第二新卒で入社して、けっこうな年数がんばってきましたが、限界がきて退職した次第です。心身の限界というよりは、冷たい倫理観に耐えられませんでした。そっちの徒労感の方がすごいです。
待遇や福利厚生は本当によかったのですが、この場所を離れる必要がありました。そう判断しました。
今は同業の競合他社で働いています。同じくフリマアプリの会社です。「学習しろよ!!」って思いましたが、これが人の性です。僕は人のために働きたいのです。人に幸せになってもらうのが好きです。
転職先がそこまで派手じゃない会社だと知った知人からは、「どうしたの?仕事に疲れたの?」と聞かれることもありました。疲れたのは、会社そのものの倫理観でした。
今回、僕がフリマアプリという巨大なシステムの中で感じた違和感、そして決定的な別れの原因となった出来事を書き残しておきたいです。
直接のきっかけはこの騒動でした。皆さんご存じと思われますが、最新ゲーム機器が定価以上で転売された事案です。僕が会社を辞めて転職活動をしようとおもった直接のきっかけです。
正確には、任天堂のゲーム機本体の抽選販売が始まり、その直後からフリマアプリ上で定価の1.5倍以上で新品が出品されました、数か月間に起こったことです。
ユーザーが待ち望んでいたゲーム機ですが、純粋に欲しかった人には渡らず、組織的・個人的な転売ヤーの餌食になりました。フリマアプリが持つ利便性と、転売者の悪意が結びつきました。
プラットフォーム側の人間として、当時の僕ら(ユーザー管理・カスタマーサポート部門)はこの状況をどうすべきか議論を重ねました。
現場のメンバーの意見は圧倒的に一致でした。「一線を超えている。社会的な批判が来る前に手を打つべき」というものでした。当然、職場長を通じてさらに上に訴えました。
しかし、経営層から降ってきた指示は冷たいものでした。要約すると「現行の規約に照らして違反ではない。静観」というものでした。
確かにそうです。規約では、営利目的の転売は禁止されていません。禁止されているのは、盗品その他の非合法なものです。
より本質的な視点で言うと、日本国憲法は明示的でないにせよ、『営業の自由』を保障しています。弊社の偉い人はそういうことも盾にしたうえで、「嫌なら買うな」をオブラートに包んだ言い方をしていました。
それからさらに、私達と役員級の人との議論の中で、こういうのがありました。
以下、彼らの意見の要旨です。
「あの人達(転売者)が支払う手数料も、ほかのユーザーが支払う手数料も同じこと。販売者を差別してはならない。規約において、ユーザー(転売含む)の自由な経済活動を制限する理由はない。それは、フリマを運営する企業がすることではない。私達の課題ではなく、日本政府が方針を決めて各企業に通達すべきこと。あるいは法律を作るとか。私達がそれを規制するのは明らかに違う」
この瞬間、「うちの会社はユーザーの利便性のためにあるのではなく、株主の利益とか役員の利益のために存在しているのだ」という事実を突きつけられました。
ちなみに、創業~初期メンバーの大半は退職しています。残っているのは、僕の認識だと多くて数人くらい。僕は黎明期の後に入社しましたが、残っていたメンバーも転職したり、独立したり、後から入ってきた方々に役員や上級管理職を干されて消えていきました。
任天堂の件は氷山の一角です。あの会社(以下「弊社」とします。辞めてますけど…)は一貫して社会的倫理観が欠如していました。
一番最初に受けたショックは、マスク転売でした。コロナ禍初期のマスク転売騒動です。社会的な批判が高まって、あの時は政府や東京都が自ら動いた記憶があります。
その中でも、弊社は「迅速に対応し、マスクの出品を規制しました」とプレスリリースを発表しました。
もちろん規制は実際にされました。その通りです。しかし、その裏側を体験した者としては、その対応が渋々だったのを知っています。
あの当時の自分は、CS部門の現場の人間としてマスク転売に反対していました。理由は述べるまでもなく、「困っている人がいるのに転売はおかしい!」というものです。
しかし、マスクは生活必需品ではないという意見が偉い人達の間に共有されていました。
あの人達の多くは、弊社アプリの社会的認知度が高まった後で入社してきたメンバーでした。リクルートや楽天、総合商社、ITコンサル、ベンチャーの上場経験者など、イケイケの方々でした。
もっと成果を上げて、さらなる報酬を望んでいたのだと思います。正直、弊社は今でもそういう文化だと思います。リクルートみたいな結果上等、拝金主義の企業文化に染まっています。ビッグモーターの域にまでは至ってませんが。
法律さえ守れば何をしてもよかろうという文化です。技術専門の執行役員の人などが新しく入社しても、1年くらいで早期離職したりします。「倫理観の欠如に耐えられない」という胸の内を会食の時の話から察しました。
