もっと早く将来のことを真剣に考えればよかった、というお話
私は就活を終えた身であるが、常に将来の歩み方を考え直すよう心掛けている。
それは就活中に痛感した「もっと早くから将来のことを真剣に考えておけばよかった」という後悔の念から原動力を得ている。
幼い頃から「将来何になりたいの?」とよく大人たちから聞かれ、当時のスーパー戦隊やウルトラマン、スポーツ選手など思い付いたものを挙げていた。
しかし中学生になるとそんな戯れ事をいうわけにもいかず、将来のことを聞かれたらとりあえず教師と答えていた。
ただ、将来やりたいことなど見つかるはずもなく、高校は進学校へ通い、高校でもまたやりたいことなど見つからず、ひたすら大学進学を目指して勉強していた。
将来ずっとやりたいと思える職業など今すぐに見つからないし、周囲の大人たちもそこまで将来の職業決めを急かすことはしなかった。
とりあえず基礎的な教育や学校生活を送りつつ「ゆっくりやりたいことを見つけていけばいいや~」と将来の選択を先送りにしていた。
ここでの大きな落とし穴は「やりたいこと」が日常生活を送っていれば偶然見つかるものではなく、それを見つけるには自らに問いかけ続けながら覚悟を決めて選択することが必要だと気付いていなかった点だ。
そんなことを考えることもなく、将来のことは将来考えればいいやと将来から目を背けていた自分が憎らしい。
そのせいで周りに流されるように高校・大学と、どうとでもキャリアを歩める道を選択してしまった。
とはいえ、その時その時の自分は全力で何かに取り組んでいて、色々なことに悩み、考え抜いて、しっかり生きてきたことは知っている。
後から振り返って「ああすればよかった」と後悔することは多いが、そんなの後になってからしかわからない。
それは理解していた。
ただ、将来のことから目を背けているという自覚はあった。
何も考えずに偏差値の高い高校や大学に行けばいいと言い聞かせ、その先のことを全く考えていなかった。
そもそも学校は子供が経済的依存から経済的自立に至るための手段の手段であって、進学自体を目標にするべきものではないのだ。
また、将来の目標を「サッカー選手になりたい」「ケーキ屋さんになりたい」のように「なる」ことを目的としてしまっている場合が往々にして生じている。
就活の時もそうだった気がする。
大学3年生になり就活を始めた頃、説明会を受けて「あ、ここ入りたい」と思い立ってからひたすらにその企業へ”入社する”ことだけを考えてしまう傾向があったのをよく覚えている。
「将来何がしたいの?」と問われた時には「まだ具体的には決まっていませんが、人の役に立てることがしたいです!」という常套句で言い逃れ、本当は真剣に将来のことを考えていないのを隠し、他者だけでなく自分さえもだましていた。
「あれをやりたい」「あれを勉強したい」「あれを身に着けたい」とやりたいことはたくさんあった。
しかし、結局私は「選択」できずにいた。
若者の可能性は無限大である。
人生100年時代の今、20歳なりたての若者にとってはこれまでの人生をあと4回も過ごすことになる。
だからこそ初めのうちに自分の可能性を大きく広げ、最初からその能力を存分に発揮したい。
そう思うのも当然だ。
だが、ある可能性を見出すならば他の可能性を見限らなければならない。
私は大学生になっても捨てることができずにいた。
全てが欲しかった。
それが中途半端につながり、中身のない大学生活を送ってしまう原因となった。
就活が終わった今、色々な社会人の方と話しながら模索することで、おおよその将来像が固まった。
もちろん変わるかもしれないが、現時点ではほとんど変わることがないだろうと自負している。
それだけ自分を見つめ、自分と対話し、自分を試してきたからだ。
欲を言えば、このように将来を具体的に決めなければいけないタイミングがもっと早く来てくれればよかったと思う。
もしこれから自分より年下の子と関わることがあったら、将来像を明確にする機会を与えられる存在でありたい。
だが、今は自己実現を達成するためにひたすら努力する!
がんばるぞ!
おー!


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