前橋ウィッチーズはフィクションだったのか
はじめに
何いってんだてめえと思った方も多いでしょう。前橋ウィッチーズ(以下・基本的に前魔女と呼称)はフィクションに決まってるじゃねえかと。この物語は実在の人物・団体には一切関係ないに決まってるじゃねえかと。
ですが、そういう意味ではないのです。世の創作には二つのタイプがあるというのが持論です。ひとつは、架空の世界に実在しているキャラクターの人生の一部を切り取るという体裁の、あくまでその世界では本当のことであるフィクションを描くタイプ。そしてもうひとつが、何らかのテーマを伝えるために世界やキャラクターを動かす、フィクションであることを前提にしつつ現実に何らかの教訓を齎そうとしているタイプ。もちろん、この二つはグラデーションを持って存在しています。完全に前者である作品も、完全に後者である作品も存在しないでしょう。
私は前魔女を途中まで完全に前者寄りの作品だと思って鑑賞していたのですが、どうやら違ったらしいことを指して『前橋ウィッチーズはフィクションだったのか』と言っているわけです。
中盤まではキャラクターの人生を切り取っていた
アズアズの体型問題、マイティンの幼馴染依存問題、チョコちゃんのヤングケアラー問題、キョウカリオンのクソセクハラDM送られ問題、すべてある種の実在性をもって語られていました。私はその生っぽさを楽しむと同時に、あんまりこの子たちに萌えとか言えないな…という引け目を感じていました。萌えとかいまどき言わない? 私は言います。実在の人間を消費できないのと同じですね。アイドルオタクの方が読んでるとしたらすいません。
ですが、その風向きは、終盤、膳栄子の再登場から変わっていきました。
膳栄子の声優が芹澤優である理由
膳栄子はキレます。お前たちの無責任な応援のせいで苦しい思いをしているんだぞと。この怒りにより、架空の世界に実在するキャラクターよりも、前魔女という番組に出てくるキャラクターとしての性格が前面に出てくるのです。
前魔女は女児アニメの系譜であることがここで強調されます。女児アニメといえば、視聴者である女児を元気づけ、エンパワメントすることが目的に作られています。それだけじゃないかもですが、大きな要素です。特に、アイカツ!やプリティーシリーズのようなCGモデルが歌って踊るシリーズではそれが顕著だと言えるでしょう。前魔女もまた、歌で視聴者をエンパワメントしています。しかもCGモデルで歌って踊りながらです。あなたなら出来るよ、努力は報われるよ、と。膳栄子はその無責任さにキレました。
さて、この膳栄子の声優ですが、あの芹澤優さんなのです。あのとか言われても知らねえよと思う方もいるでしょうが、彼女は前述したプリティーシリーズにおいて福原あん(プリティーリズム・レインボーライブ)、南みれぃ(プリパラ)、赤城あんな(キラッとプリ☆チャン)と複数のメインキャラを演じているのです。どのキャラも準主役くらいの役どころで、前魔女で言うところのユイナッチョリン以外の前橋ウィッチーズのメンバーくらいです。全員努力家で、それこそあなたなら出来るよ、努力は報われるよと歌い続けていました。
成長した“かつての女児”向けアニメとしての前橋ウィッチーズ
さて、そんな芹澤優さん演じる膳栄子がお前たちの無責任な応援のせいで傷ついたと主張するのは、大きな文脈を持ちます。前魔女の応援の無責任さだけではなく、女児アニメ全体の無責任さにまで問題が拡大していきます。
もちろん、本家の女児アニメでこのテーマを扱うのは難しいです。努力が叶わなかった、までならまああるにはありますが、ここまで大きく切り込んで、無責任な応援にまで文句をつけるところは(少なくとも私は)見たことがないです。
私はこれをして、成長した“かつての女児”向けアニメとしてものすごく上手くやっているなと思いました。
大人になったキャラクターが現実的な壁にぶつかってるとか、まどマギみたいな魔法少女ものよりも、遥かに、正しく、女児アニメの向こう側をやれているのではないでしょうか。
フィクションの役割
そもそも応援というのは、本質的に無責任なものなのです。そしてフィクションもまた、本質的に無責任なものです。無責任とは、無力と換言しても良いかもしれません。
現実に影響を与えることは出来ても、それは間接的なものであり、これを見たから成功できましたなんて言うのは嘘です。フィクションで現実が変えられる人間は、別にそのフィクション以外でも現実を変えられるのです。その作品である必然性はないのです。
そんな無力で無責任なフィクションが、それでも出来ることを語ったのが前橋ウィッチーズなのではないでしょうか。
フィクションに出来ること
終盤、前魔女はキャラクターではなく作品として膳栄子≒視聴者に語ります。私達は応援することしか出来ないけれど、それでも背中を押すことだけは出来ると。その先はフィクションの役割ではないのです。本人の努力であったり、政治の領分です。チョコちゃんが行政サービスのおかげで救われるのも、それを見たキョウカリオンが政治家を志すのも、それらを象徴していると言えます。
そういうわけで、君たちは現実へ帰れ
11話に象徴的なカットがあります。ユイナッチョリンと再会したときのチョコちゃんのカットです。
私はこのお下げがありえない動きをしている(空中でお下げがこの形のまま静止し続ける)チョコちゃんを見て「うお…萌え…」となりました。本作で最萌えと言っても過言じゃありません。萌えとはあり得ざることなのかもしれません。非実在であることなのかもしれません。じゃあアイドルオタクは何なのかと言われると、これは個人的な観点ですから気にしないでほしいです。それは置いておくとしても、今までは比較的現実的な演出をしていた今作が、この最終盤においてこのコミカルな演出をしたのです。
さらに最終回で、もぐたんの本名が「屑 土竜次郎」であることが判明します。そんな名前のやつがいるわけ無いだろ。
そうなのです。こんな名前のやついるわけないのです。
これらをもってして、前橋ウィッチーズは語るのです。
「そろそろ現実に帰る時間だよ」、と。
「この物語は、あくまでフィクションだよ」、と。
現実に帰った視聴者に出来ること
しかし今作は、他の現実に帰れ系作品(エヴァとかね)よりも有情な点があります。努力が叶わなかったときの対抗策を、彼女たちは教えてくれているのです。無責任な応援に騙されて努力して、それでも駄目なら行政を頼れと前橋ウィッチーズは言っています。現実を直接的な手段で救えるのは現実だけ。フィクションではないのです。
大人になったかつての女児(と、アニオタの私たち)に前橋ウィッチーズは教えてくれたのです。努力と、行政サービスの素晴らしさを。


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