「外国人問題」と「問題外国人」◇不満のごった煮を見極めよう(マライ・メントライン ドイツ公共放送プロデューサー)


 私が単独で騒いでもどうしようもないことだが、昨今よく取りざたされる「外国人問題」というコトバはそれ自体が問題だ。なんといっても間口が広くて雑すぎる。それゆえたとえば、単なる「ガイジン嫌い」のヘイト心情の正当化に多用されてしまっている。

 「問題」はもっと適切に的を絞って対応する必要がある。漠然としたままでは「全てを守ろうとする者は、なにひとつ守ることはできない」というフリードリヒ大王の言葉どおりになってしまう。率直な話、私の目から見ても「問題外国人」というのは実際に居る。


 一方、特に先進国と呼ばれる国々にて、もともとの自国民だけで(つまり鎖国状態で)やっていこうとしても、社会運営に絶対的な行き詰まりが生じる。どこの国でも極右が「外国人など要らぬわ!ウチの国は自国民オンリーで今後もぜんぜんオッケー!いけるいける!」といった言説を振りまきがちだが、幸か不幸か実際にはムリだ。そのため勤労者にせよ観光客にせよ、生活環境で外国人が視界に入る状況が続く、ことによっては増えるのは確実といえる。排外主義的な言葉の連打で支持を得た政治家が、いざ権力をゲットすると往々にして外国人労働力の確保という「現実路線」にシフトしてしまう各地での状況をみれば、そのあたりのリアルというものがわかるだろう。

 ゆえに、曖昧さや主張の我田引水に満ちた「外国人問題」をあおり立てるのではなく、「問題外国人」という存在をどう捉えるか、社会の受益性との兼ね合いを踏まえてその振る舞いについてどこまで受忍し、どこからNGとして厳しい姿勢を見せるべきかをよく考えて実行することこそ重要だ。というか、このあたりの法的・心理的な文脈を整理しながら社会システムとしてうまく実装した国こそが、今後の国際社会で主導的なポジションを握ってゆく気がする。

移民大国ドイツのリアル

 ドイツは移民大国と言われ、そして移民政策で破綻をきたした失敗国家だと右派の論客は口をそろえて騒ぎ立てる。実際に失敗かどうかは諸説あるのでここで断定はしないが、私が問題視したいのは「ドイツは移民受け入れ政策をとって失敗した。ゆえにドイツから学ぶ=ドイツの事例を見る必要はそもそもまったく無い!」と断じるタイプの右派論客たちの知的姿勢で、いやいや、ダメなものはダメなりに「分析対象として適切に参考にする」必要はあるだろ、と思うのだ。

 あの過度の極論姿勢は、ドイツのリアルをあまりよく知らないままでも否定だけはしたいという心情の安直な正当化メカニズムの一環に見える。動画サイトでの小遣い稼ぎみたいなああいう言説を真に受けることこそ、自らの生活の足もとを腐食させてしまう非知性への道だろう。

 ドイツ移民政策はどこがダメだったのか? その大きなポイントのひとつは、ドイツの法律や社会通念からみて、さすがにこれはアウトだろと思われるような慣習やふるまいの持ち込みを、【多文化共生】の美名のもとで黙認した、あるいは問題解決をひたすら先送りしようとしたことだ、と感じる。

「名誉殺人」の裁判で考えたこと

 あれは2012年、つまり時代の転機となったあのシリア難民大量受け入れの前だったわけだが、私は社会派ミステリー小説がらみの取材で、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール市の裁判所で裁判の傍聴を行った。イスラム的生活文化の文脈で発生した「名誉殺人」事件を裁く内容で、事件の概要は「イラクからドイツに移民したクルド人男性Aは、ドイツでレバノン人女性Bと恋愛関係になった。当時、Bには【本人はイラク人と主張しているがたぶんレバノン人】である夫Cが居たが、BはCに別れを告げて家を出て、Aと同居するようになった。Cはこれを【自分に殺人の権利が与えられるべき男性的不名誉】と見なし、Bの4人の兄弟D、E、F、Gに声をかけ、結託し、キール市内にて五人がかりでAを惨殺した。創傷は19カ所にもおよび、一部始終が市内の監視カメラに収録されていた」というものだ。発生当時、キール市のみならずドイツ全土でも話題になった記憶がある。

