『消えたお妃候補たちはいま』から紐とく、天皇陛下の雅子さまへの想い―前編

秋篠宮眞子さまと小室圭さんの婚約問題の例にもれず、皇室の結婚はいつの時代も注目の的である。令和になり天皇に即位した皇太子徳仁殿下も、浩宮さまと呼ばれていた昭和時代から「お妃探し」が始まり、雅子さまを含めた有力候補者が続々と報道されていた時代があった。

ジャーナリスト・小田桐誠氏がこのたび上梓した『消えたお妃候補たちはいま』(KKベストセラーズ)には、その頃のお妃候補者たちの現況をも追ったそれぞれの人生ストーリーが記されているが、ここでは試みに天皇陛下の側からご成婚までの歩みを、現代の「婚活」感覚を交えながら読み進めてみたい。

今月4日の一般参賀で、長和殿ベランダに並ばれた天皇皇后両陛下。

にこやかに手を振られる雅子さまの黄色のローブモンタント姿に、26年前の婚約内定会見時も黄色いドレスだったことを重ねて報道していたメディアもあり、あの日を思い出した方も多いだろう。

1993(平成5)年1月19日、会見での皇太子さまはとても晴れやかで、どこか安堵したような表情に見えた。

時にはご学友から旧皇族・旧華族、経済界、趣味の音楽やテニス関係まで、あらゆるルートの令嬢、才媛が有力候補だけで70人もあげられた。にもかかわらず続々と消えていき、最終的に雅子さまに決まるまで紆余曲折だった「お妃探し」が終わることも意味していたからだ。

 

結婚相手を探すなら婚活するのが当然になった現代では、一般人でも候補者が70人にのぼることは何ら特別なことではない。が、驚くべきは婚活期間の長さだ。

最初にお妃候補の報道が出た、浩宮さま17歳(学習院高校3年生)のときから数えれば約15年。さすがに高校生では結婚への本気度も低いが、学習院大学院を経て英国留学で学業期間を終え、お妃探しが本格スタートした25歳、1985(昭和60)年から数えても7年かかっている。

 

現在、結婚相談所に入会して相手をみつけ結婚を前提に退会する「成婚退会」までの平均期間は、長くて1年といわれる。それに比べ7年はあまりに長い。

普通に考えれば“婚活こじらせ男子”認定案件だろう。

本書の主役は雅子さまを含め、あくまでお妃候補となった女性たちだが、随所に出てくる浩宮さま・皇太子さま時代の記者会見コメントを追って読んでみよう。

すると、その心模様が推察でき、同時に候補女性たちが起こしたリアクションをみると、どうしてそんなにこじらせてしまったのかが浮き彫りになってくるような気がするのだ。
 

例えば1980(昭和55)年2月、成年式を目前に控えた記者会見で、初めてご自身の言葉で語った理想の女性像。

「中学、高校はまったく男だけの中で育って、大学に入ってまた共学になって一種の新鮮さを感じている段階なんです。ですから、理想像というのは徐々にできてくるんじゃないかと思います。そう、竹下景子さんなんかいいと思います」

当時26歳で「クイズダービー」4枠に君臨した“三択の女王”こと竹下景子さんをあげた19歳。確かに理知的なキャラクターは魅力的だったが、「お嫁さんにしたい女優No.1」といわれていた世間の風潮を取り入れた部分もあったのかもしれない。

 

同時期、宮内庁が行っていたお妃探しも良家の子女にそれとなく連絡を取る程度で、ひと声かければ出会いの場を設定できるだろうと楽観的なものだったという。

しかし、候補とされた女性たちは違う。当人も家族もマスコミの取材攻勢に苦しめられ、民間から皇室に入られた美智子さまの苦労と激ヤセぶりを知る両親によって、“お妃候補返上のサイン”として留学させられたり、急いで縁談をまとめられたりしていった。

 

ちょうど1980年は、現在の大手結婚相談所「楽天オーネット」の前身である「オーエムエムジー(OMMG=Osaka Medical Marriage Guidance)」が設立された年であり、結婚や良縁探しに敏感な人たちにとっての婚活黎明期にあたる。

しかも、結婚への具体的な行動開始時期は、結婚の先に出産を見据えている女性(またはその親)の方が男性より5~10年先行するものだ。

浩宮さま、宮内庁サイドと候補女性サイドには、意識の上ですでに大きな差があったことは想像に難くない。

 

そして2年後の1982(昭和57)年、学習院大学を卒業する直前の会見では

「理想像としては明るくて、健康的でスポーツ好きな人がいいです。付け加えれば料理上手な人がいいですね」

と話している。より具体的にはなったが、当たり障りない一般論にも聞こえる。当時、浩宮さまと同年代のお妃候補たちは大学卒業後に就職するケースが目立ち、耳にピアスの穴を開ける人もいたという。

「OLは許されない。お妃になる女性に上司がいてはいけないから」

「ピアスなどで体の一部に傷をつけるような女性はお妃になれない」

といった、現代ではツッコミ待ちとしか思えないような「お妃の条件」が宮内庁に多々あったとされる。むろん当時の一般社会の現実とも乖離が大きく、女性たちは次々に候補返上のアクションを起こしリストから離脱していった。

 

由緒正しすぎる家柄、文句のつけようのない学歴、優しい人柄……いうなれば婚活市場における“日本一のハイスペック男子”ともいえる存在が、恐ろしいほどマッチングしなかったという事実に愕然とせざるを得ない。

