやって、その後また新たな感じでやれそうな事から再開しようと準備してたんだけど、また感染者が激増してきたので状況をみながら今後の策を練っています。
あと毎月フリーの冊子も作っていて、これはコロナ期間中もずっと発行しています。
菫舎に関しての情報はここに色々載せてます。

トークイベントのゲストは革命家、アナキズム研究者、山伏、僧侶、哲学者、切腹ピストルズの隊長とかデラシネのコレ君とかにも来てもらいました。
ライブの方は、海外からも色々と。途中からノイズ勢が多くなってきてました。
あと年に一回はお祭りもやっていて、有川神楽や、切腹ピストルズにも来てもらいました。


-ライブは自分の身近な人だと確かGOFISHのショウタさんや石原ヨシトさんも出演していますよね。
菫舎を始めることになった経緯はどのような感じなのでしょうか?

名古屋のアーティストは以前名古屋にいたユウタ(切腹ピストルズ、VELOCITYUT)繋がりで来てもらいました。
職員の子ども(小学生)がGOFISHを好きになったり、ヨシト君にはその後コラムを書いてもらったり小説?を送ってもらったりして、交流が継続していました。
菫舎の始まりは、以前、障がい者の入所施設で一緒に働いていた友人から誘われ、そこにいた数名で立ち上げました。


-自分も障がい者の方の支援に関わる仕事をしていますが、山下さんはどのようなきっかけでこのような仕事をするようになったのでしょうか?

たまたまハローワークで見つけて面白そうだなと思いまして。
それまではコンビニの夜勤をやってました。
多分VELOCITYUTがカラオケボックスで企画をやってた頃かな。
働いていたコンビニが閉まることになったのでハローワークに行ってみて、夜勤で休みも取れるような仕事がいいなと思って紹介されたような気がします。
その頃は遠方でもライブをやったりしてたので。

-自分の場合はバンドをやりながら福祉系の仕事をしている人が結構多いと聞いてこのような職種に興味を持ったのですが、実際やってみてどうでしたか?

初めに勤務した職場は人里離れた山の中にある古い建物で、入所者は重い障がいの人達が多く、全てが衝撃的でした。同じような施設が長崎にも沢山あることも知らなかったし。
利用者さん達の自由度の高さもこちらの想像を越えてくるので刺激的で楽しかったです。純真でかわいいし。困っている人を手助けしてお金がもらえるって感じもとても良いなと。
音楽に限らず表現活動をやってる人にはとても向いてる職種だと思います。表現活動をしていなくとも、生きることを考える全ての人が障がいを持った人達と接した方が良いと思う。
障がいを持った人達にとって、いろんな制度ができたり、生活しやすくなっていく事はとても良い事ではあると同時に、それによってもたらされる分断によって、想像力や可能性を奪い、人を孤立のサイクルへ導き、多様性を大切にする社会とどんどん欠け離れていっている感じがします。

-菫舎を立ち上げるきっかけは以前働いていた施設に対する違和感のようなものがあったのでしょうか?

以前働いていた施設への違和感もあったけど、新しい場所を一から作るという選択肢が生まれたので面白そうだしやってみようという感じかな。

-自分がこういった職場で働いていて感じたのは、どこかしら世の中にフィットできない感覚を障がいを持った方達もずっと感じていただろうなと思うし、そこに少し共感に似た気持ちがありました。
マジで自分のやりたくない事は絶対にやらない人とかいて「めちゃくちゃパンクだな」と思ったり(笑)
菫舎を立ち上げるにあたってどのような場所にしたいという思いがありましたか?

アップルやGoogleにも負けない場所にと(笑)

-えーと、もう少し具体的に聞いても良いでしょうか…?

