急がば回れ、誰よりも速く?効率よく効果得たい「タイパ」に潜む矛盾
Re:Ron連載「よりよい社会」と言うならば(第7回)
先日ある新聞に「若手は成長もタイパ」という見出しが躍っているのを目にした。つまりタイパ重視の若者にはもはや「石の上にも三年」は通用しない、という論調で、Xでよく拡散されていた。
私はというと、読むなりこの見出しのキャッチーさ、すなわちは大きすぎる主語や、あいまいな定義のまま時流をあおるトーンにどうも釈然としなかった。数的な長短で時間の「価値」を語り、「成長」をうたいつつも内実は本人の「成長実感」の話に終始している社会。これからどうなっていくのだろう。進行がんと闘う、教育社会学的視点で組織開発を専門とする者としては……真正面から問うてみたくなった。
――「タイパ」よく生きるという戦略は、こんとんとした時代を生きる上で、旅路を導く杖になり得るのか。救いはおろか「タイパ」によって失うのは何か、と。
この「タイパ」ということば。
2022年の『現代用語の基礎知識』に「タイム・パフォーマンス。時間効率主義。『タイパ重視で、録画を倍速で見る』」と収録された、れっきとした日本語だ。『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)、『ファスト教養』(集英社新書)などのヒットも記憶に新しく、タイパが今や若者の「生存戦略」とされるのも、あながち言い過ぎではない時代だ。
思い起こせば本紙との出会いも、昨年末から今年の正月にかけた連載「タイパ社会 豊かな時間はどこに」であった。それは「子を残して死ねない過剰な『能力社会』 病気で気づいた生産性の意味」という記事の取材で、本紙の問題意識と拙著のそれ――ものごとを過度に単純化する社会への危惧と、そこに隠された本来の多義性の再発見――が重なり合っていたことがご縁だ。
ただ、社会を席巻することばとはいえ、<「タイパ」が戦略、もとい人々の救いになるのか>は、議論の余地が大いに残されたままだ。詳しくは後述するが、定義からして本連載前回の「リスキリング」の話ではないが、タイパを行動原理にするには心もとない点があると私は考えている。
ちなみに「時間効率」の意で、現代用語認定されている「タイパ」だが、もう少しネットで検索すると、「時間対効果(費やした時間に対して得られた効果の割合、満足感、など)」という定義が散見される。また、似たことばには「生産性」を並列させる場合が多い。一般的な「タイパ」の印象どおりかと思うが、私にとってはますます違和感が募る。
ドラッカーが残した語り
というのは、経営の神様か仏様かは忘れたが、ピーター・ドラッカーがマネジメントの基本、「生産性」についてこんな語りを残していることを想起するからだ――「効率とは物事を正しく行うことであり、効果とは正しいことを行うことである」――日本でも信奉者が多いので、ご存じの方も少なくないだろう。
これは困った。ドラッカーが「効率」と「効果」をこうも明確に区別しているのに、当の「タイパ」はと言うと、「時間『効率』」「時間対『効果』」と呼ばれたりしているではないか。
やるべきだとされることをい…