《平成2年、同僚の勝俣浩さんと結婚した》
私でもいいならばもらってもらおうと、37歳で結婚しました。当館で海獣を担当している年下の男性です。彼が入社してきたとき、「結構タイプだな」とひそかに思ったりもしましたが、年齢差もあったので普通の同僚として過ごしてきました。
距離が近付いたのは、ある雨の朝です。出勤時に職員用の駐車場に車を止めると、彼もちょうど着いたところで、傘に入れてくれたのです。「あらこの人、私が怖くないのかしら」と思いました。後になって聞いてみると、このときに「もしかして」と予感があったそうです。
《獣医師と海獣担当の2人が一緒に休みを取ることはめったになかった》
覚えているデートらしいデートは一度だけです。神奈川県の鎌倉に行き、鶴岡八幡宮に参拝しました。あと、マクドナルドがあったのを覚えています。当時、鴨川にはまだなかったので、めずらしかったのです。
私は、「娘は鴨川に骨を埋めるつもりだろう」と思った父の勧めで一軒家を手に入れていました。結婚後はその家に一緒に住むようになりました。彼の実家は鴨川市内ですが、今の家の方が職場に近くて便利だったのです。当時、女性が自分の家を持つのはめずらしいことでした。もちろんローンを組みましたが、消費税が導入される直前でしたし、預金金利は良い時代でした。この家で現在も、夫と3頭のゴールデンレトリバーたちと暮らしています。
結婚が37歳のときで年齢のこと、いわゆる「マル高」でしたので、仕事は充実していましたが、そのときは自分の「繁殖」が先だ!と仕事より出産が優先と考えました。
《平成2年に長女を出産、2年後に長男を出産した》
つわりはほとんどなく、産後の回復も順調で、妊娠中も出産後も獣医師の仕事を続けることができました。当時は育児休業がなく、産後2カ月で復帰しました。保育園の0歳児クラスに、娘が生後5カ月になる4月からお世話になりました。それまでは東京の両親、勝俣の両親に助けてもらいました。イルカは群れで子育てしますよね。わが家もみんなに助けてもらいました。
保育園の0歳児クラスは当時、午前9時からでした。出勤する7時半から、同じ保育園に通うお子さんがいるお隣さんに少しの間お願いして連れて行ってもらうこともありました。その後は、保育園の近くの「保育ママ」(家庭的保育事業)宅に子供たちを朝7時半に連れて行き、登園と夕方のお迎えをお願いした時期もあります。
教師をしていた私のおじは、「いろいろな人に見てもらうのは良いけれど、人によって価値観が違うと子供は迷ってしまうから、そこは気を付けてあげて」とアドバイスしてくれました。私たちの子供はたくさんの方にお世話になりますが、全ての責任は親である自分たちにあるということを常に心に留めるようにしました。
職場に理解があったことも大変ありがたいことでした。鳥羽山照夫館長は私が夕方の会議に出席していても時間を気にしてくれて「勝俣さん、保育園のお迎えの時間でしょう?」と。その時間帯になると私の頭の中は「夕飯どうしようかな」でいっぱいでした。
得意料理は「焼きそば」。冬は「お鍋」の出番が増えます。子供たちに食べさせながら、自分は立ち食いなんてこともありました。あるとき、同僚から「髪の毛がフケだらけだよ。お風呂入ってる?」と聞かれたことも。子供をお風呂に入れるために一緒に入ってはいたのですが、自分を洗う時間がなかったのです。(聞き手 金谷かおり)