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誰かをいじめた・いじめているあなたへ 一人の大人として私がポッドキャストで伝えたいこと

2025年12月18日 17時00分 (12月20日 15時37分更新)
 あなたが何げなく放った一言。ふざけ半分で上げた手。その軽さの裏で、ある人の人生が音を立てて崩れていくことがある。
 学校に行けなくなり、昼夜の区別もつかないほどの苦しみが続く。傷つくのは本人だけではない。家族もまた孤立し、声を上げるたびに心の奥をえぐられていく。私はその現実を、取材の場で何度も見てきた。
 だから、あえて言う。
 いじめは「犯罪」だ。
 子どもの人生を壊し、家族の時間を奪い、未来を狂わせる「暴力」だ。
 あなたの行いが、誰かの一生を変えてしまう“刃”になることを知ってほしい。(ウェブ運営部・浅井弘美)

後述するヤマダリンさん(仮名)がいじめを受けた当時、覚えたてのひらがなで書いたメモ(ヤマダさん提供)

肉声だから伝わる重み

 私は「中日新聞ポッドキャスト あしたのたね」のMCを配信開始当初から担当し、記者たちが記事に盛り込めなかった思いやエピソードを紹介してきた。
 普段の仕事はスタジオで聞き役となることが多いが、いじめ問題については、私自身が被害者や家族、教育関係者、医師らを取材し、ともに考えるシリーズ「いじめの実相」を制作している。
 遺族が絞り出す言葉、震える声。本来、紙面には収まりきらない重みが、肉声になって初めて伝わることがあると感じているからだ。
 2018年に中学1年の長女華子さんを自殺で亡くした、名古屋市の会社員斎藤信太郎さん(53)。学校や教育委員会と向き合う中で、悔しさで歯を噛みしめながら眠ることが続き、奥歯が欠けたという。

長女華子さんが亡くなる前後の記憶をたどる斎藤信太郎さん=名古屋市で

 「闘う父親」と見られがちだが、斎藤さんは心療内科に通いながら、気力を奮い立たせていた。職場では「亡くなった子どものことで、いつまで時間を割くのか」と心ない言葉を浴びせられたという。こんな現実がいまだ続いていることに、私はいたたまれなくなった。
 2010年に川崎市の中学3年生、篠原真矢さんが自殺した事案の調査に当たった、元市教育委員会の渡邉信二さんの言葉も忘れられない。
 「亡くなった人や家族を思ったら(調査開始が)早いなんて言えないんですよ。絶対に。眠れない日々が続いているんだもん。誰を主語に置くかが勝負」
 この言葉に救われた遺族は、どれほどいただろう。私自身、番組を編集しながら涙が止まらなかった。取材で出会った遺族の多くは、渡邉さんのような「先生」と巡り合えていなかった。
 刑事事件の被害者や遺族には支援制度がある一方で、学校で起きたいじめや事故の被害者や遺族には、公的な支えがほとんど届かない。むしろ孤立していく。
 私は、この不公平さにずっと胸を突かれる思いを抱いてきた。だからこそ、被害者や家族の声をそのまま届けるポッドキャストにこだわった。肉声には、社会を動かす力があると信じたからだ。

「なんで助けてくれなかったの?」

 昨冬の配信では、保育園で暴力を受けたヤマダさんの長男リンさん(仮名、11)が、自らの体験を語ってくれた。淡々とした口調の奥に、痛みを抱え込んでいるのが伝わってきた。
 「(保育園に)入った初めからたたかれ、仲間外れとか、暴言とかいっぱい」
 「先生に言っても、『そんなことする子じゃない』って…」
 逃げ場のない園生活。守ってくれない大人たち。クラス替えもない。リンさんが小さな声でこぼした「なんで助けてくれなかったの?」という一言が、私の胸に深く刺さった。記者としてではない。大人として、私は責任を突きつけられた。

いじめによって適応障害と診断されたリンさんが書いた言葉。自分の異変を(身体的な)病気と思い込んでいた(ヤマダさん提供)