世界で最も素晴らしい場所にするみたいな…希望を感じる取り組みを行なっていく場所かな。感じ方はそれぞれだけどね。

-音楽活動と普段の仕事を分けて考えて生活している人は結構いると思いますが、菫舎のやっている事を見ていると、山下さんがVELOCITYUTで活動してきた事と地続きというか、山下さんは以前から場所を作る事に対してすごく意識的である印象があります。

場所というか機会を作りたいとはずっと思ってやってきました。
心を揺さぶられるような体験とか、色んな考えを知る機会とか。誰しも自分が知ってることしか知らないわけだし。
偏見でしかない常識が横行する社会で、傍観するだけってのが逆にキツいかもしれません。
魅力ややり甲斐だったり、大切だと感じられない事ばかりで、そんな事に付き合っていられないし。

-仕事にしろ音楽活動にしろ、どちらも自分のやっている事であり生活の一部なので、そこに整合性というか辻褄が合わない部分があるのはちょっと嫌だなという事を自分も最近よく思います。
菫舎を立ち上げてからご自身に何か変化とか気づいた事とかってありますか?

落ち葉って風が吹いたりして同じとこに集まったりするように、人間も環境によって、似たような人達が集まっている感じがします。
人間の場合は手足もあって、自分の頭で考えて行動する事ができるんだけど、環境にただ身を委ねていたら、おのずとそんな場所が自分の場所となった人達ばかりが集まり、そうでない人たちがその周りに存在しなくなるような。
例えば愚痴を言うだけで自ら行動することがない人の周りには、おそらくそういう人ばかりしかいなかったり、自分と似たような人以外を避ける人も多いので、孤独に陥りやすくなったりとか。
他者から学ぼうとしない人達の同意できる規範みたいなものが、常識や同調圧力、マナーとかになってたりもするって思うんだよね。
自分の頭で考えて行動する時に、その人が何を良いとするのかの判断は審美眼のようなもので、人生というか目の前に広がる世界をどのようにデザインすればいいのか?って考えて行動することが大切だと思っているんだけど、これってセンス、感性が大事で、センスが悪ければどうにもならないし、そもそもありとあらゆる事の殆どはどうにもなってもいないんじゃないかって感じることが多いです。
そしてセンスいいなって思う人やモノってなかなかない。
自分の頭で考えて行動する経験があまり無いまま、そこの部分が成長出来ずに見た目だけが大人になっているような人が凄く多いなという感じがします。
干渉が多い環境で育った人達なのかなと思うんだけど。自らが自ら以外から学ぼうとしなければ、魅力的な出会いのきっかけも起こりようがない。脳の構造もある程度遺伝もあるだろうけど、それよりも幼少時の環境や周りの大人達の振る舞いが大きく影響しているだろうから、自分達の振る舞いはとても大切な事で、刺激をあたえてくれる人や友人の存在に感謝しつつ、自分達は誰にもどこにも依存せずに、できる事を楽しみながらやっていきたいなと思ってます。

-菫舎に色々な方々を招く事で様々な文化や考えに触れるきっかけになりますよね。
菫舎が行ってきたイベント等に対する周囲だったり菫舎の職員さんの反応はどんな感じですか?

菫舎のスタッフの反応はそれぞれですが、基本的には興味ないんじゃないかな(笑)
でも、こうした色んな取り組みを行うことについて、良いと思います!と、言ってくれるスタッフも中にはいます。
昨年11月に行ったパンク展は誰も来ないんじゃないかなと思ってたけど、古い知り合いや、知り合いの知り合いなどが来てくれて盛況でした。
訪れてくれる人達の反応は良いです。
告知は毎月発行しているD三 wakuseiという冊子やホームページ、そして新聞などで行っていて、少し前からインスタも始めました。
初めて訪れる人は「こんなとこあるなんて知らなかった!」というリアクションが多いですが、その後、友人や知人を誘って来てくれたりする人も多く、少しづつ知り合いも増え現在は20人くらいの人達が集まるようになりました。
訪れる人は仕事の関係で移住してきた人が多く、あとは美術や映像などの学校を出て、Uターンした人達とか。
他には教育関係者、映像作家とか、絵描き、美術愛好者、編集者や写真家など来てくれますが、音楽関係ではDJをやってる知り合いは来たりするけど、バンドの知り合いは殆ど来ません。
冊子は美術館や図書館、知り合いの店など、とてつもない数の場所に設置してもらっているのですが、設置してある場所をチェックするような人ってかなり限られているようです。
またこれに限らず<探す人><行動する人>って出会ってないだけで、いくらでもいるだろうと思っていたのですが、本当は殆どおらず、逆にどうにかこうにか菫舎を訪れてくるような人達はとても貴重な人達で、奇跡のような出会いなのだろうな、と、今書きながら思いました(笑)