 背景を含めた事件そのものの凄惨(せいさん)さもさることながら、法廷の情景で私の印象に強く残ったのが、被告サイドを除く関係者全員の「ドロドロした倦怠感」みたいなものだった。

・被告は何か質問されるたび、たぶんドイツ語ができるのにドイツ語を理解できないそぶりを見せ、そしてアラビア語で尋ねられても聞こえないふり等、露骨な遅滞戦術を延々と繰り返して、話がまったく進まない。

・裁判官は法に則った適切な発言しかできないので、その遅滞戦術を一刀両断で切り捨てるわけにもいかず、最初から最後までストレスの塊みたいな顔だった。

・一番つらそうなのは法廷通訳の人(ちなみにアラブ人女性)で、わかり切った露骨な不誠実さを愚直に丹念に処理し続けなくてはならない不条理に直面していた。自文化あるあるの暗黒面みたいなものに数時間も200%直面しなければならないのだ。

・本件は重犯罪であるため、法廷には武装した法廷警察(ドイツにはそういう警察セクションがあるのだ)のメンバーが数人居たが、傍聴席に配置されたメンバーは、かったるそうに足を投げ出しながら「ふざけんじゃねぇよ。仕事とはいえ、俺が何故こんな茶番に付き合わねばいかんのだ?」という雰囲気満開であくびを連発していた。

……と、以上のような感じで、本当にまずいものまで黙認してしまったツケがここに凝縮されているという印象だ。そして、

①まずいことをしでかす移民・難民は確かに「統計的にはごく一部」なのだろうが、ここで展開している問題はいろいろな形で蓄積したあげく、やがて、解消困難なヘイト感情としてドイツ社会に染み出していくかもしれない。今そんなことを言ったら、差別主義者とか言われて叩かれること確実だけど。

②もし、この手の問題に対する対策や考慮抜きで(つまり企業利権的なモノ優先で)たとえば日本が移民受け入れ的な政策をとるとしたら、実害もさることながら、めぐりめぐって国益に反するむやみな外国人ヘイトを誘発することになるだろう。

……という思考が同時に展開した。①は実際にそうなってしまった感がある。極右政党がヘイトをあおるだけでなく、既存政党が極右的な政策を部分活用するようになったことが地味にサイレント支持を得ていることがその証明だ。②はどうか? いま瀬戸際のかなり際どいところにある。大々的な移民受け入れを行う前に「適切なケジメ」を整備できる、そして社会に周知できる余地がまだ残っている日本は、ある意味ここで国際的に株を上げるチャンスを持っているともいえる。

外国人「全否定」vs「全肯定」のむなしさ

 いわゆる「外国人問題」というのは不満のごった煮のようなもので、先述したような問題もあれば、アパートのゴミ出しルール問題も、観光客にありがちな「でかい荷物とともに満員電車に図々しく乗り込んできて空気を読まない」問題も、また来日動画配信者の炎上コンテンツによる迷惑問題もある。こうした諸相のどこにどんな形で「納得できる線を引く」かに、いろいろな将来の展開の成否がかかっているように思われる。

 確実に言えるのは、いま世間に満ちる、外国人全否定vs全肯定のあおりカウンター応酬だけがいつまでも循環するようでは、社会自体が世界のサバイバル文脈から取り残されるだろう、ということだ。(2025年11月22日掲載)

◇ ◇ ◇

マライ・メントライン

翻訳者・通訳者・エッセイスト。ドイツ最北部、Uボート基地があったことで有名な軍港都市キール出身。ドイツ公共放送のプロデューサーを務めながら放送媒体でのコメンテーターやウェブでの情報発信にいそしむ日々。書評家・杉江松恋氏との芥川賞・直木賞の全候補作徹底討論&受賞予想は地味に「業界必須見解」といわれる。共著に『ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」』 、単著に『日本語再定義』あり。犬派なのになぜか猫を飼っていたりする。

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