◆125代 平成天皇(継宮明仁親王)124代昭和天皇の長男
■妻 正田美智子 日清製粉社長正田英三郎の娘
●浩宮 徳仁親王 125代天皇
●礼宮 文仁親王 秋篠宮
●紀宮 清子内親王 黒田慶樹と結婚
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1990年3月1日
ティアラの修理費のこと。
由緒品の性格上、理論づけが難しく保留。
1990年4月26日
内田式部官より、園遊会招待の御親族が安西恵美子夫妻などとなっており他と平仄が取れないと。
手塚侍従に話し、納得する。
1990年7月5日
山本侍従長に御即位饗宴用盃のデザインを見せる。
少しゴテゴテしすぎとの意見。
1990年7月23日
紀宮清子内親王のバードウォッチングのこと、庭園課長に準備方申し入れ。
1990年7月27日
紀宮清子内親王、バードウォッチングの後のお弁当を野外でとのお考え。
この暑いのに。
昼食時にその話を出したら、皇太后宮職は吹上では困ると。
1990年8月4日
紀宮清子内親王一行、予定通りバードウォッチングのため皇居へ。
1990年10月23日
宮務課長から紀宮清子内親王の序列位置について聞いてくる。
秋篠宮の次と答える。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1990年5月24日
盧泰愚大統領夫妻来日、国賓。
天皇の御言葉による謝罪について大統領の来日を機に盛んに報道されてきたが、象徴天皇の限界を超えてはならないという政府の方針が韓国民にどの程度理解されたがわからないが、結局落ち着くべきところに落ち着いたと言うべきか。
宮中晩餐。
平成天皇の御服装をテレビで見ると、上着はダブルの背広と全く同じ。
したがって前合せが深く、タキシード特有のひだのあるワイシャツはほとんど見えない。
これではズボンが脇に線の入った正式なものであっても、ダブルの背広に黒の蝶ネクタイをしたもののように見える。
これでタキシードと言えるのか。
こんなタキシードがあるとは知らなかったが、もし新機軸を出すためならとんでもない。
国賓処遇の正餐にまだ広く認められていない服装するなど、一国の最高首脳のすることではない。
世界先進国のもの笑いの的となるだけ。
誰の発案か示唆か知らないが、側近は何をしているのか。
1990年6月30日
4方の写真は正式の記念写真として問題がある。
秋篠宮が両手を前で組んでいるのは論外。
最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われると言うべきである。
従来から秋篠宮は両手を組む癖がおありのようで、そういう写真をよく見る。
平成天皇の左手も甚だよくない。
手のひらを大きく開いている。
自然に伸ばすか軽く握かすべきであろう。
これも癖らしく、国賓との写真でも見かける。
いずれもこの場に立ち会った側近か侍従の者が当然注意してお直し願うべきである。
カメラマンはそこまで立ち入って申し上げることはできない。
折に触れ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリッとしない動作の多い秋篠宮にとって大きなマイナスである。
立ち会った側近の責任重大である。
1990年10月26日
美智子皇后御誕生日祝賀行事。
侍従職は赤坂とこちらに分かれているので、こちらでは宮殿雉子の間で侍従以下事務職員・仕人など列立で平成両陛下に祝賀。
昭和天皇の時と異なり、平成両陛下でお受けになるものが多い。
我々に昼食の御馳走もない。
1990年11月3日
即位礼の習礼。
束帯は下着から一式全部で6.5キロある。
小生は璽の役。
手順がまだほとんど細部は詰めていない上、女官への連絡も悪いのでなかなか進まず。
試行錯誤で行われた。
3回ぐらい行ったが大体のところで終わり。
大筋は決まった。
石帯をつけると装束は重く、2時間あまり立ち通しでぐったり疲れた。
1990年11月10日
総合習礼。
平成両陛下・皇族方は昨日で終わり。
代役に職員が立つ。
1990年11月12日
即位礼正殿の儀。
途中高御座の帳を開いた直後に鳴るはずの鉦の音が、少し早く帳が開き始めてすぐ鳴ったし、平成天皇に一斉に礼をする合図の太鼓が、まだ御帳台を開いた女官が下部を直していた時に鳴ってしまった。
治した時になってしまった
※即位礼について感想
●習礼を5回したが、(うち3回は平成両陛下も)平成両陛下30分のお出ましで終わってしまったことを考えると、5回もする必要は全くなかった。
細部のことに調整にこだわりすぎたのではないか。
高御座の後ろや内部での侍従の所作にこだわりすぎた。
特に心外だったのは、高御座内の国璽・御璽の置き場について法制局が細かなくちばしを入れてきたことだ。
