JGBディーラーという職業について①
正直に言うと、誰でも出来る仕事である。四則演算が出来ればOK。株やFXと同じで「売った買った」の世界なので。債券ディーラーと聞くと世間一般に馴染みがなく、何か難しい事をやっているんじゃ無いか?と思われるかもしれないが、基本は売買であり、水商売でもある。
しかし儲けられないとクビになる、もしくは異動になる。これはどの仕事でも商売でも同じだ。なので、ディーラーには誰でもなる事が出来る。ただその世界で稼ぎ続け、5年10年20年生き残り続ける、第一線のディーラーになる、というのが難しいのである。
ただ最近は事情が異なってきており、JGBディーラー(円金利ディーラー)の席に座るという作業が、まず難しくなって来ている。人気化しているからだ。なぜ人気化してるのか?業界全体の人口が少なく、中堅及びシニアディーラーの希少価値が高まっているからである。
では何故そのような状況になったのか。その原因は金融政策の変遷にある。円金利ビジネスの全盛期は、まず2000年代前半から2010年前半ぐらいまでだった様と思う。ルールもリスク管理も現在と比較すると相当緩かった上、ボラティリティが高いので、ビジネスチャンスが幾らでもあった。私もこの時に中期債ディーラーとして利上げも利下げも経験したが、相当なフローであり、ボラであった。なんせブローカーが高額納税者番付に載る時代であった。この頃に活躍されていた方は大半が相当偉くなっているか、2010年台半ばにはアーリーリタイアされている印象である。
(このパラグラフは記憶が曖昧なので、話半分ぐらいで聞いておいてください)
話が逸れた。そこから異次元緩和開始、マイナス金利導入、YCC政策と、金利が急激に低下し、イールドカーブもフラットニングが極まる。その結果、市場ボラティリティが無くなったのである。当然である。10年債が0-0.1%の10bps幅だったのだから。
で何が起きたのかと言うと、バイサイドは運用担当者を減らし、セルサイドはディーラー・セールスを減らした(もしくは外債へシフトさせた)。当たり前の意志決定である。人を貼り付けていても儲からない環境、必要の無い環境、だったのだから。ただでさえ「村」と呼ばれていた状況から「集落」にまでなったのである。
そこからYCC撤廃、マイナス金利解除、利上げと金融引き締め方向となったのがここ数年である。市場ボラティリティは正常化し始め、円金利運用担当者の取り合いとなる。HFのPMはマクロ戦略が多いので、為替や外債で凌いでいたのであろうから数の増減は分からないが、一番少ない時期はJGBでいうと日系が4−6人、外資系が2−3人程度で回していたのではないだろうか。Swapを含めてもx1.5ぐらいの規模感であり、とにかく円金利ディーラーの絶対数が少ないのである。
当然マーケットの人材需給構造が崩れ、高い待遇を求める形で、バイサイドから日系証券へ、日系証券からは外資系証券やHFへ、外資系証券からはHFへ、人が流れて行く形となった。そのピークが1−2年前ぐらいだったろうか。その様な人の動きが出る中でJGB(円金利)ディーラーへの待遇向上が明るみとなり、学生や若手からの人気が出て来たのが現在地という状況である。
私もデスクヘッドとして暫くの間採用に携わっていたが、正直年齢が離れ過ぎており、感覚が分からないので、ある程度は他のチームメンバーに任せていた。上げてきた候補者に対して最終判断として、相場が好きであり、市場で勝負したいという強い意志があれば合格にしていた。馬鹿過ぎても駄目だが、理系院卒でも儲けられる保証は一切無い。のだが現状は理系院卒が大半である。私がデスクに入った時は殆どが東大卒だった。時代の流れなのだろう。理系院卒でもなく東大卒でもない文系学卒の私が偶々ディーラーの席に座れたのは、ジョブローテーションのお陰だったか。
ここまで書いてJGBディーラーの業務に一切触れていない事に気づいた。次のコラムではちゃんと書こうと思う。
この記事は noteマネー にピックアップされました




コメント
2村から集落という表現、秀逸です
ありがとうございます。