なかには皇室に嫁ぐことをそこまで敬遠しない候補者もいたそうだが、父親が急逝し「お妃の条件」の一つに当てはまらなくなったためリストから消されたという。
 

1985(昭和60)年、25歳になった浩宮さまは、2年4か月余りのオックスフォード大学留学終了前と帰国後に複数回の会見で理想の女性像を語っている。

海外生活で一般人に近い暮らしや一般女性との友情を育むという体験を得たためか、具体的かつ自身の希望や実感のこもった条件があがった。

「ある程度は自分の意見を持っている人がいい」

「ふだんはしとやかなところがあっても、意見を言うときはしっかり話せる人が好き」

「これから先は外国人との接触が多くなってくるのである程度外国語ができるほうがいい」

など、まるで雅子さまを予感させるようなキーワードが並ぶ。さらに、

「美しい物や大切と認識する物など価値観が同じであればベスト。金銭感覚は贅沢を避け質素」

「自分の趣味や関心、具体的にはスポーツや音楽を理解できること」

何より注目すべきは「結婚は30歳前がいい」と時期について言及したことだろう。

 

期限を区切ったことが功を奏したのか、宮内庁もやっと本腰を入れてリストを作り始めたという。しかし、本人があげた理想の女性像は何度も会って判断していくものであるのに対し、宮内庁の候補者選びは相変わらず「就職してOLになる前の、良家の子女」を書類選考・審査するような方針だった。

しかも浩宮さまは立場上、自分から婚活的なアクションを起こすことは一切できないし、性格上、宮内庁のお妃探しに口をはさむこともなかったという。

 

それでも一筋の光明というべきはお妃候補選びに「外務省ルート」が存在したことである。

具体的な女性像を繰り返し言葉にして言霊の力で「引き寄せ」たのだろうか。浩宮さまは1986(昭和61)年10月、ついに運命の人、小和田雅子さんと出会うことになるのだ。

 

※6/1配信の<後編>に続きます
 

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冬の国道で突然現れたハイエース


 佐藤翔太さん(仮名・30代)は、仕事の帰り道に“あおり運転”に遭遇した。佐藤さんは同僚を駅まで送り、1人で国道を走っていたという。

「道路はガラガラで、雪がチラついていました」

 そこへ、後方から突然、異様なスピードで接近してくるハイエースが現れた。しかも、ハイビームを浴びせられ、ミラー越しの視界が真っ白になるほどだった。

「最初は、“急いでいるのかな”と思って道を譲ったんです」

 しかし、そのハイエースは前に出た途端、急ブレーキと蛇行運転を繰り返したそうだ。

「え? これ、こっちに向けてやってる?」

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「人目のある場所のほうが安全だと思ったんです。
でも、ハイエースはぴったりと後をつけてきて、駐車場にまで入ってきました」

車から降りてくる運転手…

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ハイエース
 ハイエースの運転手は車から降り、佐藤さんの車に近づくと、いきなり窓ガラスを叩き始めたという。

「出てこいや!」

 怒鳴り声と同時に、車体を蹴る鈍い音が響いた。

「怖くて窓もドアも開けられませんでした。すぐに“110番”しました」

 通報から7分後、警察が到着する前に運転手はハイエースに戻って逃走。しかし、防犯カメラには顔も車のナンバーも鮮明に映っていた。さらに、佐藤さんはドラレコの映像を証拠として提出したのだ。

「警察から、“同じような通報が、ほかにも2件ある常習犯”と聞かされました」

 どうやら、ハイエースの運転手は建設業の社用車を使用していたことが判明。会社からは、社長名義で謝罪文と修理費、慰謝料の提示が届き、運転手は懲戒解雇になったそうだ。

「怖かったですけど、証拠があったからこそ自分を守れたと思います」

 今では車に、“録画中・あおり運転厳禁”のステッカーを貼っている佐藤さん。その文字を見るたびに、そのときの恐怖を思い出すという。

山道で迫る“猛獣”のような車

 山道を1人で運転していた高橋洋子さん(仮名・30代)。片側一車線のくねくね道で、交通量は少なく、静かなドライブになるはずだったという。

 しかし、ふとバックミラーをのぞくと背筋がゾクッとした。後方の車が、異常なほど車間を詰めてきたのだ。


「数メートルもない距離でヘッドライトを点滅させ、ときどきクラクションまで鳴らしてくるんです。“早く行け”と怒鳴られているみたいでした」

 山道での追い越しは危険だが、それでもその車は、まるで“獲物を狙う猛獣”のようだった。高橋さんは、恐怖と怒りが同時に込み上げてきたそうだ。

「でも、私の車にはドラレコがある、証拠は残せる」と、自分自身に言い聞かせた。

冷静な判断が導いた免許停止

 やがて、道沿いにコンビニの看板が見えた。

「ここだ!と思ってウィンカーを出して、駐車場に入りました」

 高橋さんがエンジンを切ると、後続車は勢いよく通り過ぎていった。静けさが戻ったところですぐに“110番通報”。

「状況を説明して、ドラレコの映像も提供できると伝えました」

 そして数日後、警察署から着信があり、

「車のナンバーから身元を特定しました。映像からも悪質性が高いと判断し、免許停止処分としました」と告げられた。

 それを聞いた瞬間、高橋さんは心の中で“ガッツポーズ”をしたという。

「恐怖は簡単には消えませんが、証拠を残し冷静に動いたことで、きちんと制裁が下されました。それが、なによりの救いでした」

 この日以降、高橋さんは友人や家族に“ドラレコの重要性”を力説している。


<取材・文/chimi86>

【chimi86】
2016年よりライター活動を開始。出版社にて書籍コーディネーターなども経験。趣味は読書、ミュージカル、舞台鑑賞、スポーツ観戦、カフェ。

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