今月9日、次の本が発売されたので早速取り寄せて読ませていただきました。
123便事件に関心があって様々な書籍を読まれている方は多いと思いますが、この本をいわゆる「真相追及本」の一つだと思って手に取るときっと期待は裏切られるでしょう。
もちろん、タイトルにある通り123便事件について触れてはおられるのですが、それについては従来説の範疇を超えるものではありませんし、その個々の捉え方についても、私の考えとは相違があります。
しかし、この本の出色な点はそこではなく、123便事件を
神事的現象
と捉えていることなのです。
この視点は、ミサイルだ、垂直尾翼だ、捜索が遅かった、中曽根がぁ!などという目に見える小さな事象に陳腐な想像を付け足したような狭量な議論でなく、日本の古代信仰から現在までの、まさに「日本の神事的伝統と様式」の中でこの事件を捉えようとしていることなのです。
それを理解するために、日本書紀、古事記、秀真伝、先代旧事本紀など史書類の知識はもちろん、著者は上記(うわつふみ)や竹内文書など歴史学の中でも色々と議論の多い史書までをも偏見なく取り扱っています。
ですから、「123便」という40年間日本人の心に疑念を抱かせ続けたこのタイトルに、ただ飛び付いただけの読者には非常に敷居が高く感じるかもしれません。それでも、著者がなるべく平易にその意図を伝えようとしているのは良く分かります。
私も、長年の調査活動から現在事象にだけ囚われていてはこの事件の本質は理解できないと感じ、手前味噌ではありますが、歴史考察ブログ「(神)日本の黒い霧」を立ち上げたという経緯があるのです。
著者の思いはそのタイトルにある「高天原」をよく言われる「タカマガハラ」ではなく、正しく「たかあまはら」と読ますところからスタートしています。
言霊(ことだま)こそ日本人(にほんじん)の最重要な感性であることは私も著者と同意であり、「日本」を「ニッポン」などと発音して、それを指摘されると「どちらでもいいだろ」というような粗暴な感性しか持たない方はどうぞ「ニッポン人(外国人)」となり、国外退去してくださいと私も言いたくなります。
「ニッポン」がなぜ正しくないのか?そもそも数十年前までは「日本語」は「にほんご」であり、それが現在ではどのメディアでも「ニッポンゴ」で統一されるようなっています。「ニッポン時間」などもそうです。
「ニッポン」という呼称は昭和になってNHKが使い始めた読み方で、本来使われていた言葉ではないのです。「NHKはニッポンをないがしろにするのか!」と叫んでる自称愛国者の皆さんは、早くその矛盾に気付いてほしいのです。
同じように、「タカマガハラ」も意図的に元の言霊を貶めるために作られた読み方であり、本来なら「曲がったこと」とか「よこしま」などの意味を持つ「曲(マガ)」を神の都の名称に使うはずがないのです。だからこそ、この本の重みを理解しようとするなら、まずそこから感性を取り戻す必要があるのです。
話がずいぶん逸れてしまいましたが、以上の議論は(真)ブログ記事「 にっぽん人は日本人に非ず」に書いていますのでお読みになってください。
その他、さらに詳しい内容は実際に同書に触れて確認してほしいのですが、その中から私が強く同意した次の一文を持って、今回の書評を終わらせていただきます。
(123便)飛行機事故の物理的側面だけを調査することでなく、あらゆる事象を霊的に考察するということが重要なのである。
同書 p62 から
キリストの御国にて記す
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