小説:ballad.(バラード)①
目覚まし音。こんもりと山のように盛り上がった白い布団が、もそもそと揺れてお餅のようにしぼんでいく。スマートフォンに毛がうっすらと生えた人の腕が伸びた。音が鳴り止んだ代わりに、人の息がささやかに吐かれた。程なくして布団をはねのけて、男が背中を起こした。二十代前半のほっそりとした体つき。背は170cmを少し超えたくらいで、白い半そでのシャツと混色のボクサーパンツを身にまとい、髪の毛は寝ぐせでぼさぼさだ。彼の名前は中村健人(なかむらけんと)。健人はベッドから起き上がると頭を掻いて欠伸をした。元々目つきは悪いが寝起きは三白眼をより一層強調させた。
健人の今いるこの場所は東京都新宿区の都心からやや離れたマンションの一角だ。マンションの壁の側面は灰色のレンガ調。玄関はオートロック式。健人はそのマンションにひとりで住んでいる。
健人は自室のひんやりと凍った窓を開け放ち、冷たい風を室内に入れた。洗面台に移動すると蛇口をひねる。冷水で顔を洗い、顔に付着した水滴をタオルで拭く。その頃にはさっぱりと目が覚めて、目の下のクマは薄くなっていた。
コーヒーを片手に健人はリビングに入る。ネクタイを首裏に回し肩にかけ、よれたワイシャツを身につけていた。部屋は簡素だ。リビングの明かりを付けなかったため、朝にも関わらず仄暗い雰囲気が漂っている。
光源はベランダにつながる大きな窓だけ。フローリングの床に膝の高さまでしかない透明ガラスのローテーブルを直置きしている。そのテーブルの上にコーヒーを置いた。
すぐ隣に置いてあるリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を入れる。そして茶色の革のソファにどっしり腰を落ち着かせて、朝のテレビニュースを見入った。健人は気づかなかったが、小さなスズメが3羽。鳴きながら窓枠から遠い空を横切った。雪が降る。ベランダの手すりにうっすらと雪が積もり始める。
健人の背後にトースターから焼き終わったパンが短い音立て飛び出した。
今日の株価。交通情報。道路が混んでるとか、さそり座が最下位だったとか、高市がなんだとか健人にとってはいつものつまらないありふれたニュースだ。刺激されるような話題もなく、ただ意味もなく眺めている。誰かが死んだとか誰かが捕まったとか、東京の新宿の片隅でサラリーマンをしているだけにしか過ぎない男が、世の中を気にする必要なんてない。健人はそのように考えて過ごしてきた。
『次のニュースです。』
ふ、とアナウンサーが告げた男の名前が健人の耳に飛び込んだ。懐かしい名前だと健人は一瞬考えた。そして、若干眠気が残る目を大きく開き、食い入るように口の中でテロップを読んだ。
「若い男性、新宿の裏路地で刺され死亡した状態で発見」の文字と、「星乃悠星(24)」という文字。
証明写真も名前の上に貼られていた。短く切り込まれた紫色の髪の毛、紫色のつり目。中学生最後の登校日に話しかけられた時に、色々話したことを思い出しながら、別れ際に見たあの笑顔。あの頃よりもずっと大人になって笑っている悠星の画像がテレビに映し出されていた。そしてあっさりとテレビの映像は切り替わった。健人はしばらくテレビの画面に釘付けられた。
健人が会社に行くために外に出たのは、そのニュースの一件からしばらく経った頃だった。いつもより30分遅く出たことで、雪はこんこんと降りしきり、道路は人の足や車のタイヤのチェーンの跡でくっきり残しはじめていた。
(人ってこんなにあっさり死ぬんだな)と健人は朝方のニュース、旧友が死んだことに対し、ぼんやりと考えながら歩く。
健人と悠星は中学一年に知り合った。二年になる頃には論理感の合わなさで健人から拒絶し縁を切っていた。とはいえ廊下では時折すれ違い、悠星からの視線を気にしないように過ごした記憶は健人にはしっかり残ってはいたのだけれど。
それでも身近な人の死は、
健人にとっては初めての経験だった。
路面は凍っているために時々おぼつかない足取りになることもあるが、転ばずに勤務先である高いオフィスビルに着くことはできた。受付のフロアにはそれはそれは大きくて立派なホワイトクリスマスツリーが飾られているが、健人はツリーには気にすらとめずにエレベーターに乗り込んだ。そして時間になり仕事を始めた。
健人は定時前には仕事を終えていた。しかし朝から降り続いた雪は今も尚激しさを増している。残業をしたら落ち着かないかなという淡い期待を健人は抱いた。時間を潰してみたものも、窓から見た景色は残業を始める前とさほど変わらないようだった。
交通道路はぐしゃぐしゃでコーラフロートのようだし、歩道や駐車場、その場所で駐車している車の天井は大雪だった。自販機では飲み物を取ろうとしている人や、中にはせっせっと雪かきをしている老人もいる。
健人は観念した深いため息をし、帰り支度を始めた。帰り際スタバ(会社と隣接した形でお店が建っている。コンビニもある。)に入り、ホットコーヒーを片手に、新宿駅まで15分で着く道なりを、転ばないように通勤時よりも用心深く歩きはじめた。
「そういえば、昨日だったな。」健人が無意識にぽろっと口からこぼした。悠星のことだ。新宿のどのあたりだったか?仕事している間に健人の心の中では踏ん切りついていた…はずだった。
悠星とはもう長いこと会っていなかったな。いや…どうでもいいかと健人は考えた。どうしていたかとか、何をしていたのかとか、気にしても仕方がない。健人の心は拒否反応に近くなっていた。ただただ無関心さを装いながら、健人は既に悠星に意識が向いていることに気づいていない。背を向けたまま自宅に帰る。
帰宅し、湯船につかりながら、仕事のこととか、結婚したいなとか、将来のことをなんとなく考えていると、また悠星の笑顔がチラついた。健人は軽く舌打ちをした。「なんなんだよ」もう。湯船から立ち上がり、引き締まった身体が勢いよく飛び出した。風呂から出てバスタオルを手に取ると、乱雑に全身を拭き、バスタオルは雑に洗濯機に投げ入れた。足早に布団に入り、一時間もかからない内に眠りについた。
中学一年生の頃の健人はまだ親の言いなりで勉強するのが当たり前だった。いつかは偉い大学に入って、父親のように立派な会社に勤めて、立派な社長になることが夢だった。勉強ができることしか彼は取り柄はないと思い込み、人付き合いを避けてきたため、クラスでは浮いた存在だった。
悠星は健人とは全く逆の人間だ。見た目は前述した通りのやんちゃな不良だったため、学校では一部の人間から怖がられ避けられていたのは否めない。それでも健人とは違い、素直で気持ちを伝えられる人間だったために、クラス内では扱いに手がかかる生徒とはいえ、人に好かれているところもあった。
「健人、教科書わすれたからみして?」
「え、普通にやだ。」
先生から見せてやりなさいと言われ、健人はしぶしぶと教科書を悠星の机に寄せる。
このやり取りが二人の最初の出会いだった。
どうして
布団の中で健人は思う。
どうして今頃?
健人はうっすらと目を開けて
暗い天井を見つめた。
どうして、もっと話をするべきだったと、考えてしまうんだろうと健人は思いながら…
今は亡き旧友との思い出が
健人の頭の中で蘇る。
続


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