【鬼筆・植村代表補佐兼特別記者「徹也の部屋」】(下)江夏氏、1973年虎V逸舞台裏を衝撃告白(4/5ページ)

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 植村 そりゃ、そう思いますよね。

 江夏 だから僕が先に行った。それだけの話。僕も自分が最初に投げると思っていたよ。

 植村 話を「負けてくれ」の時に戻しますが、「監督も了承している」と言われたそうですが、金田監督はどんな心境で江夏さんと接したのですかね。

 江夏 それはわからんけどな。「勝ってくれるな」はこの世界では禁句だから。でも、それを僕は聞いている。

 植村 その後、トレードで出されるとき、その話を公にしようとは思いませんでしたか?

 江夏 言える話じゃない。今だから言えるけれど。そういう意味では、85年の優勝で「もう、いいんじゃないかな」と思って、聞かれたら答えている。自分も現役をやめて、区切りがついた時期だったし。

 植村 信じられない話ですが、タイガースの歴史を語る上では避けて通れない1日ですね。

 江夏 一瞬、1ページに自分が絡んだことは、良かったのか、悪かったのか、わからないけれど。

(4)「江夏の21球」は衣笠の言葉があったから

 植村 その後は、南海で野村(克也)監督と出会われ、救援投手として活躍され、広島では優勝を経験された。やはり勝つ喜びは大きかったですか?

 江夏 個人的にはいい記録、いい場面に直面させてもらったけれど、野球は団体競技。プロ13年目、広島で初めて勝たせてもらったときの喜びは特に、ね。

 植村 79年の日本シリーズ。江夏の21球ですね。最後の場面ですが、古葉(竹識)監督がリリーフを用意したのがもの凄く腹が立った、というのは本当なんですか?

 江夏 それまで2年間、江夏の後に投手は作らない、と言ってきて、最後の最後に何をやっているんだ、と。古葉さんは後で、「次の回の江夏の打席で代打を送ることを考えて」と言ったらしいけれど、その前の回は俺が打席に入っている。次は回ってこない。古葉さんの逃げ言葉だね。

 植村 衣笠(祥雄)さんがマウンドで諭してくれた、というのも本当ですか?

 江夏 アイツの言葉ってのは、僕にとって大きかった。「この場面はお前しかいない。よそ見せずに前を向いて投げろ」と言われてね。「バカ野郎。無死満塁や。誰が投げても打たれるんやから、はよ終わらそう」という気持ちだったのは覚えてる。

 (続けて)

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