どこに置こうが高御座内に持ち込めば十分であって、目立たないところに置くと宗教色を薄めるために国璽・御璽を持ち込んだ目的が達成されないというのだろうが、なんと小心なることか。
結局神璽の前方に置くことで決着した。
●御列進行の際 平成天皇と同様に中央進むのは宝剣・お裾・神璽の3人だけで、あとは先行する式部官長官・宮内庁長官・侍従長・御笏・御草鞋の侍従全て左側を進行することはおかしい。
全部中央に進むべきだ。
最初の案は宝剣・神璽も左側を進むことになっていたのも改めさせ、その代わり履物を室内にも使う鳥皮に替え、上記3人のみ中央にした経緯がある。
平成天皇の後ろを従うものが中央を歩かないなど、通常のあらゆる御供では全くないことである。
●侍従全員が笏を持たなかったことは束帯の服装として欠陥である。
行進中に何も持たない役の者は腰に手を当てて進み、高御座の後にしき立っている時も同様の姿となる。
このとき笏を持っていないと全く様にならない。
首相の万歳三唱に和して我々も三唱するが、このとき笏を持っている侍従長などは笏を身体の中央に構える。
持っていない者は持っているかのごとく両拳を身体の中央に持ってきて三唱するというのだから笑わせる。
小生はあまりばかばかしいから、拳は腰に当てたままの姿勢で低く三唱した。
●諸役は古風な出で立ち、平成両陛下も同様、高御座・御帳台も同様。
それに対し三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。
宮殿全体は現代調。
全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。
参列者は日本伝統文化の粋と称える人もいたが、新憲法の下全員燕尾服・ローブデコルテで行えば済むこと。
数十億円の費用をかけることもなく終わる。
新憲法下初めてのことだけに、今後の先例になることを恐れる。
1990年11月17日
大嘗祭習礼。
今日初めて大嘗宮を見る。
なかなか立派だが14億円とはとても考えられない。
1990年11月28日
即位関係の我々の分担する諸儀が終り、大役が滞りなく終って肩の荷がおりた。
赤坂の侍従は即位の礼の習礼の時から時間刻みの各担当グループの配役行動表を何回も改訂を繰り返しながら伊勢行幸啓まで多量に作って配布したことは、さぞ大変な作業だったことと、問題点はあったものの御苦労なことだったと思う。
1990年12月18日
昭和天皇御服衣品の整理。
宮殿地下の御服所に行き、現物を見ながら取捨選択をした。
背広・礼服・オーバー・天皇服・水着・御運動着・乗馬服など150着ぐらい。
そのうち50着ぐらい選ぶ。
最終的にどうするかは、いずれまた検討する。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1992年10月20日
美智子皇后御誕生日。
三笠宮寛仁親王が樋口侍従に、
「皇族の祝賀の際、平成両陛下というのはいかがなものか。美智子皇后お一人が良いのでは?」とのお尋ねがあり、それについての我々の意見を聞きたいとのことでいろいろ話した。
我々の意見ではお一人が良いと思うが、何事もできるだけお揃いでというのが平成流だから、いずれにしても事務主管手塚英臣にお尋ねのあったことを伝え、その意見・説明をお答えするのがよいと話した。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1993年10月20日
美智子皇后お倒れの報、出御はお取り止めの由。
皇太后宮侍医内西兼一郎によれば一過性脳虚血かと。
1994年11月24日
文芸春秋の手塚証言などを読む。
岸田英夫がまっとう、渡辺みどりは実態しらず。
〔『美智子皇后の孤独』侍従手塚英臣・帝京大学教授岸田英夫・皇室評論家渡辺みどり〕
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1993年3月31日
御用掛退職。
宮殿鳳凰の間、平成両陛下お揃い。
平成天皇から「御苦労でした。昭和皇太后〔香淳皇后〕のことをよろしく。体を大切に」と。
美智子皇后からはない。
1993年6月24日
侍従長からサンデー毎日の小生の叙勲辞退の記事について聞かれる。
小生から経緯を説明。
4月半頃皇太后宮職引間庶務係長から「旭三の叙勲となるが、受けますか?」とのことだったので、「非常勤ながらまだ出勤しているから辞退する」むね答えた。
卜部氏から同様の電話があったので、
「真意は長い間お仕えしお世話になった昭和天皇なら喜んでお受けするが、ほとんどお仕えしていない平成天皇からは受ける気にならない」と伝えた。
1993年10月20日
美智子皇后御誕生日祝賀。
美智子皇后は宮殿へのお出まし前に赤坂御所で急にお倒れになった。
はじめ意識も薄れていたが間もなく回復されたが祝賀行事は御欠席で、平成天皇のみ御祝賀をお受けになった。