最終的に、弊社がマスク規制に踏み切ったのは、社会貢献のためではなくて、企業イメージの毀損による株価下落を恐れたからです。その頃には、ほかの同業他社もマスク販売禁止に舵を切っていました。
当時は、CS部門も必死で役員クラスに訴えました。当時は古参の社員も現場に残ってましたし、大企業ではありますが、一社員が役員クラスと正面切って話をする文化もありました。
しかし、規制後もマスクを「ガーゼ」「サージカルキャップ」などと偽って(※)出品する詐欺まがいの行為が横行しました。それらの取締りは追いつかず。
※例えば専門医が出す処方薬の「空箱」を高額で出品し、実際には本物を送付するような行為
利益至上主義の最たるものが偽ブランド品や詐欺行為の放置です。
パトロールチームは存在しますが、リソースは常に不足していました。数年前には、ついにパトロール業務まで業務委託に出しています。
出品される偽ブランド品の数というのは、本当にマジで膨大で、取締りのコストが大きいです。具体的には、偽ブランド品と思しき出品は、僕が退職する直前時点で、200品/日ほどのペースでした。人間ではモームリなのは言うまでもなく、AIを組み合わせてすら精査は不可能。
ぶっちゃけますが、偽ブランド品が出品されても取り締まっていません。
例えば、素人の詐欺師みたいな人が『【確実正規品】クロムハーツ Chrome Hearts キーパーリング 21号』なる品を約5万円(※本物は10~20万円)で出品しており、ユーザーからの通報が何件もある状態であっても、運営による削除をしません。ユーザーへの罰則もなし。
それは、ルイヴィトンだろうとロレックスだろうとエルメスだろうと同じことです。偽ブランド品だろうと、取り締まるつもりがないのです。しいて言えば、ユーザー自身が騙されることで学ぶだろうというスタイルを貫いています。消費者庁みたいに「消費者が賢くなることが……詐欺被害に一番効果的なのでは(^^♪」という方針です。
ただ、全部がそうではありません。例えば一部商品で、製造メーカーに「特別な対応」を求められた場合は従っています。これも倫理感からきているのではなく、あくまで企業間トラブルによる評判の低下、訴訟リスクを避けるためです。小さい会社だと無視します。
具体的には、特殊医療のクリニックで使用するための品や、妊活用品、専門電子機器などは、特定の会社との約束事で、出品されたら原則として削除する運びになっています。
そうでなければ、人の体内に入れるような医療用品でも問題なく出品できるのです。削除するのは、日本の法律に反しているのが100%明白なものです。偽ブランド品は、それが99%クロであっても、シロである可能性が1%でも残っている以上は……という考え方です。
弊社の役員層は、「偽ブランド品でも手数料収入は増える。パトロールコストを抑制すれば利益率は上がる」という道を選びました。結果、明らかな偽ブランド品でも「ノークレームノーリターン」などを盾に、出品者を擁護する事例が常態化しました。
ユーザーが正規の手段で異議申し立てをしても、運営チームからは「折半ということで…」という提案をするのが精いっぱいです。詐欺師にお金が渡るのです( ;∀;)
購入者が泣き寝入りして、メルカリだけが手数料で潤う。この構造が嫌で嫌で仕方ありませんでした。とにかく取引を成立させる。
先般、話題になったプラモデルの空箱送付の件も近いものがあります。利益のことを考えすぎて、極限までAI対応に任せているから、「人の声」を聞くことができずに炎上しました。
弊社の設立当初のメンバーを見るに、新進気鋭であり、現代社会を代表できるレベルの方々であったのは間違いないです。しかし、会社の規模が大きくなるにつれて、古き良きJTC出身者を中途で迎え入れたのが、悪い方向への変化のきっかけだったと感じます。
「新進気鋭」のはずが、むしろ会社が自民党みたいな保守寄りの価値観になってしまいました。
組織としてのあざとさもそうです。
近年では、中央省庁の職員出向を積極的に受け入れています。具体的には、監督官庁である経済産業省などです。もちろん本来の天下り(退職した官僚)も受け入れています。
これは「行政と連携して創造的な価値を生み出す」という名分で行われています。霞が関の交換出向事業のサイトに書いてある美辞麗句です。
僕から見れば、それは単なる官僚シールドです。都内の私立病院がやってるような、「厚生労働省の天下りを受け入れると監査での違法指摘を回避できる」というスキームです。
出向や天下りを受け入れることで企業側にある正当なメリットは……例えば規制回避です。行政の内部事情に詳しい人を招き入れることで、将来的にフリマアプリの運営が不利になるような法令や規則が作られるのを未然に防ぎたいとか、事前に情報を仕入れて対策したいという思惑は、営利企業としては理解できます。
