アトムの足音をつくった男
伝説の音響デザイナーが、銀閣寺のそばに住む。
日本初の本格的な連続テレビアニメとされる「鉄腕アトム」の「ぴょこぴょこ」という足音など効果音をつくった大野松雄さん(90)。東京生まれで、京都に「亡命」して30年という「長老」が、ハラカミさんに影響を与えたと聞いて会いに行った。
「世の中の人は勘違いをしている。私がお師匠さんで彼が弟子だと。全くそういうことはない。一緒に演奏したこともない。教えたこともない。ただ、アドバイスをやったことはある」
スピーカーを使うよう助言
大野さんは昔、ハラカミさんが学んだ京都芸術短期大学(現・京都芸術大学)で非常勤講師を務めた。直接教えたことはなかったが、教え子の映像にハラカミさんが付けた音楽がしっくりこないと相談を受けた大野さんが、音をつくる際にイヤホンではなくスピーカーで聴くように助言を伝えたという。ハラカミさんがデビューする前の頃だ。
「音と耳の間に空間がないと平板な世界になっちゃうんですよ。音って、べたーと平らじゃなくて、いろんな音があって立体的じゃないといけない。それ以降は、ハラカミは中古かなんかのスピーカーを手に入れてつくるようになった」
仕事で関わったのは、ハラカミさんのサードアルバムのリミックス盤「レッドカーブの思い出」を2001年に出した時。大野さんが1曲を手掛けた。
「オープンリールなどを使って、へんちくりんな音をつくって『あとはおたくのパートをどこに入れるか勝手に考えてやりなさい、俺はコーヒー飲みに行くよ』って言って、帰ってきたらできてたから、いいんじゃないって言ったんだ」
早世した「後輩」を大野さんはこう評した。
「アマの部分が良かった」
「ハラカミはプロになりきれてなかったから良かった。アマチュアの部分が残っていなくて楽しめてないプロが多いんですよ」
ハラカミさんは、デビュー前に購入した安い機材をずっと使い続けた。「何度かシステム刷新をしないか聞いたら、一から新しいことを覚える時間があるなら制作に充てたいと言っていた」。大学の先輩に当たる映像作家で、大野さんの教え子でもある大阪電気通信大学の由良泰人教授は言う。
遠回りの発見を楽しむ
「効率ばかりを追うのではなく、遠回りでも、その道中での発見を楽しむ。そうした面が良い意味でアマチュア的で、本人が大切にした作家性だったと思う」
機械でつくるテクノミュージックでありながら、音程をなめらかに上下させる技法も多用して温かみや人間味が感じられる独自の音楽は、京都の仲間や豊かな異才に育まれながら、東京の喧騒とは一線を引いて生み出されていた。
「時代の流れに関係なく、より高度で独自の作家性を築いていた」。日本では1950年代から始まったとされる電子音楽。ハラカミさんの音楽は折しも広がっていた心地よい音の先駆けと言われたが、京都在住の電子音楽家RUBYORLA(ルビオラ)さんはハラカミさんの音楽をそう評する。
幅広い音楽遍歴も特徴だった。オフコース、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)、ドビュッシー、バッハ、アントニオ・カルロス・ジョビン…。
人気バンド「くるり」の岸田繁さんはかつて、ハラカミさんの部屋に八代亜紀さんのレコードがあったことを明かしている。
デビュー前から住んでいた七条辺りの10畳ほどの長屋を後年も仕事部屋として使い続けた。「いわゆる『勝ち組』が豊かなんじゃなくて、普通の生活に喜びや輝きがあるということを彼は音楽だけでなくて、自らの姿勢で表現したかったんじゃないかな」。テクノバンド「タンツムジーク」として活動し、今は家業の和食屋「だる満」(左京区岡崎)を継いでいる佐脇興英さん(51)は語る。
制作時間は「鶴の機織り」
機材に一人向き合う制作時間を、ハラカミさんは、おとぎ話にたとえた「鶴の機織り」と称して、ごく親しい人にも隠したという。
「隣に一時、高齢女性が住んでいて、壁がとても薄いので、うるさいとよく怒られたそうです」
ハラカミさんのCDジャケットのイラストを多く手掛けた「ともこちん」さんは振り返る。