美智子皇后は御昼食もお取りになって通常の御生活に戻られたが、ただ御声は出るが言葉が出ない状態という。
側近奉仕の祝賀の前に事務主幹から一同に説明があった。
1993年10月23日
第48回国体行幸。
美智子皇后はその後もな御言葉が出ない状態が続いているので大事をとっておいでにならず、平成天皇のみ御臨席・御視察。
美智子皇后は21日に宮内庁病院で東京大学の神経内科の教授の立会いでCTスキャンなどの検査を受けられたが、脳には異常が見当たらず3週間以内で治る見通しと。
肉体的・精神的な疲労、ストレスがひどいと起きる症状で、これが3週間以上続くようだと一種の脳梗塞だという。
それにしても国体へのお出まし中止の発表が、昨日の夜11時とはどういうことか。
御容態からいってお出ましは好ましくないことは、テレビで専門家が口を揃えて言ってるのだから、早く発表すべきだった。
もっとも宮内庁内にお出になることもかえって御気力の充実の上でよろしいのではという医者がいたというが、言葉が出ないことをスタイリストの美智子皇后がどれほど気にするか、そのストレスを何と考えるのだろう。
1993年12月8日
平成両陛下、皇居の新しい御所に御引越。
名称は「御所」
剣璽御動座と平成両陛下・紀宮清子内親王が同じ車列で行われた。
問題なのは御所御車寄から御所内にお入りになる御列をテレビで見ると、平成天皇が先頭でその後に剣、ついで璽、その後に美智子皇后、終りに紀宮清子内親王であった。
剣は平成天皇より前でなければならない。
おそらく赤坂御所を御出発の時も同じ順序だったろう。
新嘗祭における御列も剣の後に平成天皇と決まっている。
吹上御所を平成天皇と剣璽がお発ちになる時も同じである。
侍従が平服で奉持していたのも気になる。
モーニングにすべきだ。
1993年12月10日
吹上御所へ。
庁舎旧侍従室など荷物が廊下にいっぱい出ており、模様替などこれかららしい。
女官候所で皇太后宮女官長北白川祥子に8日の御列のことを問題としたところ、井関英男大夫も同じことを言って調べたところ、昭和天皇崩御直後の剣璽等承継の儀の後、宮殿から赤坂御所へ御剣御動座の時も平成天皇が先頭で、剣、璽と続いたと言う。
この例にならって8日も同様の順にしたと言う。
平成流と簡単に片付けるにはあまりに重大な変更であり、後日問題となろう。
1993年12月11日
美智子皇后言葉をお出しになると宮内庁発表。
昨日金沢一郎東京大学教授の診断があり、2日に単語を、10日には簡単な文をささやき声でおっしゃれるようになったとのこと。
この発表を11月の夜中にしたのだから驚く。
総務課など関係者は夜中に大変だったらしい。
10日夜、もっと早く発表すべきもの。
宮内庁の対応相変わらず。
1993年12月12日
剣璽御動座の剣。
8日の御動座の際 剣が平成天皇の後だったことについて夜当直の田中氏に意見を聞いたところ、
「確かに順としては剣が平成天皇の先に行くべきだが、剣・璽ともに移動用の鞄に入れて運んでいるので、正規の御列ではないという考えから、剣が平成天皇の後としたのだろう」とのことだった。
それなら平成両陛下なり紀宮清子内親王の後にしたらどうかと思うが、そこまで格下げにできず中途半端な形になったと思われる。
「1月7日の吹上から赤坂への御動座の時も、同様の考えから剣璽が平成天皇の後になったのでは」と田中氏は言っていた。
しかし鞄に入れようが剣璽に変わりはないのだから、この扱いには疑義がある。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1995年1月20日
地震のため、平成両陛下お慎みでテニス自粛とのこと。
1995年2月3日
現侍従職〔平成〕の歌会始に対する熱意のないこと、不安があるなど愚痴が出る。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1996年3月14日
良子皇太后と美智子皇后との確執につき、なぜか各社共通の動き。
1996年6月7日
平成天皇、前庭性神経炎によるめまいのため御静養と発表。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1997年9月6日
ダイアナ元妃の葬儀は国民葬ともいえる特異な方式で行われた。
テレビ各局、中継放送。
各国要人など参列。
日本からは駐英大使のみ。
徳仁皇太子夫妻に出席招待があったが断った、諸般の事情から皇族の出席はしないと決めたという。
ヨーロッパの王族はしないこと・国葬でないことが理由らしい。
しかしヨーロッパ王族でもスペインなどは出席したとの報道もあり、出席しなかった国には招待状自体が出されなかったという。
ダイアナ元妃と私的に親しかった王族だけに招待状が出されたという。
