贋作師ベルトラッキが暴いた日本の“見る目”と遅すぎた”気づき”
2024年、徳島県立近代美術館と高知県立美術館が所蔵する2点の絵画に、贋作の疑いが浮上しました。
これらの作品は、世界的に有名な贋作師:ヴォルフガング・ベルトラッキ(Wolfgang Beltracchi)が、自身の作品であると主張しています。
この出来事は、日本の美術界にも大きな波紋を広げ、彼の存在が改めて注目されています。
ヴォルフガング・ベルトラッキとは何者か?
1951年、ドイツ・ゲルトルートシュタットに生まれた
ヴォルフガング・ベルトラッキ(Wolfgang Beltracchi)
本名:ヴォルフガング・フィッシャー(Wolfgang Fischer)
父親はナチス時代の公認教会画家であり、戦後は壁画や宗教画の修復をしていた人物でした。この家庭環境の中で、ベルトラッキは幼い頃から古典絵画の技法に触れ、自然と模倣技術を身につけていきました。
10代の頃から画家を志し、デュッセルドルフ芸術アカデミーに短期間在籍しましたが、形式的な教育に馴染めず中退。
その後は独学で技術を磨きながら、模写や商業デザインの仕事で生計を立てていくようになります。
若い頃から「他人の作品を描くこと」が得意だったベルトラッキは、徐々に“模倣の天才”としてその才能を開花させます。
美術教育を受けずに、名画のスタイルや色使いを完全に再現できる彼の能力は、次第に合法的な模写の枠を越え、贋作の領域に踏み込んでいきました。
ベルトラッキは、単なる模写ではなく、“存在したかもしれない幻の一作”を創造するという高度な方法論で贋作を制作していきました。
この精巧な贋作の制作には、妻ヘルジの存在が欠かせませんでした。
ヘルジは単なる協力者ではなく、架空の来歴を構築する上での“共犯者”であり、架空のコレクター家系「フライシュマン家」の孫娘として、文書の偽造や写真演出にも深く関わっていました。
夫婦はまさに“美術界を欺くユニット”として機能していたのです。
使用された画材や素材も徹底しており、ベルトラッキは当時使用されたキャンバスや顔料を蚤の市や骨董品市場で調達。さらに、裏面のラベルや古びた釘、額縁までも再現し、科学分析にも耐える贋作を作り上げました。
そのため、美術の専門家や研究者ですら見破ることができなかったのです。
「本物らしさ」こそが価値を生む世界で、誰よりも“本物らしく”描けた男がいた。 その名はヴォルフガング・ベルトラッキ。彼は20世紀の巨匠たちの筆致を自在に再現し、何十年にもわたって世界中の美術館、画商、コレクターを欺き続けた。
贋作でありながら、多くの専門家が“本物”と信じたその作品群は、美術界に大きな衝撃と教訓を残した。
なぜ彼の贋作は、見破られなかったのか?
ヴォルフガング・ベルトラッキは、単なる技術的模倣者ではありません。
彼は実在しない「幻の作品」を創り出す贋作師だったのです。
20世紀のモダンアートの次の巨匠たちの“存在しなかったはずの作品”を、まるで失われた一作のように創り上げました。
マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891年4月2日 - 1976年4月1日)
フェルナン・レジェ(Fernand Léger、1881年2月4日 - 1955年8月17日)
ジョルジュ・ブラック(Georges Braque, 1882年5月13日 - 1963年8月31日)
ハインリヒ・カンペンドンク(1889年11月3日 - 1957年5月9日)
重要なのは、彼が絵を描くだけでなく、作品の背景となる偽の来歴まで巧妙に構築していたことです。
彼と妻のヘルジは、"フライシュマン家の秘蔵コレクション"という架空のコレクター一家をでっち上げました。
この一家は、20世紀前半に活躍したドイツ系の裕福な美術収集家一族で、ナチス政権下でユダヤ人として迫害を受け、所蔵していた絵画を秘密裏に隠していたという“もっともらしい”物語を精巧に作り上げました。
この来歴は、偽の書簡、偽造されたラベルやスタンプ、さらには古びた写真や額装資料まで用意された完璧な設定で裏付けられていました。
ヘルジは自らを“フライシュマン家の孫娘”と名乗り、絵画の由来に信憑性を与える役割を果たしたのです。
このようにして、作品だけでなく、その背後にある“ストーリー”ごと贋作されたことが、贋作の発見を極めて困難にしていたのです。
作品そのものの出来栄えに加え、こうしたストーリーの信憑性が“本物らしさ”を強化し、世界的な美術商たちをも欺きました。
