FGOが終わる前に、思っていることを書き残したい
※Fate/Grand Order 第2部終章 6節進行度2までプレイして書いています。
内容に直接言及はしていませんが、「終章から感じたこと」は書いています。
ネタバレに繋がる内容を推測できる可能性があります。
あと綺麗事多めです。
物事の外側ばかり見て。
内側に目を向けることがどんどん大変になっている。
今からこのお題についてだけ話します。
一見バラバラなことをいくつか話すけど、全部同じことを話しています。
現代はあらゆるものの価値が希釈される。
されすぎて、ダムくらいの水量で薄めたカルピスになっている。
可処分時間が足りない。
マルチタスク。
効率化。
動画サブスクに並べられたサムネイルのほとんどに惹かれることはない。
YouTubeやTikTokでショート動画を刹那的に消費する。
アニメやドラマを倍速視聴し、フレーム単位で込められた「間」が圧縮される。
ゲーム実況は、コントローラーを通じたゲーム世界との主観的な「接触」を、動画という力で客観に置き換える。
生成AIに雑なプロンプトを投げただけの創作物が、表現の細部から「意図」を奪う。
SNSで読んだ140字だけで、誰かの意図や人間性を決めつける。
これらの文化やツールが全面的に悪だという気は全く無い。
むしろ様々な希望も生み出しうるものであるという前提だ。
お金を投じているかはさておき、ゲームを病気や障害で遊べない人に実況動画は救いになるだろう。
その実況者の感性を通してしか受け取れないものもあるだろう。
それはそれとして、デメリットにも目を向けて立ち向かってこそ希望も磨き抜かれる。
FGO終章を読んで、上記のような解釈を僕が勝手にしたわけですが。
サブスクやゲーム実況の話なんて、終章では全くしていないのです。
作中で語られた、ある内容から連想しただけなのです。
物語は鏡のようなものです。
「作品からこう連想した」と発することは、
「私はこういう連想をする人間ですよ」よ自己紹介しているに等しいから。
僕はエンタメ業界が好きで、とりわけゲームが好きで、そのフィルターを通すとこういう解釈に辿り着くのだろうと思います。
僕が物語を読解しているだけでなく、
物語のほうから僕を読解されているんです。
解釈とは、物語という入力を受けた、自分という人間の出力・反応・反射です。
けれどこの出力を行ったのは、紛れもなく自分の中身です。
そういえば、FGOが宝具スキップを実装したがらないのはとても正しいなと。
周回とは虚無な作業。オートプレイが一般化した現代ではなおさら効率化を求めたくなる。
ただ、宝具とはその英霊が生きた証。
アイデンティティそのもの。
それをスキップして、オート化もして行った周回も間違いなく「努力」で。
けれど、その1回1回の実感は薄くなるはず。
「サーヴァントが強くなった」という結果だけ求めて、「どんな道のりで強くなったのか」という過程が希釈されてしまう。
宝具というのは、プレイヤーに成長や過ごした時間への実感をもたらす、大切な最後の砦だったんだと思います。
人の内面は見えないものです。
完全な真実、本音なんて理解することはできないから。
だからどうにか、想像しよう。
真実がないとしても、届かないものだとしても、一歩ずつにじり寄ろう。
目に見えないもの。奥に込められた意図。それを手繰り寄せよう。
たとえば見知らぬ人が、なにか変なことをしているとして。理由や意図があるのかもしれない。
呼吸器疾患がある僕の家族は、コロナ禍でもマスクを着けられなかった。
だから、見知らぬ人がマスクを着けていなくても、「着けられない人なのかもしれない」とか考えたりする。
僕は死ぬまでに、少しは優しい人間になりたいけれど。
「優しくなる」とは、「かもしれない」の数を増やすことかもしれないな、と。
最後にもう1つ。「こんなのはガワだけのものだ」と言われがちな文化について。
物語、とりわけゲームを通した物語について。
藤丸立香や、マシュ・キリエライトなんて人物は現実のどこにもいない。
人理を救う旅なんて、一度たりともしたことはない。
それでも、それでも。
僕らは物語を読む。物語を、ゲームを体験する。
ゲームをプレイするとは、仮想でしかない世界に血を通わせることだ。
たとえその世界が現実の劣化だとしても、本気で感性や知略をぶん回して体験を本物にする行為だ。
ゲームはモニターの光でしかないって?おぼろげな夢に過ぎないって?
ならその夢をつぶさに観察しよう。
その光景の中で、確かに生きている彼らの言葉を聞いてみよう。
そして、自分が感じたこと、考えたことを胸に携えて、世界に立ち向かうためにコントローラーを握ろう。
僕らがした選択は正しいのか。
スキルを切る順番は本当にそれでいいか。
OK、それならきっと大丈夫だ。
この世界は本物だよ。
僕らが本気で向き合う限り。
こうした気持ちが無いと、きっと僕はこの物語に正しく立ち向かえないと思う。
嵐の向こう側でまた会いましょう。


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