理由はともあれ、日本は徳仁皇太子・秋篠宮・三笠宮は留学もしているし、ダイアナ元妃は3度来日し皇室とは親しい関係にあったのだから、浮名も多く離婚しているとはいえ、誰か皇族が出席すべきではなかった。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1999年6月17日
正田英三郎氏〔美智子皇后の父〕の万一の時について協議。
正田富美子夫人死亡の時を調べる。
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明治天皇・大正天皇に仕えた女官〈椿の局〉梨木止女子→坂東長康の妻坂東登女子
大正天皇は昔からの明治天皇の仰せになるような言葉で仰せになった。
昭和天皇はいくらか大正天皇にお似ましのようですね。
秩父宮は下方にお成り遊ばしてるので、兵隊の中で揉まれてござるわね。
一般の人にふさわしいような、近いような御言葉ですわね。
今の明仁皇太子〔平成天皇〕は余計もう、さばけておいでになる。
それにお付きしてる人がみんなそんな粗雑な言葉を使うので。
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司葉子 女優・経済企画庁長官相沢英之の妻
※平成の即位の礼 1990年11月12日より
11月12日「賢所大前の儀」に始まって12月10日の総理大臣主催「天皇陛下御即位記念祝賀会」が終わるまで、計10回あまりの行事に私もお供して宮中に上がらせていただきました。
朝・昼・夜もそのつど着替えるので、その2日間はホテルオークラに衣装を運び込んで泊まり、戻っては着替え、着替えては出かけるということを繰り返しました。
こういう儀式に何を着て行けばいいのか頭を抱え込んでしまうところですが、宮内庁から事前に服装についての詳しい細部にわたっての資料をちょうだいしました。
「正殿の儀」
■男子は
●洋装なら燕尾服・モーニングまたはこれに相当するもの。
シルクハットは不要。
勲章着用。
手袋は随意。
●和装なら紋付の羽織・袴。
■女子は
●洋装ならロングドレスかデイドレスあるいはドレッシーなワンピースかアンサンブルスーツ。
デザインは長袖で衿の詰まったもの。
生地は絹または絹風のもの。
色は淡い色が望ましい。
靴はドレスと同色系のパンプス型。
帽子・手袋は随意。
アクセサリーは随意(金・銀・真珠などの上品なもの)
●和装なら白襟、紋付の色留袖・訪問着、黒留袖でも差し支えない。
羽織は不可。
襦袢は白羽二重または白綸子の長襦袢など。
帯は丸帯または袋帯。
足袋は白。
ハンドバッグは革製ではなく、絹織・佐賀錦・ビーズなどの小型のもの。
履物は糸錦、金色または銀色の布地のものなど。
扇子・アクセサリーは随意。
「饗宴の儀」
■男子は「正殿の儀」に同じ。
■女子は
●洋装ならイブニングドレス。
デザインは長袖で衿のないもの。
胸や背中の広く開いたワンピース仕立。
生地は絹または絹風のもの。
色は淡い色が望ましい。
手袋は革製または化繊のもので、白またはドレスと同色の長手袋。
靴は金・銀の繻子、またはドレスと同色の繻子や絹のパンプス型。
アクセサリーは随意(金・銀・真珠などの上品なもの)
●和装なら白衿、紋付の色留袖・訪問着など。
以下は「正殿の儀」に同じ。
◆その他、毛皮不可、女子は黒色不可。
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伏見宮敏明王
お妃選びの報道が過熱する中、いろいろな「お妃候補」が登場しました。
その一人に私の妹の名も出ました。
旧皇族であり、明仁皇太子の同学年で、生まれは2カ月ほど後、こうしたことを基に推測で報道したのだと思います。
お妃選びが終盤になると、新聞社から「お相手は正田さんの家で間違いありませんでしょうか」といった電話が来るようになりました。
これもまた、ずいぶん困りました。
うっかりしたことを言えませんからね。
僕から明仁皇太子に「正田美智子さんですか」なんて聞くこともできません。
僕が聞けば何か返事をしてくださったかもしれません。
けれども、それはまずいなと思って。
僕に情報が入ったのは世間と同じ。
正式に決まってから、明仁皇太子から電話がありました。
後成婚の前に、御所の水槽で飼われている熱帯魚を見せていただいたことがあります。
突然明仁皇太子は「食べるとおいしいんだよ」とおっしゃって、侍従に醤油を持ってこさせたのです。
「熱帯魚は観賞するものではないのですか」と言っても、明仁皇太子は水槽に手を入れて1匹を取り出し、醬油につけてパクッと食べられました。
「博明さんもどうぞ」と言われるので、食べないわけにはいきませんでしたが食べませんでした。
