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エスペラントの逆説:人類共通語が西洋的にしかなり得なかった理由

#0. はじめに:完全な国際語という幻想

「もし全人類が同じ言葉で話せたら、争いは減るのではないか」

そんな夢想が、19世紀ヨーロッパで真剣に信じられ、また論じられていた。

国境も宗教も超えて理解しあうための「完全に中立な言語」。それが「世界で最も広まったコミュニケーション用の人工言語」エスペラントの出発点だった。

発案者のザメンホフ(ヘッダーの写真の人物)は、「人間の対立は言語の壁が生む誤解から来る」と信じ、誰にとっても学びやすく、公平で、文化に依存しない言葉を設計しようとした。

理念としては本当に美しいし、かつ偉大だ。
人間の理性を信じ、文化の差異よりも共通性を重んじる、まさに啓蒙主義的理想の言語である。

だが皮肉なことに、その理想の内部には既に決定的な「文化の偏り」が埋め込まれていた。

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#1. 結局のところ、エスペラントとは「ラテン語族」であった

エスペラントの文法を開くと、まず目につくのはそのラテン語的構造である。

語尾の変化、前置詞、名詞・形容詞の一致、(標準としては)SVO語順……どれも英語・フランス語・イタリア語など、ヨーロッパ系言語話者が直感的に理解できる設計になっている(※)。

※私は一応英語話者の端くれなので、構造をさらってみると「確かにわかりやすい」と感じる。かなり簡単、という印象。

逆に言えば、アジアやアフリカの言語体系を母語とする人々(要するに我々日本人も含む)にとっては、まるで「見知らぬ文化の地図」を手に取ったような感覚になる。

文法そのものが、最初から「ヨーロッパ的な世界の切り取り方」を前提としているのだ。

人類学の観点で言えば、これはまさに「中立という概念の西洋的偏り」そのもの。

「公平」「普遍」「合理的」……これらの言葉は一見どこの文化でも通じるように見えるが、実は18〜19世紀のヨーロッパが世界を理解するために発明した枠組みだ。

つまり、エスペラントは「中立の体現」ではなく、「中立という西洋的発想そのもの」を輸出した言語だった。

中立とは、誰の価値観においての中立なのか?

この問いを立てた瞬間、エスペラントの理想は「構造としての西洋」に回収されてしまう。

それは「平等を目的とした発明」でありながら、同時に「平等を定義する権利を握る者」の視点で作られた言葉だったのだ。

なんという皮肉だろう。

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#2. 普遍性を求めて文脈や語法を失う罠

エスペラントは「誰にでもわかる言語」であることを最優先に設計された。そのため、語彙は少なく、文法は単純で、例外も極力排除されている。

一見、それは民主的で合理的だ。

だが、言語とは情報伝達の仕組みである前に、人間が「世界をどう切り取るか」を共有する文化装置である。言葉が単純であればあるほど、その背後にある文脈や比喩・暗黙の感情、つまり「文化的な厚み」が剝ぎ取られていく。

――――――

たとえば日本語には「空気を読む」「侘び寂び」など、文脈を前提にした曖昧で繊細な語が多い。それらは英語では “sense the mood” や “quiet elegance” と訳されるが、いずれも完璧にニュアンスを再現できてはいない。

文化とは言葉の「言外」に宿るものだ。
そしてエスペラントは、その言外を切り落とすことで中立を達成した。いや、しようとした。

結果、エスペラントは「伝わる」が「響かない」。つまり、情報としての言葉にはなれても、感情としての言葉にはなれなかった。

この構造は、言うなれば心の抜けた翻訳文に似ている。正しいのに生きていない。

恐らくザメンホフが夢見た「理解し合える世界」とは、単語だけではなく、感情をも共有できる世界だったはずだ。
だが、その夢を叶えるための言語は、最も感情から遠い形で完成してしまったのである。

――――――

 「中立であること」と「共感できること」は、必ずしも一致しない。
むしろ逆だ。私たちはいつも、誰かの偏りを通してしか共感できない。「文化」とは、世界を偏った視点で見る方法のことだからだ。

エスペラントの理想は、人間から文化という偏りを取り除こうとした点にある。だが、文化を除いた人間はもはや人間ではなくなる。平等な個体ではあっても、共感し合う存在にはなれない。ユートピア的全体主義の罠に陥ってしまう。

その意味で、エスペラントは言語というよりも「人間とは何をもって人間足りうるか」という実験だったのかもしれない。

そしてその実験は、人間が文化的動物である限り、成功しえない運命にあった。

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#3. 人工言語の理想と限界

エスペラントが夢見たのは「誰にでもわかる言葉」だった。その思想を引き継いだ人工言語群 ―― ロジバン(Lojban)やトキポナ(Toki Pona)、そしてコンピュータ言語までもが、同じ理想を追ってきた。

すなわち、曖昧さをなくすこと。

しかしこの「曖昧さの除去」こそ、言語の理想と人間の現実の決定的な「ずれ」を生む。

――――――

ロジバンは論理学を基礎に設計され、誰が聞いても誤解のない文を構成できるように作られた(らしい。筆者も完全に理解できているわけではないことは記載しておく)。
だが実際には、構文の厳密さゆえに感情や「人間らしい揺らぎ」が入り込む余地がない(※)。