100億円を超える市場の被害
ベルトラッキの贋作は、少なくとも40点以上が実際に売買され、その総額は1億ドル(約100億円)を超えたとされています。
彼の作品は、ドイツ国内はもとより、フランス、アメリカ、スイスなどのオークションや画廊を通じて流通。
多くのコレクターが「幻の逸品を手に入れた」と歓喜したのです。
被害者の中には、著名な画商、国際的なオークションハウス、そして複数の美術館までもが含まれていました。
すべてが明るみに出たのは、2008年
カンペンドンクの贋作『赤い絵画』がドイツの美術館に出展され、科学的鑑定が行われた際、絵に使用されていた白色顔料チタンホワイトが問題となりました。
この顔料は1930年代には一般的に使用されておらず、絵の制作時期と矛盾していたのです。
この科学的証拠が突破口となり、他の作品にも疑いの目が向けられ、追跡調査によって、複数の作品が同一人物の手によるものである可能性が浮上。
やがて捜査の手は、ベルトラッキ夫妻に及びました。
2010年、夫妻はフランスで逮捕され、ドイツ・ケルンの裁判所に移送されて審理が行われました。
ベルトラッキは裁判の過程で全容を比較的あっさりと認め、むしろ自身の“芸術的哲学”を語る姿勢を見せたのです。
「私は贋作家ではなく、創作者だった」
「存在しなかった芸術を埋めただけだ」
と述べ、贋作という罪の枠組みすら逆手に取ってみせたのです。
2011年、彼には懲役6年、妻ヘルジには懲役4年の実刑判決が下されました。
しかし、ベルトラッキは模範囚として3年足らずで仮釈放されて、出所後もメディアの取材に応じ、アートの世界に独自の存在感を放ち続けています。
なぜ日本では2024年まで発覚しなかったのか?
ベルトラッキ事件が世界中で大きく報じられた2010年以降、欧米の美術館やギャラリーでは所蔵作品の真贋を再検証する動きが広がりました。
しかし、日本国内ではこの動きが十分には波及しませんでした。
その背景にはいくつかの要因が考えられます。
① 真贋調査のコストや体制の問題
科学的な分析や歴史的調査には多額の費用と専門知識が必要です。日本の多くの美術館は限られた予算と人員の中で運営されており、「特に疑われていない作品」をわざわざ検証することは難しい状況がありました。
② 欧米の美術権威への信頼
購入や寄贈の段階で、ヨーロッパの画商やオークションハウスを通じて入手していたため、「すでに本場で真贋が保証されている」という暗黙の信頼が存在していました。これが“再検証の必要性”を感じさせなかった一因といえます。
③ 贋作に対するリスク意識の希薄さ
日本では“贋作”が表面化することにより美術館の信用が傷つくことを恐れ、リスク回避的な姿勢をとる傾向も指摘されています。そのため、能動的な調査ではなく、外部からの指摘(今回はベルトラッキ本人の告白)を待つ形になってしまったのです。
2014年に公開されたドキュメンタリー映画『Beltracchi: The Art of Forgery(邦題:贋作師 ベルトラッキ 美術界を震撼させた男)』は、彼の手口や思想、夫婦の関係をリアルに描いた作品として高く評価されています。
この映画は、カンヌやトロントなどの国際映画祭でも話題となり、贋作をテーマにした映像作品としては異例の注目を浴びました。
また、彼の釈放後にはヨーロッパを中心に回顧展や個展が開催され、逮捕以前には考えられなかった形で"贋作師本人のアート"が公開・販売される現象も起きました。
これらの展覧会では、実際に彼が模倣したスタイルの新作や、事件を題材とした自己パロディ的な作品も含まれ、観客に「真贋とは何か」を問いかける内容となっています。
こうした動きが欧米では広がりを見せるなか、日本では依然として贋作に対するリスク認識が低く、ベルトラッキ事件が報じられてから10年以上経った今でも、体系的な再検証は行われていませんでした。
世界が“贋作”という存在とどう向き合うかを模索し始めている一方で、日本は「疑われない限り動かない」という構図を引きずっていたのかもしれません。
そうした姿勢は、一部からは“慎重さ”と評価されるかもしれませんが、結果的に「世界の美術界の動向を正確に反映できていなかった」と言われても仕方がありません。
2024年の事件は、日本の美術館行政や作品管理体制に、今一度“真贋とどう向き合うべきか”を問い直す契機となるべきでしょう。



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