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■妻 正田美智子 日清製粉社長正田英三郎の娘
●浩宮 徳仁親王 125代天皇
●礼宮 文仁親王 秋篠宮
●紀宮 清子内親王 黒田慶樹と結婚
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1990年3月1日
ティアラの修理費のこと。
由緒品の性格上、理論づけが難しく保留。
1990年4月26日
内田式部官より、園遊会招待の御親族が安西恵美子夫妻などとなっており他と平仄が取れないと。
手塚侍従に話し、納得する。
1990年7月5日
山本侍従長に御即位饗宴用盃のデザインを見せる。
少しゴテゴテしすぎとの意見。
1990年7月23日
紀宮清子内親王のバードウォッチングのこと、庭園課長に準備方申し入れ。
1990年7月27日
紀宮清子内親王、バードウォッチングの後のお弁当を野外でとのお考え。
この暑いのに。
昼食時にその話を出したら、皇太后宮職は吹上では困ると。
1990年8月4日
紀宮清子内親王一行、予定通りバードウォッチングのため皇居へ。
1990年10月23日
宮務課長から紀宮清子内親王の序列位置について聞いてくる。
秋篠宮の次と答える。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1990年5月24日
盧泰愚大統領夫妻来日、国賓。
天皇の御言葉による謝罪について大統領の来日を機に盛んに報道されてきたが、象徴天皇の限界を超えてはならないという政府の方針が韓国民にどの程度理解されたがわからないが、結局落ち着くべきところに落ち着いたと言うべきか。
宮中晩餐。
平成天皇の御服装をテレビで見ると、上着はダブルの背広と全く同じ。
したがって前合せが深く、タキシード特有のひだのあるワイシャツはほとんど見えない。
これではズボンが脇に線の入った正式なものであっても、ダブルの背広に黒の蝶ネクタイをしたもののように見える。
これでタキシードと言えるのか。
こんなタキシードがあるとは知らなかったが、もし新機軸を出すためならとんでもない。
国賓処遇の正餐にまだ広く認められていない服装するなど、一国の最高首脳のすることではない。
世界先進国のもの笑いの的となるだけ。
誰の発案か示唆か知らないが、側近は何をしているのか。
1990年6月30日
4方の写真は正式の記念写真として問題がある。
秋篠宮が両手を前で組んでいるのは論外。
最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われると言うべきである。
従来から秋篠宮は両手を組む癖がおありのようで、そういう写真をよく見る。
平成天皇の左手も甚だよくない。
手のひらを大きく開いている。
自然に伸ばすか軽く握かすべきであろう。
これも癖らしく、国賓との写真でも見かける。
いずれもこの場に立ち会った側近か侍従の者が当然注意してお直し願うべきである。
カメラマンはそこまで立ち入って申し上げることはできない。
折に触れ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリッとしない動作の多い秋篠宮にとって大きなマイナスである。
立ち会った側近の責任重大である。
1990年10月26日
美智子皇后御誕生日祝賀行事。
侍従職は赤坂とこちらに分かれているので、こちらでは宮殿雉子の間で侍従以下事務職員・仕人など列立で平成両陛下に祝賀。
昭和天皇の時と異なり、平成両陛下でお受けになるものが多い。
我々に昼食の御馳走もない。
1990年11月3日
即位礼の習礼。
束帯は下着から一式全部で6.5キロある。
小生は璽の役。
手順がまだほとんど細部は詰めていない上、女官への連絡も悪いのでなかなか進まず。
試行錯誤で行われた。
3回ぐらい行ったが大体のところで終わり。
大筋は決まった。
石帯をつけると装束は重く、2時間あまり立ち通しでぐったり疲れた。
1990年11月10日
総合習礼。
平成両陛下・皇族方は昨日で終わり。
代役に職員が立つ。
1990年11月12日
即位礼正殿の儀。
途中高御座の帳を開いた直後に鳴るはずの鉦の音が、少し早く帳が開き始めてすぐ鳴ったし、平成天皇に一斉に礼をする合図の太鼓が、まだ御帳台を開いた女官が下部を直していた時に鳴ってしまった。
治した時になってしまった
※即位礼について感想
●習礼を5回したが、(うち3回は平成両陛下も)平成両陛下30分のお出ましで終わってしまったことを考えると、5回もする必要は全くなかった。
細部のことに調整にこだわりすぎたのではないか。
高御座の後ろや内部での侍従の所作にこだわりすぎた。
特に心外だったのは、高御座内の国璽・御璽の置き場について法制局が細かなくちばしを入れてきたことだ。
