法曹臣民でございます。今年は1億超えの買い物をしたため本業にフルベットしており、コメントする時間もありませんでした。さて、昨今、ネットの海では「調査嘱託」なる言葉がトレンド入りし、まるで鬼の首を取ったかのような騒ぎになっているようですね。
本日は、その「調査嘱託」にまつわる、実務的な真実を、皆様に少々共有させていただきましょう。
裁判所において、当事者から「ここを調べてほしい」という申立てがあれば、裁判官は相手方の意見を聞き、採用の可否を判断します。これは手続き上の基本です。
しかし、我々実務家の目から見ると、一部の定型的な事案を除き、このカードが切られる場面というのは、実は「悲鳴」にも似た響きを伴っていることが多いのです。
なぜなら、調査嘱託を申し立てるということは、立証責任を負う側が「他に立証方法がなく、手詰まりになっている」ことの裏返しであることが多いからです。
例えば、「あいつは不正をしている」「学歴詐称に違いない」と声高に叫んではみたものの、肝心の裏付け証拠が手元に何ひとつない。自分で集める能力も、手段もない。
そんな時、苦し紛れに繰り出すのがこの一手なのです。
ここで興味深いのが、裁判所の心理です。
証拠がないなら即座に却下すればいい、と思われるでしょうか?
いえいえ、裁判所という場所は、もう少し「大人な対応」をする機関なのです。
裁判所は、こうした証拠を持たない当事者からの申立てを、あえて採用することがあります。
それは当事者に手続的満足を与え、「諦めさせるため」です。
「分かりました。これが最後ですよ? でも、これで何も出てこなかったら、もう白旗を上げて、和解なりなんなり、本件の終わらせ方を真剣に考えてくださいね」
……そんな「手打ち」への布石として、採用することがままあるのです。
話題となっている、いわゆる「ゴマサバ」の件。
裁判所からは「調査結果を踏まえて被告は和解を検討するように」との要請があったようですね。
これこそが、私の申し上げた流れそのものです。
そもそも、外国の大学に日本の裁判所からの調査に応じる義務があるかどうかも不明瞭です。
それでも裁判所がゴーサインを出したのは、「やるだけやらせて、結果が出ない(あるいは回答がない)という現実を突きつけ、当事者を納得させて幕を引こう」という意図であると見て、ほぼ間違いないでしょう。
ところで、本件訴訟の当事者ですらないのに、手続きが一つ進んだだけで勝利宣言をし、はしゃいでいる方々がおられるようです。あまりの○○さ加減に、さすがに少し目眩がします。
一度、国家の素晴らしい施設で、社会性と静寂を学んできてはいかがかとさえ思う次第です。あそこなら、頭を冷やす時間はたっぷりと用意されていますからね。
賢明な皆様におかれましては、表面的な事象に踊らされることなく、その奥にある「司法の冷徹なメッセージ」を読み取る知性を持っていただきたいものです。
それでは。