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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 タツオ解釈DAT編
2009.07.07 Tuesday
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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 タツオ解釈6月27日に公開されてから、気づいたら一週間、毎日見に行っていました。
7日間で7回。
カット割りからなにから記憶しないと安心できないほどになり、立派なヱヴァンゲリヲン中毒になりました。
以下は、ネタばれを含みますので未見の方は読まないようにしてくださいね。
「あれってこういうことだったらいいな」という、タツオドリーム解釈です。
今回は、DATに関する私の解釈を述べたいと思います。
あと、メモ。
◆なぜ綾波さんは、シンジにとってDATが特別なアイテムだということを知っていたか
今回、DAT(ウォークマンの進化形のような、MD時代に次世代携帯音楽メディアとして台頭していたもの)が非常に重要な小道具として登場しておりました。
95年のテレビ版オンエア当時では、DATはまだ現役で活躍しており、音にうるさい人が持っているイメージでしたが、いまではシンジ世代がDATを愛用しているのはやや不自然。
ということで、今回の『破』で、このDATが、ゲンドウが昔使っていたものを、「先生」のところから持ってきた、という解釈が追加され、DATがシンジとゲンドウを結ぶアイテムになっておりました。
なんて素敵な解釈なんだと感動いたしました。
このDAT、テレビ版だと26でリピートしていたのが、『破』ではじめて27まで進むという暗示的シーンがあり、私のなかで流行している「新劇場版は作り直しではなく、26話「まごごろを君に」の続き説」を強化する論拠にもなっているわけです。
さてそのDAT、アスカとの一件があって、シンジがNERVを出る際にゴミ箱に捨てたものを、綾波さんが発見して立ち止まり、しばらく凝視した後に、拾い上げるシーンがありました。
結局、このDATは、綾波さんが決死の覚悟でエヴァに乗る際、わざわざ機体にまで持ち込んだという意味で、「シンジとゲンドウを内包するモノ」として、「ゲンドウのメガネ」よりも綾波さんにとって大きい意味を持つものとして描かれているわけですが、日常でそんなにシンジが使っているところを見ていないはずの綾波さんが、なぜそのDATがすごく特別なものだと知っていたか、という疑問がここで浮上します。
むろん、もしかしたらシーンとして描かれていなくても、日常的にシンジが使っていたところを見ていたのかもしれません。
しかしこのDATは、綾波さんにとって、ゲンドウのメガネより大きな存在感を持っているので、シンジ>ゲンドウとなっていたというよりは、シンジ+ゲンドウ的なものであると考えたほうがドリーム解釈です。
ひとつの可能性として考えられるのは、シンジの精神世界シーンで、DATのことを述壊しているところがありますが、あそこに綾波さんがいるということです。要するに、綾波さんは、人の精神世界でのデキゴトも把握している、という解釈です。そうであるからこそ、あのDATがシンジ+ゲンドウである、と結論付けられるのだ、という考え方。可能性はないとはいえません。
少なくともあのシーンは、綾波さん自身が知っているかどうかはともかく、視聴者にとっては、DATが「シンジ+ゲンドウ」を象徴するものとして印象付けるには充分なシーンです。
しかし、私は綾波さんが、ゴミ箱の前であのDATを見たとき、完全にフリーズして凝視している理由、なぜあれが特別なアイテムなのか、という疑問に応える解釈として、もうひとつの可能性を提案したいのです。
それは、「綾波さんのなかに無意識に残っているユイの記憶が、あのDATを特別なものだと認識させた」ということです。
ゲンドウは、碇ユイと夫婦関係にあり、すでに亡くなっている人物です。実は、映画本編には出てきませんが、今回の『破』では、冒頭、タイトル明けにこのユイの墓参りシーンからはじまっています。
ユイはうっすらと存在しているのです。
さて、ゲンドウは貧乏な男でした。
碇ユイと知り合って、婿養子にはいるような形で、碇ゲンドウとなりました。
そんなゲンドウがなぜDATを持っていたか?
音楽など聞きそうにない彼がなぜ?
しかも音にこだわるようなDATを?
答えはひとつです。
そう、あれはユイがゲンドウにプレゼントしたものなのです。
ユイは理系の女性です。
家電とかにもちょっと詳しい感じです。
そのユイが、ゲンドウにプレゼントした数少ないもののうちのひとつが、あのDATだったのではないでしょうか?
そう考えると、ユイ没後、わざわざ自分はいない「先生」のところに、DATを保管している、ということもつじつまが合います。
破棄していても不自然ではないモノを、残している。これは、あれがユイからのプレゼントだったからです。
ユイがゲンドウにDATをプレゼントをした。
その記憶が、無意識に綾波さんのなかに残っているからこそ、あのDATをゴミ箱にあるのを発見したときの、なにか目を奪われて立ち止まっている感じがあるのです。
そして、「ゲンドウ+シンジ」を象徴するアイテムとして、エヴァのなかに持ち込む、という行為が、なによりもユイっぽさを出しているわけです。
ちなみに、シンジが聞いている懐メロも、きっとゲンドウが聞いていたころの曲を、シンジが聞きたいからなのでしょう。シンジのファザコンぶりがうかがえる、割かし粘着質な性格がうかがえますが、あの手の曲も、DATに入っていたものだったに違いありません。
どうでしょうか?
あのDAT、みなさんあまり語らないですが、非常に重要なアイテムでしたので、こういう解釈だとドリームではないですか?
◆真希波・マリ・イラストリアスは何者か?
ゲンドウと、赤木博士(律子の母)の子どもだと思います。髪の毛の色が律子母とおなじです。
なわけないんですけど、だったらおもしろいなあ、という。
というわけで、マリは、父親に会いにきたというよりは、お姉ちゃん=律子に会いにきたのではないか、という。ドリーム解釈。
◆庵野秀明という文体
あと、これはあまり指摘されていないことですが、新劇場版では、TV版で多用された、「明朝デカ文字」が全く使用されていない、ということが結構大きい演出の改変なのではないかと思います。
あれだけ海外の映画、そして国内のTVなどで流行した「明朝デカ文字」。エヴァといったらコレ!というくらいのイメージでしたが、今回まったくなりを潜めている。
それでも、この映画、エヴァだわあ、庵野だわあ、ってじわーっと実感できるのってすごいことだと思いませんか!?
アバンでのマリの戦闘シーン、ほんの数秒観ただけで「う、庵野っぽい!」と思わずうなってしまうことって、すごいことだと思います。
「機体が重い!」というマリのセリフが言い終わるか終わらないか、そのギリギリところこで別カットへ移行する瞬間とか、いわゆる「庵野節」というやつで。
この「節」とかいう言葉も感覚的に使われますが、要するに文体と同義。
あの文字の演出が消えうせても、カット割りや間合い、リズム感などでその人の演出であることを感じられるのは、それだけ庵野秀明という監督の細部にまで染み渡っている演出のこだわりが多い、それが彼の文体を構成しているといえましょう。
すげえ、すげえ天才がいたもんだ。
完全に「アニメ脳」の人ですよ。実写はやはり向いてません。
今回の『破』を観て、結局私は、エヴァではなく、庵野さんが好きなんだ、ということを実感しました。
いや、もちろんアスカも好きですけれど。
と、以上書いていると限りがないので、このへんにしておきます。
いろいろな謎がある方、コメントしていただければ、私なりの解釈を語らせてもらいますので、よろしかったらどうぞ。