どこに置こうが高御座内に持ち込めば十分であって、目立たないところに置くと宗教色を薄めるために国璽・御璽を持ち込んだ目的が達成されないというのだろうが、なんと小心なることか。
結局神璽の前方に置くことで決着した。
●御列進行の際 平成天皇と同様に中央進むのは宝剣・お裾・神璽の3人だけで、あとは先行する式部官長官・宮内庁長官・侍従長・御笏・御草鞋の侍従全て左側を進行することはおかしい。
全部中央に進むべきだ。
最初の案は宝剣・神璽も左側を進むことになっていたのも改めさせ、その代わり履物を室内にも使う鳥皮に替え、上記3人のみ中央にした経緯がある。
平成天皇の後ろを従うものが中央を歩かないなど、通常のあらゆる御供では全くないことである。
●侍従全員が笏を持たなかったことは束帯の服装として欠陥である。
行進中に何も持たない役の者は腰に手を当てて進み、高御座の後にしき立っている時も同様の姿となる。
このとき笏を持っていないと全く様にならない。
首相の万歳三唱に和して我々も三唱するが、このとき笏を持っている侍従長などは笏を身体の中央に構える。
持っていない者は持っているかのごとく両拳を身体の中央に持ってきて三唱するというのだから笑わせる。
小生はあまりばかばかしいから、拳は腰に当てたままの姿勢で低く三唱した。
●諸役は古風な出で立ち、平成両陛下も同様、高御座・御帳台も同様。
それに対し三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。
宮殿全体は現代調。
全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。
参列者は日本伝統文化の粋と称える人もいたが、新憲法の下全員燕尾服・ローブデコルテで行えば済むこと。
数十億円の費用をかけることもなく終わる。
新憲法下初めてのことだけに、今後の先例になることを恐れる。
1990年11月17日
大嘗祭習礼。
今日初めて大嘗宮を見る。
なかなか立派だが14億円とはとても考えられない。
1990年11月28日
即位関係の我々の分担する諸儀が終り、大役が滞りなく終って肩の荷がおりた。
赤坂の侍従は即位の礼の習礼の時から時間刻みの各担当グループの配役行動表を何回も改訂を繰り返しながら伊勢行幸啓まで多量に作って配布したことは、さぞ大変な作業だったことと、問題点はあったものの御苦労なことだったと思う。
1990年12月18日
昭和天皇御服衣品の整理。
宮殿地下の御服所に行き、現物を見ながら取捨選択をした。
背広・礼服・オーバー・天皇服・水着・御運動着・乗馬服など150着ぐらい。
そのうち50着ぐらい選ぶ。
最終的にどうするかは、いずれまた検討する。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1992年10月20日
美智子皇后御誕生日。
三笠宮寛仁親王が樋口侍従に、
「皇族の祝賀の際、平成両陛下というのはいかがなものか。美智子皇后お一人が良いのでは?」とのお尋ねがあり、それについての我々の意見を聞きたいとのことでいろいろ話した。
我々の意見ではお一人が良いと思うが、何事もできるだけお揃いでというのが平成流だから、いずれにしても事務主管手塚英臣にお尋ねのあったことを伝え、その意見・説明をお答えするのがよいと話した。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1993年10月20日
美智子皇后お倒れの報、出御はお取り止めの由。
皇太后宮侍医内西兼一郎によれば一過性脳虚血かと。
1994年11月24日
文芸春秋の手塚証言などを読む。
岸田英夫がまっとう、渡辺みどりは実態しらず。
〔『美智子皇后の孤独』侍従手塚英臣・帝京大学教授岸田英夫・皇室評論家渡辺みどり〕
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1993年3月31日
御用掛退職。
宮殿鳳凰の間、平成両陛下お揃い。
平成天皇から「御苦労でした。昭和皇太后〔香淳皇后〕のことをよろしく。体を大切に」と。
美智子皇后からはない。
1993年6月24日
侍従長からサンデー毎日の小生の叙勲辞退の記事について聞かれる。
小生から経緯を説明。
4月半頃皇太后宮職引間庶務係長から「旭三の叙勲となるが、受けますか?」とのことだったので、「非常勤ながらまだ出勤しているから辞退する」むね答えた。
卜部氏から同様の電話があったので、
「真意は長い間お仕えしお世話になった昭和天皇なら喜んでお受けするが、ほとんどお仕えしていない平成天皇からは受ける気にならない」と伝えた。
1993年10月20日
美智子皇后御誕生日祝賀。
美智子皇后は宮殿へのお出まし前に赤坂御所で急にお倒れになった。
はじめ意識も薄れていたが間もなく回復されたが祝賀行事は御欠席で、平成天皇のみ御祝賀をお受けになった。