-パンク展だったり攻めた内容のイベントを職場で共有するって凄いなと思ってたんですが、やはりなかなかその辺の温度差のようなものはありますよね…。
自分もless than TVのドキュメンタリー映画「MOTHER FUCKER」の上映会を職場でやろうとした時に、「MOTHER FUCKERという言葉はそもそも人を侮辱する言葉であるので…」みたいな感じで上司から難色を示された経験があります…。
普段の仕事内容とは直接的にあまり関係ないような事でも、職場で山下さんのやりたい事を企画できる環境があるというのもなかなか無い事だと思いますし、山下さんが菫舎の立ち上げメンバーで運営に関わっているからこそできる事でもあるかもしれませんね。
イベントやライブには菫舎の利用者さんも参加されるのでしょうか?

イベントは利用者さんがいない時間帯を使ってやってるので、利用者さんは参加してないです。
イベントに関しては個人的にやりたい事でもあるけど、まず大前提として、社会に対して、地域に向けて、菫舎が行なったら良いのではないか?と思う事を考えた上で提案して行っています。
職員も自由参加なのですが、参加した事もない人の方が多いです。また、職員でもないのに協力してくれる人達もいます。
魅力的な表現や様々な考えに触れる事は、自分達が持ってしまっている偏見を取り払ったり、希望的観測を修正できたり、大切な事や、そうでない事もそれまでより見えるようになると思うので、結果的に自分達の関わりのある人達へも影響が及ぶという事を考えたら、大切な事だと思います。
毎日同じ事をただ繰り返すだけって、脳も機能不全を起こして、怠惰になったり、利己的になって保身に走るしかなくなりそうじゃない?
でも、マザーファッカーの上映は難しいね(笑)
皆は無理でも、共通項を探って納得できる作品から提案して、少しづつ信頼を作っていくこともできると思うよ。
全員は無理だと思うし、そこも受け入れて、やれることをやっていく事、他の方法を考えたりとか。
映画だったら違う場所で上映でも良いだろうし。どうにかしようという意思をなくしてしまえばそこで終わるしね。諦めないこと(笑)
子ども向けで大人もみれるアニメとか良かったよ。子どもも見れるし。
「MOTHER FUCKER」とは全然違うけど(笑)

-なるほど、お話を聞いていて菫舎は障がいを持った方達を対象とした事業所である事は勿論なのですが、地域のコミュニティーセンターというかフリースペースのような場所でもあるのかなと感じました。
職員でもないのに協力してくれる人がいるのもすごいですし、それくらい開かれた場所なんだなと。
さて、そろそろインタビューの締めに入っていきたいと思います。
今後VELOCITYUTでも菫舎でも良いのですがどんな事をやりたいと考えていますか?

まだ思いつかないような事を探しながら、見つかる事を行っていきたいです。

-ありがとうございます。それでは最後に長崎のおすすめの飲み屋を教えて下さい!

飲み屋、色々ありますよ〜

安楽子(あらこ)
刺身がすごいです。

牡蠣小屋:冬季限定
冬になると至るところで海の近くの掘立て小屋みたいなところで、営業されます。


つるた
菫舎から徒歩1分の角打ち
近所のおっちゃん達の溜まり場。

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山下大介(VELOCITYUT,菫舎)インタビュー|nurse green web zine
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