 小学生になったリンさんの見た目は、元気そうだった。「将来は自分を助けてくれたような医師になりたい」とも話し、私は「少しは回復したのだろう」と勝手に思い込んでいた。
 だが、収録からしばらくしてヤマダさんから届いたリンさんの近況は「不登校が続き、フラッシュバックで泣いたり、怖がったり、死にたいと言っている」というものだった。メッセージに添えられたリンさんの泣き声の音声を再生した瞬間、思わず息が止まった。
 いじめによる被害は、時間の流れで薄れるような一過性のものではない。人生の根っこを侵し続ける暴力だ。
 「いじめは犯罪だ」と私が最初に言った理由も、そこにある。身体への直接的な暴力は暴行罪や傷害罪が刑法に定められている。その一方で、いじめという言葉による殺人、傷害は刑法では定められていない。
 人を死なせたって罪に問われない。勝手に死んだ、とされるのは到底おかしいと、私は思う。
 だからあえて、「いじめは犯罪だ」と言った。これに対して異論を唱える人間は、いじめっ子、もしくは傍観者ではないだろうか。

法の外にある未就学児のいじめ

 未就学児のいじめは「善悪の判断力が未熟」とされ、聞き取りが難しいという理由で、いじめ防止対策推進法の適用外のまま放置されている。園での暴力は「じゃれあい」と処理され、軽く扱われる。
 リンさんのケースは、あの大津市だから調査され、いじめと認定されたようにも見える。同市では、2011年に中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺したことを契機に、対策室が設けられていたためだ。
 それでも、調査開始は問題を訴えてから半年後。文部科学省の最新調査では、小中高校のいじめの認知件数は約77万件に上る一方、未就学児はいまだ「存在しないもの」とされている。この理不尽を前に、私は何とも言えない悔しさを覚えた。
 リンさんは集団を恐れ、小学校の入学式に出席できなかった。3年生になると週に数日は通えるようになったが、5年生になった現在は不登校になった。フリースクール型デイサービスへ通い、病院にはヤマダさんが付き添い、精神安定剤を処方されている。
 誰がこれを「子ども同士のトラブル」と言えるのか。
 未来を狂わせるこの暴力を、私たちは「いじめ」という曖昧な言葉でごまかし続けている。社会全体が粘り強く、本気で向き合わなければ、被害は止まらない。

教室に入れず、廊下から授業を見つめるリンさん(ヤマダさん提供)

 収録の中では、耳を疑う話もあった。リンさんの件で記者会見した際に、ヤマダさんに向かって、こう言い放った記者がいたという。
 「(未就学児も含めて)いじめは全国どこでもたくさん起きている。そもそも記事になったりはしない。最悪、自殺で亡くなられた方がいても、メディアに出ているのはほんの一部でしかない」
 この言葉を聞いた瞬間、私は怒りで震えた。絞り出すように声を上げる家族に、どうしてそんな言葉が言えるのだろうか。
 社会で起こった出来事を報じるまでには、さまざまな過程と労力が必要だ。中でもいじめの場合は園や学校側などにも取材しなければならず、越えなければいけない「壁」はいくつもある。だが、そんなことは報じない理由にはならない。
 いじめの取材は、そういった意味でも確かに難しい。しかし、本当に難しいのは取材そのものではなく、覚悟だ。異動しようが担当が変わろうが、「被害者の時間」に寄り添い続けること。命日や節目だけを書き立てる「カレンダージャーナリズム」を超えていくこと。それこそが、報道の役割ではないだろうか。

現実を黙認しない

 そもそも、大人の世界にも、いじめは蔓延している。他人をいじめたり、それを容認したりするような大人に子どもが日々接していたら、どうしていじめをしないと言えるだろう。大人が変わらなければ、子どもは変わらない。

 私は、見て見ぬふりをする人間でありたくないと思っている。時間はかかっても、置き去りにされた声を拾い続けたい。無意識の一言や、軽はずみな行為が、誰かの人生を奪い続ける現実を、決して黙認しないために。
 だからこそ、ポッドキャストで配信した声には、人々の意識を揺り動かす力があると信じている。その響きはやがて共感を呼び、大きなうねりとなって、社会を確かに変えていくはずだ。
 そして―。
 過去に誰かを傷つけたあなたへ。
 あのときの行為を、もう一度振り返ってほしい。
 あなたの過去は、今も誰かを苦しめてはいないか。
 奪った未来を、そのままにしていないか。
浅井弘美
中日新聞ポッドキャスト「あしたのたね」MC・編集
写真

熊本県出身。2005年入社。名古屋本社編集局整理部、長浜通信局、教育報道部、大津支局、京都支局を経て、電子メディア局ウェブ運営部で、音声メディア・ポッドキャストを運営する。2022年11月の配信開始から、記者の取材の舞台裏を紹介してきたほか、シリーズ「いじめの実相」、「ガネフォの記憶~水球に青春を賭けた男たち」、「優しさのその先へ~国際交流グループ『カリーニョ』の挑戦」など、多彩な番組を制作している。

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