美智子皇后は御昼食もお取りになって通常の御生活に戻られたが、ただ御声は出るが言葉が出ない状態という。
側近奉仕の祝賀の前に事務主幹から一同に説明があった。
1993年10月23日
第48回国体行幸。
美智子皇后はその後もな御言葉が出ない状態が続いているので大事をとっておいでにならず、平成天皇のみ御臨席・御視察。
美智子皇后は21日に宮内庁病院で東京大学の神経内科の教授の立会いでCTスキャンなどの検査を受けられたが、脳には異常が見当たらず3週間以内で治る見通しと。
肉体的・精神的な疲労、ストレスがひどいと起きる症状で、これが3週間以上続くようだと一種の脳梗塞だという。
それにしても国体へのお出まし中止の発表が、昨日の夜11時とはどういうことか。
御容態からいってお出ましは好ましくないことは、テレビで専門家が口を揃えて言ってるのだから、早く発表すべきだった。
もっとも宮内庁内にお出になることもかえって御気力の充実の上でよろしいのではという医者がいたというが、言葉が出ないことをスタイリストの美智子皇后がどれほど気にするか、そのストレスを何と考えるのだろう。
1993年12月8日
平成両陛下、皇居の新しい御所に御引越。
名称は「御所」
剣璽御動座と平成両陛下・紀宮清子内親王が同じ車列で行われた。
問題なのは御所御車寄から御所内にお入りになる御列をテレビで見ると、平成天皇が先頭でその後に剣、ついで璽、その後に美智子皇后、終りに紀宮清子内親王であった。
剣は平成天皇より前でなければならない。
おそらく赤坂御所を御出発の時も同じ順序だったろう。
新嘗祭における御列も剣の後に平成天皇と決まっている。
吹上御所を平成天皇と剣璽がお発ちになる時も同じである。
侍従が平服で奉持していたのも気になる。
モーニングにすべきだ。
1993年12月10日
吹上御所へ。
庁舎旧侍従室など荷物が廊下にいっぱい出ており、模様替などこれかららしい。
女官候所で皇太后宮女官長北白川祥子に8日の御列のことを問題としたところ、井関英男大夫も同じことを言って調べたところ、昭和天皇崩御直後の剣璽等承継の儀の後、宮殿から赤坂御所へ御剣御動座の時も平成天皇が先頭で、剣、璽と続いたと言う。
この例にならって8日も同様の順にしたと言う。
平成流と簡単に片付けるにはあまりに重大な変更であり、後日問題となろう。
1993年12月11日
美智子皇后言葉をお出しになると宮内庁発表。
昨日金沢一郎東京大学教授の診断があり、2日に単語を、10日には簡単な文をささやき声でおっしゃれるようになったとのこと。
この発表を11月の夜中にしたのだから驚く。
総務課など関係者は夜中に大変だったらしい。
10日夜、もっと早く発表すべきもの。
宮内庁の対応相変わらず。
1993年12月12日
剣璽御動座の剣。
8日の御動座の際 剣が平成天皇の後だったことについて夜当直の田中氏に意見を聞いたところ、
「確かに順としては剣が平成天皇の先に行くべきだが、剣・璽ともに移動用の鞄に入れて運んでいるので、正規の御列ではないという考えから、剣が平成天皇の後としたのだろう」とのことだった。
それなら平成両陛下なり紀宮清子内親王の後にしたらどうかと思うが、そこまで格下げにできず中途半端な形になったと思われる。
「1月7日の吹上から赤坂への御動座の時も、同様の考えから剣璽が平成天皇の後になったのでは」と田中氏は言っていた。
しかし鞄に入れようが剣璽に変わりはないのだから、この扱いには疑義がある。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1995年1月20日
地震のため、平成両陛下お慎みでテニス自粛とのこと。
1995年2月3日
現侍従職〔平成〕の歌会始に対する熱意のないこと、不安があるなど愚痴が出る。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1996年3月14日
良子皇太后と美智子皇后との確執につき、なぜか各社共通の動き。
1996年6月7日
平成天皇、前庭性神経炎によるめまいのため御静養と発表。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1997年9月6日
ダイアナ元妃の葬儀は国民葬ともいえる特異な方式で行われた。
テレビ各局、中継放送。
各国要人など参列。
日本からは駐英大使のみ。
徳仁皇太子夫妻に出席招待があったが断った、諸般の事情から皇族の出席はしないと決めたという。
ヨーロッパの王族はしないこと・国葬でないことが理由らしい。
しかしヨーロッパ王族でもスペインなどは出席したとの報道もあり、出席しなかった国には招待状自体が出されなかったという。
ダイアナ元妃と私的に親しかった王族だけに招待状が出されたという。
