皆さまの声を市政に届けます

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杉⼭ゆきひろとは

ご挨拶

このたび、地域の声を市政に届ける思いを強くし、政治活動をスタートさせました『杉山ゆきひろ』と申します。
私はこれまで、地域の一員として日々の暮らしを大切にしながら、また、町内会長を引き受けてからまちのさまざまな課題に向き合ってまいりました。
「もっとこうだったらいいのに」「こんな制度があったら助かるのに」といった日々の声を、もっと市政に届けられる存在になりたい。
その思いから、今回決意いたしました。
政治は特別なものではなく、皆さんの暮らしそのものだと思っています。
だからこそ、地域の一人として、現場の声にしっかり耳を傾け、丁寧に行動していくことを大切にしていきたいと考えています。まだまだ未熟な点も多い私ですが、まちの未来を真剣に考え、ひとつひとつの課題に真摯に向き合ってまいります。

皆さまのあたたかいご支援を、心よりお願い申し上げます。

プロフィール

PROFILE

昭和38年4月11日、富士市一色の杉山家の長男として誕生。
大学の同級生の妻と結婚。3男を授かる。
現在は妻と3男と3人暮らし。
趣味はゴルフ。野球等スポーツ観戦。

1970年03月神戸幼稚園 卒園
1976年03月富士市立神戸小学校 卒業
1979年03月富士市立吉原第二中学校 卒業
1982年03月静岡県立富士東高等学校(2期生) 卒業
1987年03月帝京大学文学部教育学科 卒業
1987年03月富士宮信用金庫 入庫(鷹岡支店勤務)
1988年08月中学校講師(大淵中学校、吉原第二中学校、金岡中学校)
1990年4月富士市役所 入庁(社会課、秘書課、広報広聴課)
2018年04月スポーツ振興課長
2023年04月会計管理者兼会計室長
2024年03月役職定年
2024年04月中央図書館田子浦分室室長
2025年03月富士市役所 退職

< 現職 >

2023年04月一色町内会会長
2024年04月青葉台地区町内会連合会副会長
青葉台地区まちづくり協議会副会長
2025年05月富士市スポーツ協会副会長

杉山ゆきひろってどんな人?

北に富士山を仰ぎ、南に駿河湾を望む富士市一色で生まれ育ち、62年が経ちました。



穏やかな田舎で育ったこともあり、性格はいたって温厚で、「何とかなるら!」が口癖の楽天家です。

地元の神戸幼稚園で幼少期を過ごし、神戸小学校時代は一年中半袖半ズボンで過ごす健康優良児でした。 6年生の時には児童会長を任されました。 小学校で出会った恩師に影響を受け、子どもの頃から教師になりたいと考えていました。 その先生は「教科書よりも自然の中で学ぶ」を体現した授業をされており、子ども心に「教育委員会から目をつけられているのでは」と心配したものです。
とりわけ印象深いのは、市内のサッカー大会に向けての練習後、先生の愛車である日産・チェリーに私を含め12人もの児童を乗せて、それぞれ家まで送ってくださったことです。 私たちは皆、工夫して車内に隙間なくもぐり込みました。 今から50年以上も前の出来事です。 もう時効ですよね…。
神戸小学校は1学年1クラスの小規模校でしたが、富士見台団地の造成に伴い、富士見台小学校が設立されるまでの間、神戸小学校に通う児童が増えました。 そのため、6年生の時に初めて2クラスになり、1クラス25人、合わせて50人の同級生となりました。
今では定番のメンバーになってしまいましたが、私たちは毎年同窓会を開いています。

中学校は吉原第二中学校に進学しました。 当時は富士見台団地が造成されたばかりで、吉原北中学校が開校するのは6年後のことでした。 そのため、神戸小学校を卒業した生徒たちは、バスで吉原第二中学校まで通っていました。
吉原第二中学校時代は3年間野球部に所属し、3年生の時には三塁手としてレギュラーを務めました。 また、学級委員とともに生徒会の副会長も兼任しました。

高校は新設2年目の第2期生として、静岡県立富士東高等学校へ進学しました。 自宅から自転車で2分という近さでした。 高校でも野球部に所属し、同世代のキャプテンを務めさせていただきましたが、夏の大会の戦績は残念ながら1回戦敗退。 相手は日大三島高校で、0対6のスコアで敗れ、私自身の記録は3打数1安打でした。

大学受験では、共通一次試験を受験しました。 自己採点の結果を見て東京の国立大学教育学部を受験しましたが、結果は不合格。 合格するつもりで私立大学を一切受けなかったため、浪人することになりました。 1年間の浪人を経て、帝京大学文学部教育学科(国語専攻)に進学。 大学時代も軟式野球と居酒屋でのアルバイトに励みました。

大学4年時には静岡県の教員採用試験を受験し、これもまた合格を確信していましたが、一次試験で不合格となりました(泣)。 9月に就職課を訪れたところ、富士宮信用金庫の採用試験案内があり、受験した結果、採用していただくことになりました。

