大河ドラマも「西郷どん」ですし、鹿児島にも行ってきたので、鹿児島と豚、明治維新のエピソードをご紹介します。

 

 肉食が忌避されていた江戸時代ですが、薩摩では豚が飼われ、「歩く野菜」として食べられていました。

 九州国立博物館には、16世紀の家畜らしい黒豚の絵が残されています。

 

 薩摩藩は、本国だけでなく、江戸の藩邸内(東京都港区)でも豚を飼っていて、藩邸跡を発掘すると大量の豚の骨が出てきます。古くは17世紀から始まり、家畜に見られる歯周病の痕跡があるため、長らく養豚をしていたことは明らかです。

 

 江戸後期にはあまった肉を売っていたようで、経済学者で農学者の佐藤信淵は1827年『経済要録』に「薩摩藩江戸邸では豚が飼われており、味が上品。これを普及させるべきだ。」などと書いています。

 

 薩摩の豚の味を褒めているのは、学者だけではありません。

 薩摩の名君、島津斉彬は1845年、同じ一橋派の水戸藩に黒豚を贈っていて、水戸藩主の徳川斉昭(一橋慶喜の父)は「いかにも珍味、滋味あり、コクあり、なによりも精がつく」と薩摩黒豚を絶賛!!

(ちなみに、対立する紀州派の大老井伊直弼は、水戸藩に牛肉を献上していたそうです。)

 

 さらに徳川慶喜は、あまりにも豚肉が好きだったため、「豚一殿」(豚好きの一橋殿)というアダ名までつけられていました。

 慶喜がどれほど豚が好きだったかというエピソードがあります。

 

 薩摩藩へ豚肉をねだる慶喜。その頃、慶喜とともに京都に滞在していた薩摩藩士小松帯刀は、1864年、大久保利通にこんな内容の手紙を書いています。

「一橋公から豚肉を度々所望されています。持ち合わせのみ進上したところ、すでに三度もご所望で、さらに相談されましたが、もはや手元にないのでお断りするしかありませんでした。大久保さんのお知り合いで余分な豚肉を持っている人はいませんか?すぐにお取り計らい下さい。」

 

 実はこの1ヶ月前、小松は薩摩にいる妻のお近に「(自分用に)豚肉をすぐに送って。」と手紙を出していて、小松自身も豚肉がかなり好きだったようです。その楽しみにしていた豚肉を慶喜公にすべて献上してしまい、さぞかし悔しい思いをしたことでしょう。

 

 豚肉手配の相談をされた大久保ですが、その後、明治時代にはいり内務大臣になると、国内の畜産振興を図る目的で、畜産指導所を設置し、豚肉の普及による旧武士の体力増進を推進したと言われています。

 

 江戸時代から豚肉を食べていたのは、薩摩武士だけではありませんよ。

 1865年から約2年間、新選組は西本願寺を屯所としていました。そこでは、隊士達の健康管理のために、豚を飼っていました。

 寺の境内で豚を屠殺し、煮たり焼いたりすることに本願寺側が苦情がでても、結局立ち退くまで止めなかったという記録が残っています。

 

 滝沢馬琴(作家、1767~1848)は「猪の子」が好物。 司馬江漢(絵師、1738~1818)は日記に「豚を煮て夜食を出す、いたって美味なり」と残し、松崎慊堂(儒学者、1771~1844)の日記には、「掛川藩(静岡県)大田候から豚羹(豚の角煮)頂戴」とあります。

 緒方洪庵(医師・蘭学者、1810~1863)の大阪の適塾では豚を塾生みんなで食べていたと、福沢諭吉が『西洋衣食住』に書いています。(その豚は解剖や手術の練習にも使われていました。)

 

 江戸時代の料理本『守貞謾稿』(1853)では、豚肉の鍋の事を、琉球鍋と紹介し、豚肉は嘉永(1848~54)のころからは公に売られていたとあります。(薩摩藩邸の豚か?)

 

 このように、江戸時代から食べられていた豚肉ですが、普及したのは明治になってからです。特に関東大震災後の関東地方では養豚ブームがおき、供給量が増え安価になり、豚一殿のように、薩摩藩におねだりしなくても手に入る、私たち庶民の味方になりました。

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リブログ(1)

  • ”最後の将軍は豚一様”

    大河ドラマ『青天を衝け』で、最後の将軍 徳川慶喜が登場したので、以前に書いた記事をもう一度。慶喜公は豚肉が好きだったので、豚肉好きの一橋殿 「豚一殿」 と呼ばれていたらしいですよ。草彅くんの慶喜公、私的にはもっくんよりしっくりくる!豚肉を食べる慶喜公の姿が登場してほしい~♪司馬遼太郎原作・本木雅弘主演 大河ドラマ 徳川慶喜 総集編 DVD 全2枚セット【NHKスクエア限定商品】Amazon(アマゾン)8,580〜12,829円NHKオンデマンドより

    keroripig

    2021-02-22 12:50:14