※正確には「感情表現用の簡単な語彙は備えており、その語彙群を組み合わせプログラミング的に複雑な感情を説明する」という手法に近い。

トキポナはその逆で、語彙を極限まで絞り、人間の思考を「単純で良い方向に制約」しようとした。だが単純化が進むほど、現実の複雑さを扱うには語彙が足りなくなっていく。

※小説『1984年』の人工言語であるNewspeakと方向性は同じである。もっとも、あれは「全体主義の達成のために、思想を制限することを目的とした悪意の言語」だが。

いずれの人工語も、「世界を誤解なく記述したい」という願いから生まれ、結果として、人間らしい誤解や曖昧さを失った。

――――――

ここに(芸術言語ではなく、コミュニケーション用の)人工言語が越えられない壁がある。
言語とは本来、世界を“正しく伝える”ためではなく、“不完全な人間同士がすれ違いながらも繋がる”ための装置だからだ。

曖昧さとは言葉の欠陥ではなく、人間という存在の仕様そのものとも言える。

“If a language has no room for misunderstanding, it may have no room for humanity either.”
(誤解の余地がない言語には、人間性の余地もない)

エスペラント、ロジバン、トキポナ……いずれも「正しさの体系」としては(まるで数学的に)美しくとも、「人間の営み」としては冷たい。

どれほど完璧な設計でも……いや、完璧な設計だからこそ、文化を宿す揺らぎを持たないからだ。

――――――

もし「真に中立な言語」が存在し得るとしたら、それは数学の式やプログラミング言語のような、文脈を切り捨てた形式言語になるだろう(ロジバンはそれに近い)。

だがその言語では、主観的な揺らぎを持つ「美しい」も「悲しい」も語れない。つまり、人間が世界を生きるための言葉ではなく、“世界を計算するためのツール”にしかならない。

エスペラントの理想は、文化を超えた「人間共通の理性」を信じることだった。
しかし、人間とはそもそも、文化という偏りを通してしか理性を保てない生物なのだ。

---

#4. 結語:それでも人は言語を作りたがる

だが、エスペラントの夢は終わっていない。
むしろ今も、形を変えて続いている。

ロジバンやトキポナ、トールキンの作品群に登場する数々の架空言語(エルフ語など)、森岡浩之による『星界シリーズ』のアーヴ語、マクロスのゼントラーディ語、ファイナルファンタジーXのアルベド語(まあこれは言語というよりは文字置き換えの暗号だが)、さらにはネットスラングや絵文字のような新しい表現の登場も、全て同じ根から生えている。

すなわち、「人は言葉を通して他者と通じたい」。それがどんなに不完全で、誤解が生じようとも、人はその営みをやめられない。

――――――

言葉は、文化の偏りを超えることはできない。
だが、偏重を自覚した瞬間に、それはただの壁ではなく、橋のかけ方の地図になる。

「あなたと私の言葉は違う。それでも、伝えようとする」。その意志そのものが、もしかすると“真の国際語”なのかもしれない。

――――――

そう考えれば、こうも言える。

エスペラントは敗れたのではなく、「理想が限界にぶつかる地点を可視化した」のだ。

その存在が証明したのは、“中立な言語”が不可能であるという事実ではなく、“中立を夢見る人間”がどれほど愛おしいかということだった。

完璧な言葉は存在しない。
けれど、言葉を作り、渡そうとする行為そのものが、世界で最も人間的な祈りなのだ。

我々は今日もまた、自分の文化の影を背負いながら、他者に届くかもしれない言葉を探している。

エスペラントの夢は静かに生き続けている。
その営みが続く限り。

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コメント

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Lingvenko

エスペラントが「西洋的」なのは文法よりも語彙面だと思います。ロマンス語,ゲルマン語由来に極端に偏っているのは事実です。 文法面は,基本的に西洋の有力言語を参考にしていると思いますが,私はさほど西洋ぽさを感じないです。 「語尾の変化、前置詞、名詞・形容詞の一致」は多くの印欧語に共…

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コメントありがとうございます。 非常に丁寧で専門的な補足、ありがたく拝読しました。 仰る通り、エスペラントの“西洋性”は文法そのものよりも、語彙がロマンス語/ゲルマン語に強く依存している点が最も顕著ですよね (語彙の偏りは学習者の入口を決めてしまうので、本質的だと思います)。 …

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HK

発案者であるヘッダーのザメンホフさんはとっても人間が良くできた人だったんだろうなあと真っ先に思いました。人間の対立は言語の壁による誤解が生むもの という思想は、つまり同じ言語を使う身近な人たちとの諍いが人生でほとんど起こらなかったであろう人の発想だなと。同じ言葉を話していようと、…

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コメントありがとうございます。 おっしゃる通りで、ザメンホフの発想には 「人と人は、まず言葉の壁によって誤解し対立する」 という、非常に素朴で人間を信用した前提がありましたよね(明らかに性善説寄りの発想です)。 これは、まさにコメントで触れられているように、彼の生まれた地域(多…

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ポップカルチャー×文化論×言語を「居酒屋サブカル談義」的に語るライター。 アメリカ高校留学→芸術系大学を経て広告ディレクター。 洋楽和訳、文化批評、留学回顧録などを展開中。 大抵フォロバします。 記事を読んでくれる方とスキが好き。 初めての方は固定記事「自己紹介」をどうぞ!
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