子どもの頃からの教師になりたいという希望を諦めきれず、1年半勤務した信用金庫を退職し、臨時教員として登録しました。 登録した1週間後に心の準備もないまま大淵中学校へ講師として勤め始めました。2年生の国語を教えることとなり、教育実習を経験しているものの、実戦は初めてでとても緊張したことを覚えています。
信用金庫時代とこの年の教員採用試験も不合格という結果でした。
翌年の平成元年4月から12月まで、吉原第二中学校で臨時教員を務めさせていただき、臨時教員としては異例ながら2年生の担任を担当させていただきました。 部活はソフトボール部の顧問。一生懸命な中学生が頼もしかったです。この時の教え子たちが、私の結婚式にサプライズでお祝いに来てくれたことを今でも鮮明に覚えています。
この年、恩人でもある大淵中学校の先生から「市役所も受けてみては」とのアドバイスをいただきました。 教員採用試験は不合格でしたが、市役所の採用試験は奇跡的に二次試験まで合格し、富士市役所に入庁することになりました。

平成2年4月、27歳で富士市役所での勤務がスタートしました。 最初の配属は社会課保護担当。 生活保護のケースワーカーとして、身元不明の遺体処理から多岐にわたる相談業務まで、想像をはるかに超える「市役所の仕事」を経験しました。 5年間で培った「諦めない姿勢」「人を信じること」、そしてできることとできないことを見極めながらも「最善を尽くす」という経験は、その後の私の市役所業務における大きな財産となりました。

秘書課では7年間、助役と市長の秘書を務めました。 市役所内でも特異な業務で、日々刻々と変わる市長のスケジュール調整には苦慮しましたが、県下の市長秘書の中では最年少だったこともあり、先輩方から多くを学び、大きく成長できたと感じています。 この時期、市役所内の各部署の業務内容を深く理解できたこと、そして多くの部課長や市役所外の方々に顔と名前を覚えていただけたことは、その後の仕事を進める上で計り知れない財産となりました。 この経験があったからこそ、続く業務を非常に円滑に進めることができたと記憶しています。

平成14年からは広報広聴課で広聴担当として、「市長への手紙」や「陳情要望書」への対応、広報紙の作成に携わりました。 年間を通じて届く多くの市民の声に耳を傾け、市民が何を考え、何を必要としているのかを肌で感じることができました。

平成19年、福祉総務課に主幹として配属され、民生児童委員や保護司、日本赤十字社富士地区支部の事務局を担当。 初めて部下を持ち、彼らの能力を最大限に引き出し、働きやすい環境を整えることを常に意識して業務に取り組みました。 各種団体関係者との信頼関係構築も重要であり、福祉団体の皆様が持つ強い使命感を肌で感じることができた、貴重な時間でした。

平成24年には二度目の広報広聴課へ。 広聴業務に加え、新たにSNS開設のためのシステム構築という大きなミッションが加わりました。 統括主幹、課長補佐として、課内業務のスムーズな運営管理、担当職員の資質向上や経験値の蓄積を促進することに注力しました。

平成28年、上下水道営業課長を拝命。 課長職は初めて、しかも経験のない部署であり、毎日が緊張の連続でした。 特に着任1年目の議会対応には苦慮し、議員からの質問に頭が真っ白になったこともあります。 この悔しさが原動力となり、徹底的に知識をまとめ上げ、1年の後半には自信を持って議会に臨めるようになりました。

平成30年からはスポーツ振興課長として、2020年東京オリンピックの事前合宿誘致という大きな業務に携わりました。 異動3日目には欧州の視察団対応で県富士水泳場へ向かうなど、多忙な日々でしたが、紆余曲折を経てスイス水泳チームをはじめとする複数チームの合宿誘致を成功させることができました。 コロナ禍で開催されたオリンピックでのスイスチームの大活躍は、今でも鮮明に思い出されます。
また、市街地での自転車ロードレースの開催、長年の市民の念願であった総合体育館のPFI方式での建設、老朽化した総合運動公園野球場バックスクリーンの全面LED化改修など、富士市のスポーツインフラ整備に貢献できたことは、大きな喜びです。

そして令和5年からは富士市会計管理者兼会計室長として、公金の出納や管理、運用という市の財政の根幹を担う業務を担当しました。
この3月には役職定年を迎え、定年延長制度を利用し、令和6年4月からは中央図書館田子浦分室で1年間勤務いたしました。 そして、令和7年3月をもって35年間の市役所生活に幕を閉じました。

振り返れば、本当に様々な経験をさせていただきました。 多くの市民の皆様と出会い、同僚や上司、そして部下と共に喜び、悩み、解決策を探した日々は、私の人生にとってかけがえのない宝物です。 これからも、市役所生活で培った経験を胸に、新たな人生を歩んでいきたいと思います。

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