理由はともあれ、日本は徳仁皇太子・秋篠宮・三笠宮は留学もしているし、ダイアナ元妃は3度来日し皇室とは親しい関係にあったのだから、浮名も多く離婚しているとはいえ、誰か皇族が出席すべきではなかった。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1999年6月17日
正田英三郎氏〔美智子皇后の父〕の万一の時について協議。
正田富美子夫人死亡の時を調べる。
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明治天皇・大正天皇に仕えた女官〈椿の局〉梨木止女子→坂東長康の妻坂東登女子
大正天皇は昔からの明治天皇の仰せになるような言葉で仰せになった。
昭和天皇はいくらか大正天皇にお似ましのようですね。
秩父宮は下方にお成り遊ばしてるので、兵隊の中で揉まれてござるわね。
一般の人にふさわしいような、近いような御言葉ですわね。
今の明仁皇太子〔平成天皇〕は余計もう、さばけておいでになる。
それにお付きしてる人がみんなそんな粗雑な言葉を使うので。
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司葉子 女優・経済企画庁長官相沢英之の妻
※平成の即位の礼 1990年11月12日より
11月12日「賢所大前の儀」に始まって12月10日の総理大臣主催「天皇陛下御即位記念祝賀会」が終わるまで、計10回あまりの行事に私もお供して宮中に上がらせていただきました。
朝・昼・夜もそのつど着替えるので、その2日間はホテルオークラに衣装を運び込んで泊まり、戻っては着替え、着替えては出かけるということを繰り返しました。
こういう儀式に何を着て行けばいいのか頭を抱え込んでしまうところですが、宮内庁から事前に服装についての詳しい細部にわたっての資料をちょうだいしました。
「正殿の儀」
■男子は
●洋装なら燕尾服・モーニングまたはこれに相当するもの。
シルクハットは不要。
勲章着用。
手袋は随意。
●和装なら紋付の羽織・袴。
■女子は
●洋装ならロングドレスかデイドレスあるいはドレッシーなワンピースかアンサンブルスーツ。
デザインは長袖で衿の詰まったもの。
生地は絹または絹風のもの。
色は淡い色が望ましい。
靴はドレスと同色系のパンプス型。
帽子・手袋は随意。
アクセサリーは随意(金・銀・真珠などの上品なもの)
●和装なら白襟、紋付の色留袖・訪問着、黒留袖でも差し支えない。
羽織は不可。
襦袢は白羽二重または白綸子の長襦袢など。
帯は丸帯または袋帯。
足袋は白。
ハンドバッグは革製ではなく、絹織・佐賀錦・ビーズなどの小型のもの。
履物は糸錦、金色または銀色の布地のものなど。
扇子・アクセサリーは随意。
「饗宴の儀」
■男子は「正殿の儀」に同じ。
■女子は
●洋装ならイブニングドレス。
デザインは長袖で衿のないもの。
胸や背中の広く開いたワンピース仕立。
生地は絹または絹風のもの。
色は淡い色が望ましい。
手袋は革製または化繊のもので、白またはドレスと同色の長手袋。
靴は金・銀の繻子、またはドレスと同色の繻子や絹のパンプス型。
アクセサリーは随意(金・銀・真珠などの上品なもの)
●和装なら白衿、紋付の色留袖・訪問着など。
以下は「正殿の儀」に同じ。
◆その他、毛皮不可、女子は黒色不可。
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伏見宮敏明王
お妃選びの報道が過熱する中、いろいろな「お妃候補」が登場しました。
その一人に私の妹の名も出ました。
旧皇族であり、明仁皇太子の同学年で、生まれは2カ月ほど後、こうしたことを基に推測で報道したのだと思います。
お妃選びが終盤になると、新聞社から「お相手は正田さんの家で間違いありませんでしょうか」といった電話が来るようになりました。
これもまた、ずいぶん困りました。
うっかりしたことを言えませんからね。
僕から明仁皇太子に「正田美智子さんですか」なんて聞くこともできません。
僕が聞けば何か返事をしてくださったかもしれません。
けれども、それはまずいなと思って。
僕に情報が入ったのは世間と同じ。
正式に決まってから、明仁皇太子から電話がありました。
後成婚の前に、御所の水槽で飼われている熱帯魚を見せていただいたことがあります。
突然明仁皇太子は「食べるとおいしいんだよ」とおっしゃって、侍従に醤油を持ってこさせたのです。
「熱帯魚は観賞するものではないのですか」と言っても、明仁皇太子は水槽に手を入れて1匹を取り出し、醬油につけてパクッと食べられました。
「博明さんもどうぞ」と言われるので、食べないわけにはいきませんでしたが食べませんでした。
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