国替え時に出羽入りした家臣団の中に、「藤井」姓はおりません。 そして当家は代々御殿医だったのではなく、※最初は武士。何代目かが御殿医となったが正しいのです。 ※龍角散の資料、藤井康男氏のコラム等より。
"龍角散の創業家の藤井家は出羽国久保田藩(秋田藩)の初代藩主 佐竹義宣の御典医を務める家系でした" note.com/kandariverside/n/n3… 龍角散の悪魔 契約者 : 秋田藩 佐竹氏
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申し訳ありません。少し調べさせていただきました。最初は武士、との事で、秋田県公文書館と東京大学史料編纂所にある史料目録と閲覧できる画像で確認しました。当初御殿医でなく武士です ①系図目録Ⅱ 秋田県公文書館 ②佐竹家中総系図 東京大学史料編纂所 ③ ②の総系図の目録 ④ ②の実際の画像
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東京大学史料編纂所で持っている佐竹家中総系図では、「譜代」の中に入っていますので、佐竹氏秋田入部の際に家臣団に含まれていた可能性は否定できません(が、後からそういう事にした可能性も当時の系図編纂事業ではあり得ます) 系図目録Ⅱの記載から見ると、石塚氏(藩主一門)の家臣であったとの事
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"秋田藩士に藤井氏がある。常陸国那珂郡藤井郷発祥の佐竹氏族で、佐竹十代義篤の六男・義貫の子孫である。ほか京、大阪、関東からの入国諸家もあろう。大曲市の富商藤井家は常陸から佐竹を慕って久保田に入り、江戸中期に大曲に移ったとされ、竜角散を製造した医師・藤井玄渕がいる" Wikiの記載。
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ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97… 先のWiki記載は藤井正亭治のもの。 美郷町の説がここまで調べ、一番信憑性が低いと言わざるを得ません。カミツレの栽培が行われて…では足りなかったのでしょうか?
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当家が国替え後に、大曲、または六郷東根にいたという情報自体が間違いであり、佐竹義重の御殿医だったというような情報も確認されていません。 第一、龍角散の原型となった薬は水戸藩に伝わる薬ですので、美郷町さんがどういう情報を元にしているのか分かりません。
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福島県の行った方の藤井でなく、資料からは江戸中期〜後期の藤井文右衛門忠貞が玄信になっています。秋山高志さんの著書によれば、岩根村(茨城県)にいたと。 国替えのあとに来た藤井 江戸中期に出羽入りした藤井 尚、六郷の藤井さんという家々とは親戚ではないです。
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前から何度もポストしていましたが、秋田藩のことを調査しても正しい情報が出てこなかったのは、水戸藩の薬がルーツだからです。 tokakyo.or.jp/news/wp-conten… ここの3ページ目の中段付近から読んでいくと、藩医の処方でなく、幕府の医者の処方で、中々、処方を教えてもらえずに〜と書かれています。
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藤井文右衛門忠貞氏は、こちらの投稿であげた藩主一門の石塚氏家臣の分流の系図提出者になっていました。 nitter.net/odnorest/status/197393… 幕府から教えてもらい、作るのにあたって藤井文右衛門忠貞氏に…というところなのでしょうか? 関係をみても、伺ったお話からも、「美郷」が関係ないですね…
申し訳ありません。少し調べさせていただきました。最初は武士、との事で、秋田県公文書館と東京大学史料編纂所にある史料目録と閲覧できる画像で確認しました。当初御殿医でなく武士です ①系図目録Ⅱ 秋田県公文書館 ②佐竹家中総系図 東京大学史料編纂所 ③ ②の総系図の目録 ④ ②の実際の画像
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藩に系図提出しているものの、本当に分流なのかどうかは不明です。 幕府藩医の原南陽の門人となるために、藤井から何人か水戸へ行かせた、または古くは分流とされる水戸に残った方を使った可能性が。 六郷が龍角散と関係あるんだ!とやりだしたのは、美郷町の町議会なので、当方には分かりかねます。
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江戸初期に秋田に来た藤井家 江戸中期頃に秋田入りした系統あり 下級武士は、国替え時に水戸に残ったとされます 一方、北関東から福島県へ入り、のち秋田に戻った藤井家は別系統です。渡部景一さんの「秋田市歴史地図」にある古地図によると、現在の秋田市に藤井五郎右衛門の屋敷があったようです。

Oct 4, 2025 · 8:44 AM UTC

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