古街道を行く

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私が子ども時分に暮らした
町に境川という川がある。
現在の東京都町田市から神
奈川県藤沢市まで流れる。
湘南海岸から鎌倉市街にか
けては、鎌倉時代初期には
北条氏打倒のために幕府に
叛旗を翻した和田合戦があ
った主戦場だった。
鎌倉武士で御家人でもあっ
た横山党(横山、本間、愛
甲、海老名等)も3000騎を
引き連れて叛乱蜂起軍支援
で馳せ参じた。横山党の助
勢により勢いを盛り返した
蜂起軍は市街戦までもち込
み善戦するも、新手を繰り
出す圧倒的に数で勝る幕府
北条軍に敗戦。固瀬川=境
川に晒された首級は234に
も上ったという。
だが、蜂起軍軍勢の数から
すると、相当数の将兵が敗
走ながらも撤退を成功させ
た事が窺える。
さもなくば、その後の子孫
らもいない。
その境川は私は幼稚園~小
学生の時、毎日川を越えて
南下して通園通学していた。
幼稚園は専用の送迎バスだ
ったが、小学校は徒歩だ。

その境川に沿うように古鎌
倉街道がずとんと北上して
いる。関東の古道めぐり好
きの人は外さない街道だ。



でも、ここは車両通行禁止
でしょうね(笑
ソテツのような棕櫚が見え
る。ここは神奈川と東京の
県境付近。
この目印の木の植え込みは
古代からの風習で、民家な
らびに何かの建物敷地の入
り口の目印だ。ランドマー
クのようなもの。
現代でも、関東だけでなく
西日本でも人里離れた山深
い古道脇によく棕櫚の木が
高々と生えている場所があ
るが、その付近を探査する
と、建物は存在せずとも何
かしら人が住んだ形跡が残
存していたりする。


(広島県三原市の古道。
通行不能地帯)