営利企業なんですし、自由にやればいいと思いますが、弊社の場合は、営利よりも「官・民同士の個人的な利権」が先にきているのが問題だと思います。癒着です。
今の経営陣が本当に社会貢献を考えているなら、まず真っ先にやるべきは、転売ヤーから手数料を徴収するのをやめること。つまり彼らを追放することです。
それはやりすぎとしても、個人的には、転売ヤーなど高額出品への手数料を数倍以上にすることで、放逐を図るべきだと思います。これは実際に、社内で何度も提案されて否決されました。
でも、ユーザー全員が同じ手数料っておかしいでしょう。高額出品を繰り返す人には、それなりの料金体系があっていいはずなのに。特にユーザーの上位1%未満である富裕層が出品者である場合は、相応の手数料を取るべきだと思います。所得税だって累進課税になっているのに。
しかし、彼らはその道を選びませんでした。チャンスは何度もあったのに。ユーザーのことは二の次三の次です。「利益になるなら考えてやるよ」くらい。
この、中身は銭ゲバなのに、外側だけ立派な大義名分で固めるあざとい姿勢が本当に嫌でした。心が消耗して耐えられないほどに。
弊社の根底には、一つの冷たい哲学があります。 「ルールさえ守れば、あとはユーザーの自由な経済活動」というものです。
この哲学は一見、自由で合理的です。しかし、そのルールはプラットフォームの利益を守るためにだけ最適化されたものです。そんなの暴力と一緒です。だから、転売ヤーや詐欺師の放置に繋がるのです。
転売活動のせいで、本来手に入れるべきだった人が買えない。悔しい思いをするユーザーの感情は無視。偽ブランド品で騙されるユーザーの金銭的な被害は自己責任(※規定に基づく補償も一応ある)です。道徳的に問題があるユーザーの発言や行為もとりあえず容認します。
人をただの数字としてしか見ていません。冷たい思想に触れ続けて、僕の心は人間らしくなくなっていきました。
社会を良くするとか新しい価値を生み出すとか、建前なんだとわかりました。
僕が大学生だった頃に、本当にしたかったのは「困っている誰かの役に立つ」ことです。それをフリマアプリ運営会社(当時は一ベンチャー企業でしたが…)でやりたいと思って応募したのです。
今は、前職の競合にあたるEC関連企業で働いています。一応は大手ですが、正直、給料は軽く百万以上は下がりました。オフィスも地味です。
しかし、ここで僕は、前職で失っていた人間的な感情を取り戻しました。
入社してすぐでした。前職と同じくCS部門です。僕はユーザーからのクレーム対応に参加することになりました。難しそうな案件でした。
ある日、高齢のユーザーの方が、操作ミスで全く意図しない高額な商品を購入してしまい、これまた誤った操作にて取引が完了。その後、高齢ユーザーの代わりに息子さんがクレームを申しているという事案です。
※一応フェイクあり
前職なら、「規約どおり取引完了後のキャンセルは一切不可」で終わりです。でも、新しい職場では違いました。CSチームの職場長はなんと、最終的にはこう言ったのです。
要旨はこんな風でした。
「規約を盾に突き放すのは簡単ですが、この度の状況をひとつひとつ考えていったところ、このユーザーのネット通販そのものへの信頼を失わせることはできないという結論に至りました。今回は社内で調整し、返品を受け付ける」
なんと、ここまでできる権限が、一般企業でいうところの係長クラスに付与されているのです。これには驚きました。前職では、ルールをはみ出すことの決裁権は管理職ですらありませんでした。
そして、上司は僕と一緒に、そのユーザー(取引相手にも)に丁寧な文章で連絡し、操作方法を案内して、返品・返金手続きを完了させました。
その後、高齢ユーザーか息子さんから届いた返信を上司が見せてくれました。内容は出せませんが「対応をしてくれて、本当にありがとう」という感謝の文面でした。
この会社に来てよかった、と思えました。その文章を読んだ瞬間、30代のいい歳をした僕の目から涙が止まらなかったのです。「ああ、これだ」と。本当の涙でした。
僕がやりたかったのは、これだったんです。誰かの役に立って、心から感謝される仕事だったことを実感しました。 前職では、どれだけ数字が動いても温かい涙を流すことはありませんでした。
(最後に)
月並みな言葉になりますが、転職してよかったです。人間に戻れた気がしています。
画面の前の皆さんも、自分がしたくないことを続けるのは心身のためによくないと思います。心を病むくらいなら、社会のためにならない自分を責めるくらいなら、会社を辞めた方がいいんじゃないかと思います。
一応、あのフリマアプリの会社には感謝の念もあります。実際、偏差値50もない大学出身で、第二新卒で、何もできなかった自分が成長できたのも事実です。
ここまでお読みくださってありがとうございます。またどこかでお会いしましょう。